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《真説古代史・近畿王朝草創期編》(4)

大嘗祭とはなにか(3)

 まずキーワード(赤字部分)を一つ一つ取り上げていこう。(古田さんはそれぞれを詳しく論証しているが、ここでは論証は最小限にして、過去の記事で既に取り上げている事項については結論だけを確認しておく。)

「天(あま)」

 「天」はいわゆる"美字"であり、もともとは「海人(あま)」の意である。「天つ国」とは「天つ神」の住まう国であり、具体的には対馬・壱岐など対馬海流上の島々を指す。「天神」は天照大神のことではない。祝詞では「皇親(すめむつ)」と表現されている「神ろき・神ろみ」という二神を指す。対馬に「天神神社」がある。天照大神を祭る「阿麻氐留神社」も対馬にある。

皇御孫

 天照大神の孫「ニニギノミコト」のことである。祝詞はニニギの「天孫降臨」で始められている。ニニギが天下った地は「竺紫(ちくし)の日向(ひなた)の久士布流多氣(くしふるだけ)」(『古事記』)である。これは宮崎県の高千穂山ではない。博多湾岸と糸島郡との間の高祖山連峰には日向峠・日向山・日向川などがあり、「くしふるだけ」もチャンと存在している。高祖山を中心とする連山こそ「天孫降臨の地」である。

大倭日高見之国

 この語句には初めて出会ったので少し詳しく書こう。

 「倭」・「大倭」は「天智紀」末年以降では「やまと」「おおやまと」と読み、「大和(奈良)」を指しているが、それ以前の文章では「ちくし」・「おおちくし」と読むのが正しい。(例えば『万葉集』などの史料で「倭」が出てきた場合、それが「ちくし」を指すか、「やまと」を指すかはその前後の文脈から判定しなければならない。)

 ニニギノミコトを『古事記』では「天津日高日子番能邇邇藝命」と呼んでいる。岩波大系ではこれを「あまつひこひこほのににぎのみこと」と訓じている。「日高」「日子」とわざわざ違った表記を用いているのに両方とも同じ「ひこ」と読むのは変だ。古田さんは「あまつひたかひこほのににぎのみこと」と訓じている。「伊波禮毘古(いわれひこ)」(神武)の例に見るように、「ひこ」の上の「日高」は地名である。

 対馬の北端やや東よりの所に「比田勝」という地がある。対馬海流の激流を避けうる地であり、弥生時代には繁栄した港津であったろう。

 「比田勝」は「日高津」である。「ひたかひこ」とは「日高」に拠点を持った「長官」という意となる。ニニギは対馬(少なくとも上県郡)を支配していた。ちなみにニニギの子も「天津天津日高日子穗穗手見命」であり、そのまた子の名も「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命」(「伊波禮毘古」の父)と、同じ称号を継承している。つまり「天津日高日子」という称号は、本来対馬北部の長官を表わしたものであったが、「天孫降臨」後も「大倭(ちくし)」の大王の尊称として使われたと考えられる。

 次に「日高見」の「み」はなにか。「ひたかみ」は「日高の海」または「日高の神」(「かみ」は接頭語「か」+語幹「み」、「~み」と呼ぶ神も多い)であろう。

 以上より「大倭日高見之国」は本来対馬北部を呼ぶ国名だったものが「天孫降臨」後に「筑紫を中心とする地域」の名として使われるようになった。

「天つ罪」と「国つ罪」

 祝詞は「天孫降臨」にともなう問題として「雑雑(くさぐさ)の罪」を列挙している。そしてその罪を祓うのがこの祝詞の目的である。

 「国譲り」を受けて平和裡に「天孫降臨」したという『古事記』が描く"美談"が隠している罪悪(残虐な武力行使)があったことをこの祝詞が見せつけている。『日本書紀』には武力行使の片鱗を示す一文がある。(「神代下」第九段本文)

是に、二の神(経津主神・武甕槌神)、諸(もろもろ)の順(まつろ)はぬ鬼神等を誅(つみな)ひて、果して以て復命す。〔一に云う、二の神、遂に邪神及び草木石の類を誅ひて、皆巳(すで)に平げぬ。其の服せざる者は、唯星の神、香香背男のみ。故、また倭文神(ひとりがみ)建葉槌命を遣はせば服しぬ。故、二の神天に登る、といふ。〕

 「草木石」の類が誅殺の対象とされているが、この祝詞の中で語られている「語(こと)問ひし磐ね樹立、草の片葉(かきは)をも語止(や)めて」と共通している。これは「草木石」を"信仰対象"とする、旧石器・縄文以来の民衆を指しているものと思われる。

 さて、「天つ罪」のうち「畔放ち・溝埋)み・樋放ち・頻蒔き・串指し」(「串指し」は田畑に呪いの串を刺すこと、あるいは田畑に串を押し立てて耕作の邪魔をすることという説もある)の五つは農地の管理・占有に対する破壊行為である。

 生け剥ぎ・逆剥ぎ・屎戸については「定説」は「暴風雨」の災害としている。罪とは"人間の行為"に関する概念であるから、この解釈はおかしい。「屎戸」は、スサノオの悪行の一つでもあったが、文字通り悪質な"嫌がらせ"と考えてよいだろう。「生け剥ぎ・逆剥ぎ」については古田さんは、獣や魚の皮剥には神聖なルールがあって、そのルールを破る罪ではないかという説を出している。そのようなルールがあり得ることは、例えばアイヌのイヨマンテを想起すればよいだろう。

 ここでは一つ一つの罪がどういう罪なのかについてはこれ以上深入りする必要はないだろう。ポイントはこれらの罪の中心は「農業に対する破壊行動」であり、これがなぜ「天つ罪」と呼ばれるのだろうかという点にある。古田さんは「天孫降臨」(侵略戦争)のときの「天つ国側からの『加害』」ということで「天つ罪」と呼んでいると解釈しているが、この点には私には異論がある。後ほど述べよう。

 次は「国つ罪」。
 現代の私たちからは全く理解しがたい「罪」がある。例えば「生膚斷ち・死膚斷ち」。天つ罪の「皮剥」が獣や魚が対象だったのに対して、これらは明らかに対象は人間である。これについての従来の説明は通り一遍で陳腐なものだ。古田さんの次のような仮説は私にはとてもよく納得できる。

 『魏志倭人伝』が描く邪馬壹国の習俗・習慣の中に「男子は大小なく皆鯨面文身す。」という身体への「入れ墨」がある。この入れ墨によって、その男が倭国のどの国に属するどのような身分の者かが分かったという。この入れ墨は男たちの身分を保障するシンボルのようなものであった。このような習俗は邪馬壹国の時代(弥生期後半)に忽然と現れたわけではないだろう。この習俗は、入れ墨のデザインはいろいろと変化してきただろうが、天孫降臨の時代(弥生前期)から受け継がれてきたと考えてもよいのではないだろうか。

 「生膚斷ち・死膚斷ち」とは「天孫降臨」という侵略戦争で敗れた側のシンボルを消して奴隷化したり、戦死した者を傷つけて辱めた行為ではないだろうか。天つ国による征服によって大きな社会変動・身分変動が起こっただろうことは容易に想像できよう。新権力による公的な変動のほかに、戦闘時の直接的・暴力的な「生膚斷ち・死膚斷ち」もあったに違いない。

 「おのが毋犯せる罪・おのが子犯せる罪・母と子と犯せる罪・子と母と犯せる罪」なども戦乱の中での戦士たちのあるまじき犯罪行為と解することができる。

 そのほかの「国つ罪」についても、古田さんは詳細に論じているが省略する。古田さんは全ての「国つ罪」を天国の侵略時のまがまがしいさまざまなトラブルとして説明している。しかし、私は全てを侵略戦争時の「罪」と考えなくともよいと思う。「畜犯せる罪・昆ふ虫の災・高つの災・高つ鳥の災・畜朴し、蟲物する罪」などは国家以前の共同体の頃からの「掟」(法)に関わる「罪」と考えられよう。

 この祝詞は、以上のような罪悪を祓う("帳消し"にし、"無罪放免"にする)ための「まじない」である。しかもその祓うべき「罪」の持ち主は、「天皇が朝廷」であり「諸官司」であり「天の益人等」であった。つまり、これは権力の中枢部での「国家的儀式」であった。

 ところで先に私は、天つ罪を侵略戦争時の「天つ国側からの『加害』」とする古田さんの解釈に異論があると述べた。そのことにふれておこう。

 天国は海洋部族であり、主産業は農業ではなかった。海産物や海の利を生かした交易がその主な産業だったろう。朝鮮半島経由で得た金属武器を持ち、武力面では圧倒的な優勢を誇っていたその天国が、畑作だけでなく水田耕作も盛んであった「瑞穂の国」(筑紫)の富は垂涎の的であったろう。その富の収奪が目的で筑紫に侵略した。これが「天孫降臨」の真の姿だ。そうだとすると侵略者は、侵略の目的である富の源泉(農業施設)を故意に徹底的に破壊するようなことはないだろう、と私は考える。

 私の解釈では「天つ罪」(農業への破壊行為)はもともと征服された側(筑紫)の国々に設定されていた「掟」(法)に盛り込まれていた「国つ罪」であった。そして祝詞で「国つ罪」とされている「罪」こそはもともとは天国の「罪」つまり「天つ罪」であった。そう、ここで私は吉本理論を思い出している。筑紫の群立国家で支配的であった「掟・罪」(国つ罪)と、その諸国家に覆いかぶさってきた統一国家勢力(天国)の「罪」(天つ罪)が交換されたのだ。その交換によって、天国が筑紫において「それ以前からあたかも存在したが如くに」その国家権力を確立していったのだ。

蛇足を一つ。
 従来は「天つ罪・国つ罪」がどのように解釈されていたのか知ろうと、岩波大系本の頭注のほかに、ウィキペディアの記事を読んでみた。それによると、現在は
「神社本庁およびその配下の神社で用いられる大祓詞では、国つ罪に差別的な表現があるとして、天つ罪・国つ罪の罪名の部分はカットされている。すなわち、現在の大祓詞で「天つ罪 国つ罪 許許太久(ここだく)の罪出でむ」
とだけになっていてそうだ。これではますます本来のこの祝詞の意味するところが不明になってしまう。訳の分からない祝詞を聞いて何をありがたがっているのだろう。

 大体、祝詞は「皇御孫(すめみま)」(ニニギ)を頂点とする部族国家(あるいはその国家の共同幻想)を言祝いだり祓ったりするもので、祝詞そのものがその時代の「差別」の所産である。「差別的な表現」が気になるのなら、そんな時代錯誤の儀式そのものをきっぱりと止めたらどうだ。それは史料としてだけ残せばよい。
蛇足でした。
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