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《真説古代史・近畿王朝草創期編》(10)

大嘗祭とはなにか(9)

 吉本さんは池上広正氏の論文「田の神行事」から次の文を引用している。

 先年調査する機会を得た能登の鳳至郡町野町川西では12月5日に田の神を家に迎へる行事が行はれてゐる。

 当日は甘酒を造り、種々の畠のものを煮て神を饗する料理を準備する。夕方になると主人は正装して戸口で田の神を田から家に迎へる。迎へられた田の神は風呂に入って頂いて、床の間にしつらへた席に紹ずる。ここにはへり取りの蓙を敷き、その上に山盛りの椀飯は勿論、オヒラや餅を初め数々の料理が二膳分運ばれる。特に「ハチメ」と呼ぶ魚を二匹腹合せにしたものと大根は欠くことの出来ぬものとされてゐる。之に副へる箸は中太の一尺二寸の「カツギ」の木で作るのが習はしとなってゐる。又台所の神棚に隣して種籾入りの俵(タネ様)を並べて置く。この「タネ様」は座敷の田の神の設けの座に置くのが一般的風習だが、調査の対象となった家だけは如何なる理由か置き場所が異ってゐた。供へた食物は下げてから主人夫婦が食べて、後は家中の人々が食べる。当夜の食事は出来るだけ何時もより早い目に済ますのが良いとされてゐる。

 この様にして「アエノコト」が終るとその日から田の神は家に上る事になる。「タネ様」は翌日戸口の天井等に吊して鼠から守り、2月9日の「アエノコト」まで丁寧に仕舞って置く。

 2月9日になると「タネ様」も天井から取り下して座敷に運び、12月5日の時と同じ場所に置き膳椀に料理を盛って供へる。凡て12月の「アエノコト」と同一の饗応が為される。

 2月10日は「若木迎への日」と称し、早朝に起き出でて乾し栗、乾し柿、餅一重を持って山に行く。枝振りの良い適当な松を選んでその根本に御供をし、拍手を打って豊作を祈ってから木を伐って持ち帰る。帰る時は御供も一緒に持ち帰るが、之は腹痛に良く効くとされてゐる。松は夕方迄座敷の隅等に置いておくが、その夜松飾りをする。七五三繩(しめなわ)を松に掛け、カラ鍬を松の根本に並べ、一斗箕の上に乾し柿、餅等を戴せて供へ、ローソクを点じ、夜食の時には甘酒をも供へる。

 この夜の行事は内容的に翌日の「田打ち」の行事に続くものであり、11日には未明3時頃主人が前日の飾り松・鍬を担ぎ、苗代田へ行き東方に向って松を立て、鍬で三度雪の上を鋤き、拍手を打って豊作を祈るのである。田の神はこの月を堺にして以後は田に下りられるのである。

 この田の神については同じ鳳至郡でも盲目、片目、すが目等とも考へられてゐて、多くは夫婦神である。


 大嘗祭がこうした民俗的な農耕祭儀を剽窃したものだとすれば、大嘗祭問題の核心のうちの一つである
「悠紀殿・主基殿と、主舞台がなぜ二つ用意され、同じ儀式を2回繰り返すのか。」
という問題の答を次のように引き出すことができる。


 「田の神」は夫婦神である。このを「天つ神」の「ろぎ・ろみ」と入れ替えて、この祭儀が初めから「天つ国」のものであるという偽装が行われた。


 12月の「田の神迎へ」のときに行われる「アエノトコ」と同一の饗応が2月の「田の神送り」のときにも行われる。これが一夜のうちに悠紀殿・主基殿で同じ祭儀が行われるという形に抽象化されて大嘗祭に取り入れられた。しかもそれが「ろぎ・ろみ」という二神の「天つ神」への別々の饗応という形にすり替わっている。

 私はこのように理解したが、吉本さんの解釈には私と異なる点がある。大嘗祭が悠紀殿・主基殿で同じ祭儀を二度繰り返す理由については同じである。しかし民俗的は農耕祭儀における夫婦神の大嘗祭における変化は、吉本さんの解釈では次のようになっている。つまり、大嘗祭では迎える神は一人であり、もう一人の神は司祭である天皇が演ずるという解釈をしている。この解釈では悠紀殿・主基殿は「ろぎ・ろみ」の二神を迎える神座ではなく、「対幻想の基盤である〈家〉とその所有(あるいは耕作)田のあいだに設けられた祭儀空間」を抽象化したものと考えられている。次のようである。

 いま、この奥能登の農耕祭儀にしめされるような民俗的な農耕祭儀を、〈空間〉性と〈時間〉性について〈抽象〉するとき、どういう場面が出現するだろうか?この問題が農耕社会の支配層として、しかも農耕社会の支配層としてのみ、わが列島をせきけんした大和朝廷の支配者の世襲大嘗祭の本質を語るものにほかならない。

 民俗的な農耕祭儀では、対幻想の基盤である〈家〉とその所有(あるいは耕作)田のあいだに設けられた祭儀空間は、世襲大嘗祭では悠紀(ユキ)、主基(スキ)田の卜定となってあらわれる。

 これは、一見すると占有田の拡大にともなって、祭儀空間が拡大したことを意味するようにうけとれるかもしれない。しかし、この拡大はたんなる祭儀の空間的な拡大ではなく、耕作からはなれた支配層が、なお農耕祭儀を模擬しようとするときに当然おこる〈抽象化〉を意味している。この〈抽象化〉は、ただ祭儀時間の圧縮によってのみ可能である。そこでつぎの問題が生じてくる。

 天皇の世襲大嘗祭では、民俗的な農耕祭儀の〈田神迎え〉である12月5目と〈田神送り〉である2月10日とのあいだの祭儀時間は、共時的に圧縮されて、一夜のうちに行われる悠紀殿と主基殿におけるおなじ祭儀の繰返しに転化される。かれは薄べりひとつへだてた悠紀殿と主基殿を出入りするだけで農耕民の〈家〉と所有(あるいは耕作)田のあいだの祭儀空間を抽象的に往来し、同時に〈田神迎え〉と〈田神送り〉のあいだにある二ヵ月ほどの祭儀時間を数時間に圧縮するのである。

 このあとでさらにつぎの問題があらわれる。

 民俗的な農耕祭儀は、すくなくとも形式的には〈田神迎え〉と〈田神送り〉の模倣行為を主体としているが、世襲大嘗祭では、その祭儀空間と時間とが極度に〈抽象化〉されているために、〈田神〉という土地耕作につきまとう観念自体が無意味なものとなる。そこで天皇は司祭であると同時に、みずからを民俗祭儀における〈田神〉とおなじように〈神〉として擬定する。かれの人格は司祭と、擬定された〈神〉とに二重化せざるをえない。

 私のような解釈だと、大嘗祭の第二の核心問題
「悠紀殿・主基殿に寝具が用意されるのは何故か。」
の答は古田さんの解釈に同調することになる。しかしこの第二の核心問題をも視野に入れたとき、私はやはり吉本理論に軍配を挙げざるを得ない。では吉本理論ではこの第二の核心問題はどのように論じられているだろうか。

 吉本さんは「田の神」の農耕祭儀は、『古事記』の説話や古代メキシコのトウモロコシ儀礼の「対幻想―共同幻想」の構造を継承しつつ、それをより高度に象徴化したものととらえている。つまり、前回に論じられた『古事記』の説話や古代メキシコのトウモロコシ儀礼の論旨の延長上で論じられることになる。

 この農耕祭儀では、女性が穀母神の代同物として殺害されることもなければ、殺害の擬態行為も演じられていない。その意味で『古事記』説話よりも高度な段階にあるといえよう。そのかわりに、対幻想そのものが共同幻想に同致される。

 「二匹腹合せ」の魚や「大根」(二股大根)は、いわば一対の男女の〈性〉的な行為の象徴であり、穀神は「夫婦神」として座敷にむかえられる。ここでは夫婦である穀神は〈家〉に迎えられて〈性〉的な行為の象徴を演じ、その呪力は御供物をたべた主人夫婦と種籾にふきこまれる。

 夫婦の穀神が〈死〉ぬのは、たぶん「若木迎への日」においてであり、「若木」はおそらくは穀神のうみだした〈子〉を象徴するものである。そしてこの〈子〉神が「田打ち」の田にはこばれたとき豊作が約束されるという機構になっている。

 この民俗的な農耕祭儀は、耕作の場面である田の土地と、農民の対幻想の現実的な基盤である〈家〉のあいだの〈空間〉と、12月5日から2月10日までの〈時間〉のあいだに対幻想が共同幻想に同致される表象的な行為が演ぜられる点に本質的な構造があるといえる。そのあいだに対幻想が死滅し、かわりに〈子〉が〈生誕〉するという行為が、象徴的に農耕社会の共同幻想とその地上的利害の表象である穀物に封じこめられる。

 この奥能登におこなわれている農耕祭儀が、さきにあげた『古事記』の説話や、古代メキシコのトウモロコシ儀礼よりも高度だとかんがえられる点は、対幻想の対象である女性が共同幻想の表象に変身するという契機がここにはなく、はじめから穀神が一対の男女神とかんがえられ、その対幻想としての〈性〉的な象徴が共同幻想の地上的な表象である穀物の生成と関係づけられているということである。

 したがってあくまでも対幻想の現実的な基盤である〈家〉とその所有(あるいは耕作)田のあいだの問題として祭儀の性格が決定されている。ここには対幻想が、あきらかに農耕共同体の共同幻想にたいして相対的に独立した独自な位相を獲取していることが象徴されている。

 これが大嘗祭では次のように抽象化される。

 そこで悠紀、主基殿にもうけられた〈神座〉にはひとりの〈神〉がやってきて、天皇とさしむかいで食事する。民俗的な農耕祭儀では〈田神〉は一対の男・女神であった。大嘗祭で一対の男女神を演ずるのは、あきらかにひとりの〈神〉とみずからを異性の〈神〉に擬定した天皇である。

 悠紀主基殿の内部には寝具がしかれており、かけ布団と、さか枕がもうけられている。おそらくはこれは〈性〉行為の模擬的な表象であるとともになにものかの〈死〉となにものかの(生誕〉を象徴するものといえる。

 このように大嘗祭の祭儀が「空間的にも時間的にも〈抽象化〉されている」ものだとすれば、「穀物の生成をねがうという当為」(西郷信綱)とか「純然たる入魂儀式」(折口信夫)のような平板な解釈は成り立ちようがない。吉本さんは次のように続けている。

 むしろ〈神〉とじぶんを異性〈神〉に擬定した天皇との〈性〉行為によって対幻想を〈最高〉の共同幻想と同致させ、天皇がみずからの人身に世襲的な規範力を導入しようとする模擬行為を意味するとしかかんがえられない。

 わたしたちは、農耕民の民俗的な農耕祭儀の形式が〈昇華〉されて世襲大嘗祭の形式にゆきつく過程に、農耕的な共同体の共同利害に関与する祭儀が規範力〈強力〉に転化するための本質的な過程をみつけだすことができよう。それをひと口にいってしまえば、共同社会における共同利害に関与する祭儀は、それが共同利害に関与するかぎり、かならず規範力に転化する契機をもっているということである。

 そしてこの契機がじっさいに規範力にうつってゆくためには、祭儀の空間性と時間性は〈抽象化〉された空間性と時間性に転化しなければならない。この〈抽象化〉によって、祭儀は穀物の生成をねがうというような当初の目的をうしなって、いかなる有効な擬定行為の意味をももたなくなるかわりに、共同規範としての性格を獲得してゆくのである。

 民俗的な農耕祭儀では、〈田神〉と農民とはべつべつであった。世襲大嘗祭では天皇は〈抽象〉された農民であるとともに、〈抽象〉された〈田神〉に対する異性〈神〉として自己を二重化させる。だから農耕祭儀では農民は〈田神〉のほうへ貌をむけている。しかし世襲大嘗祭では天皇は〈抽象〉された〈田神〉のほうへ貌をむけるとともに、みずからの半顔を、〈抽象〉された〈田神〉の対幻想の対象である異性〈神〉として、農民のほうへむけるのである。祭儀が支配的な規範力に転化する秘密は、この二重化のなかにかくされている。なぜならば、農民たちがついに天皇を〈田神〉と錯覚することができる機構ができあがっているからである。

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