2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《真説古代史・近畿王朝草創期編》(3)

大嘗祭とはなにか(2)

 「天武紀」には「大嘗す」という記事がないのに祭祀に関わった者たちへの褒美授与の記事があるのは何故か。古田さんは「確認はできませんけど、非常に魅力的な仮説」ということで香川さんという方の次のような仮説を紹介している。

 天武に殺された大友皇子は明治になってから弘文天皇という諡号を付け天皇として扱っている。『日本書紀』は反逆者・天武の大義名分を主張するための「正史」だから当然のことに、大友皇子の方が反逆者であり大友皇子を天皇として扱っていない。しかし大友皇子は実際には天皇として即位したではないか。もしそうだとすると、弘文天皇によって大嘗祭が行なわれていて、そのときの「褒美の記事」だけが「天武紀」に使われたのではないか。

 文献的には近畿王朝で大嘗祭を最初に行ったのは持統であった。上の仮説が正しいとすれば最初の大嘗祭を行ったのは大友皇子(弘文)ということになるが、いずれにしてもそれは近畿王朝の独創したものではあり得ない。その様式が整えられるまでには多くの時間を要したはずである。大嘗祭を創出したのは九州王朝であり、近畿王朝の大嘗祭はそれを踏襲しただけである。

 すると「天武紀」の大嘗祭記事についてのもう一つの仮説として、九州王朝で行われた大嘗祭の記事の盗用が考えられる。少なくとも白村江の戦いで捕虜になった筑紫君・薩夜麻(さちやま)までは九州王朝で大嘗祭が行われていた。

 大嘗という言葉は相当古くから使われていたと思われる。『古事記』の「スサノオノミコト(須佐之男命 日本書紀では「素戔嗚尊」と表記されている)の勝ちさび」の段に出てくる。

ここに速須佐之男命、天照大御に白(まを)ししく、「我が心清く明し。故(かれ)、我 が生める子は手弱女(たわやめ)を得つ。これによりて言(まを)さば、自ら我勝ちぬ。」と云(まを)して、勝(かち)さびに、天照大御の營田(つくだ)の畔(あ)を離(はな)ち、その溝(みぞ)を埋(うづ)め、またその大嘗(おほにへ)を聞(き)こしめす殿(との)に尿(くそ)まり散らしき。汝(かれ)、然爲(しかす)れども天照大御は咎めずて告(の)りたまひしく、「屎如(くそな)すは、酔い醉(ゑ)ひて吐き散らすとこそ、我(あ)が汝弟(なせ)の命(みこと)かく爲(し)つらめ。また田の畔(あ)を離ち、溝を埋むるは、地を惜(あたら)しとこそ、我が汝弟の命、かく爲つらめ。」と詔(の)り直(なほ)したまへども、なほその悪しき態(わざ)止まずて轉(うたて)ありき。天照大御神、忌服屋(いみはたや)に坐(ま)して、御衣(かむみそ)織らしめたまひし時、その服屋(はたや)の頂(むね)を穿(うが)ち、天(あめ)の斑馬(ふちこま)を逆剥(さかは)ぎに剥ぎて堕(おと)し入るる時に、天の服織女(はたおりめ)見驚きて、稜(ひ)に陰上(ほと)を衝(つ)きて死にき。

 『日本書紀』では「大嘗」は「新嘗」となっている。一般に『古事記』と『日本書紀』で共通の記事がある場合、『古事記』の方が原型であり、『日本書紀』の記事は作為的な改竄がされているとみなされる。「スサノオノミコトの勝ちさび」段でもそのことがよく読み取れる。例えば「(服織女が)稜に陰上を衝きて死にき。」という、おおらかというかあからさままというか、野卑的な表現が、「(天照大神が)梭を以て身を傷ましむ。」という穏当な表現に変わっている。『日本書紀』の方の記事も引用しておこう。

この後(のち)に、素戔鳴尊の爲行(しわぎ)、甚だ無状(あづきな)し。何(いかに)とならば、天照大神、天狭田(あまのさなだ)・長田(ながた)を以て御田(みた)としたまふ。時に素戔鳴尊、春は重播種子(しきまき)し、また畔(あ)毀(はなち)す。秋は天斑駒(あまのぶちこま)を放ちて、田の中に伏す。また天照大神の新嘗(にいなめきこ)しめす時を見て、則ち陰(ひそか)に新宮(にいなえのみや)に放[尸+矢](くそま)る。また天照大神の、方(みざかり)に衣(かむみそ)を織りつつ、齋服殿(いみはたどの)に居(ま)しますを見て、則ち天斑駒を剥(さかはぎには)ぎて、殿(おほとの)の甍(いらか)を穿ちて投げ納(い)る。この時に、天照大神、驚動(おどろ)きたまひて、梭(かび)を以(も)て身(み)を傷(いた)ましむ。

 上の記事は近畿王朝が踏襲した大嘗祭の原型はアマテルやスサノオの時代(弥生早期)にはあったということを示している。そして、ここに出てくるスサノオの悪行は「六月晦大祓」という祝詞(のりと)に書かれている天つ罪である。また「大嘗祭」という祝詞もある。祝詞は、それこそ縄文時代にまでさかのぼれそうな古い言葉である。祝詞も真実の古代史を知るための史料の宝庫である。

 ここで祝詞「大嘗祭」を取り上げようと思っていたが、また横道のそのまた横道に入ることにした。図書館で物色していたら古田さんの著書『まぼろしの祝詞誕生』が目に入って借りて来た。そこでは「六月晦大祓」が取り上げられている。「大嘗祭」をよりよく理解する上で、「六月晦大祓」が密接に関わっているようなので、まずこれを読んでみることにことにした。まずは祝詞「六月晦大祓」の全文を掲載する。

(訓読みは(日本古典文学大系『古事記・祝詞』から。長くしかもかなり古い文である。意味のよくわからない部分もあり、このような文を読み慣れていない私にはちとつらいので、一区切り毎に古田さんによる「大意」を挟んでいくことにした。なお、赤字部分はこの祝詞を解読するためのキーワードを示している。)

六月(みなづき)の晦(つごもり)大祓(おほはらへ)
 〔十二月(しはす)はこれに准(なら)へ〕

「集侍(うごなわ)はれる親王(みこたち)・諸王(おほきみたち)・諸臣(まえつぎみたち)・百(もも)の官人等(つかさじとたち)、諸(もろもろ)聞(きこ)しめせ」と宣(の)る。


「(朝廷に)集りひかえいる、親王・諸王・諸臣・多くの官人たち、皆、お聞きなさるように。」と宣告する。

「天皇(すめら)が朝廷(まかど)に仕へまつる比礼(ひれ)挂(か)くる伴(とも)の男(を)・手襁(たすき)挂くる伴の男・靫(ゆき)負ふ伴の男・剣(たち)佩(は)く伴の男・伴の男の八十伴(やそとも)の男を始めて、官官(つかさづかさ)に仕へまつる人等(ひとども)の、過ち犯しけむ雑雑(くさぐさ)の罪を、今年の六月の晦の大祓に、祓へたまひ清めたまふ事を、諸聞食せ」と宣る。

「『天皇の朝廷』に仕えたてまつる、〝ひれをかけた伴の男(おそばに仕える人々)″〝たすきをかけた伴の男″〝やぎ(矢入りの具)を負うた伴の男″〝剣を身につけた伴の男″ーこれらの多くの伴の男たちをはじめ、各官司に仕えたてまつる人々が過ち犯したであろうと思われる、さまざまの罪を、今年 の六月の大祓で、祓い清めたまう言葉を、皆、お聞きなさるように。」と宣告する。

(ここまではいわば「序」で、これから祝詞を挙げるぞと宣言している。以下が祝詞の本体になる。)

①〔天孫降臨の決定〕
「高の原に神留(かむづま)ります皇親(すめむつ)神(かむ)ろき・神ろみの命もいちて、八百萬の神等(かみたち)を神集(かむつど)へに集へたまひ、神議(はか)りに議りたまひて、『我が皇御孫(すめみま)の命は、豊葦原の水穂の國を、安國と平らけく知ろしめせ』と事依(ことよ)さしまつりき。

「高天原におこもりになっておられる、皇神の、神ろき、神ろみの命の仰せで、ありとあらゆる神々を集め、御相談なさって、『わが皇御孫の命(天照大神の孫であるニニギノミコトのこと。)は、豊葦原の水穂の国を、安らかな国になるように、統治しなさい。』と(ニニギノミコトに)委嘱された。

②〔天孫降臨の実行〕
かく依さしまつりし國中(つぬち)に、荒ぶる神等をば、神問(なむと)はしに問はしたまひ、神掃(はら)ひに掃ひたまひて、語(こと)問ひし磐ね樹立、草の片葉(かきは)をも語止(や)めて、天の磐座(いわくら)放れ、天の八重雲をいつの千別(ちわ)きに千別きて、天降し依さしまつりき。

このように委嘱なきった、(豊葦原の水穂の)国の中で、乱暴している神々(荒ぶる神等)に問いたずね、これを追いはらい、(不平など)言いつのっていた磐の根の木立ちや草葉の類いもおとなしくなったので、(ニニギノミコトを〉天国の八重雲をかきわけて天降し、この国の統治を委嘱なさった。

③〔天孫降臨後の宮殿造営〕
かく依さしまつりし四方(よも)の國中に、大倭日高見(おほやまとひたかみ)の國を安國と定めまつりて、下(した)つ磐(いは)ねに宮柱太敷き立て、高天の原に千木(ちき)高知りて、皇御孫の命の瑞(みづ)の御舎(みあらか)仕へまつりて、

(ニニギノミコトは)このように、(天国の神々が)統治を委嘱なさった、四方の国々の中で、「大倭日高見の国」を安らかな国としてお定めなさって、その地に、下の磐には宮柱を太く建て、高天原に向かって千木を高くそびえさせ、皇御孫の命(ニニギノミコト)の麗わしい御殿をお建てになった。


天の御蔭・日の御蔭と隠(かく)りまして、安國と平らけく知ろしめさむ國中に、成り出でむ天の益人等(ますひとら)が過(あやま)ち犯しけむ雑雑(くさぐさ)の罪事は、天つ罪と、畔放(あはな)ち・溝埋(みぞう)み・樋放(ひはな)ち・頻蒔(しきま)き・串刺(くしさ)し・生(い)け剥(は)ぎ・逆(さか)剥ぎ・屎戸(くそへ)、許多(ここだく)の罪を天つ罪と法(の)り別けて、國つ罪と、生膚(いきはだ):斷ち・死膚:斷ち・白人(しろびと)・こくみ・おのが毋犯せる罪・おのが子犯せる罪・母と子と犯せる罪・子と母と犯せる罪・畜(けもの)犯せる罪・昆(は)ふ虫の災(わざわい)・高つの災・高つ鳥の災・畜朴(けものたふ)し、蟲物(まじもの)する罪、許多(ここだく)の罪出でむ。

その宮殿の中に、(ニニギノミコトは、天孫降臨の事業の成就を)天国の神々や日の大神(天照大神。祖母)のおかげと感謝しつつお住まいになり、(この豊葦原の水穂の国、その中心の降臨地としての「大倭日高見の国」を)安らかな国として、平らかに統治しようとなさると、その国の中に数多く住むようになった、天国の人々(天の益人)が過ち犯したような、その罪事は、次のようだ。

天(あま)国の罪
〝田のあぜを破壊すること″〝溝を埋めること″〝木で作った水の通路を破壊すること″〝かさねて種子をまくこと″〝他の田に棒をさし立てて横領すること″〝動物の皮を生きたまま剥ぐこと″〝動物の皮を逆さに剥ぐこと″〝きたないものを(戸のそばなどに)まきちらすこと″など、たくさんの罪を天国の罪と定め別ける。

国の罪
〝生きた人のはだを切ること″〝死んだ人のはだを切ること″〝はだの色の白くなった人″〝こぶのできること″〝自分の母を犯した罪″〝自分の子を犯した罪″〝母と子と犯した罪″〝子と母と犯した罪″〝家畜を犯した罪″〝這う虫(ヘビ・ムカデなど)の災難″〝高地の神の災難″〝高地の鳥の災難″〝家畜を斃(たお)したり、まじないをして相手をのろう罪″など、たくさんの罪がいろいろと出てくることだろう。


かく出でば、天つ宮事もちて、大中臣(おほなかとみ)、天つ金木(かなぎ)を本(もと)うち切り末うち断ちて、千座(ちくら)の置座(おきくら)に置き足(たら)はして、天つ菅麻(すがそ)を本苅(もとか)り断ち未苅り切りて、八針(やはり)に取り辟(さ)きて、天つ祝詞の太祝詞事(ふとのりとごと)を宣れ。

このように(たくさんの罪が)出てくれば、天津宮(天国の宮殿)のやり方に従って、大中臣(中臣氏の祖先。神祇を司る。「大 ― 」は美称。)の者が、天国の清らかで堅い木の上下を切り去り、たくさんの祭祀の物を置く神聖な台の上にたっぷりと置いて、天国の清らかな菅(すげ)のほそく裂いたものの上下を切り去り、八つの針で細かに切り割(さ)いて、(これらの準備がととのったら、その祭儀の場で〉天国の祝詞の、太祝詞(立派な祝詞)の言葉を宣告せよ。


かく宣らば、天つは天(あめ)の磐門(いはと)を押し披(ひら)きて天の八重雲をいつの千別(ちわ)きに千別きて聞しめさむ。國つは高山の未・短山(ひきやま)の末に上(のぼ)りまして、高山のいゑり・短山のいゑりを撥(か)き別けて聞しめさむ。

このように宣告するならば、天国の神は天国の磐門(堅固な門)を押し開き、天国の八重雲をかき別け、かき別けして、(この祝詞を)お聞きになられよう。国(豊葦原の水穂の国)の神は高山のはしや低山のはしにお上りになって、高山の「いゑり」(雲霧の意か)や低山の「いゑり」をかき別けて、(この祝詞を)お聞きになられよう。


かく聞しめしては皇御孫の命の朝廷を始めて、天の下四方の國には、罪といふ罪はあらじと、科戸(しなど)の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く、朝(あした)の御霧(みきり)・夕べの御霧を朝風・夕風の吹き掃(はら)ふ事の如く、大津邊(おほつべ)に居(ゐ)る大船を、舳(へ)解き放ち・艫(とも)解き放ちて、大海(おほみ)の原に押し放つ事の如く、彼方(をちかた)の繁木(しげき)がもとを、境鎌(やきがま)の敏鎌(とがま)もちて、うち掃(はら)ふ事の如く、遺(のこ)る罪はあらじと祓(はら)へたまひ清めたまふ事を、高山・短山の末より、さくなだりに落ちたぎつ速川(はやかは)の瀬(せ)に坐(ま)す瀬織(せおり)つひめといふ、大海の原に持ち出でなむ。かく持ち出で往(い)なば、荒鹽(あらしほ)の鹽の八百道(やほぢ)の、八鹽道(やしほぢ)の鹽の八百會(やほあひ)に坐(ま)す速開(はやあき)つひめといふ、持ちかか呑みてむ。かくかか呑みては、氣吹戸(いぶきど)に坐す氣吹戸主(いぶきどぬし)といふ、根の國・底の國に氣吹き放ちてむ。かく氣吹き放ちては、根の國・底の國に坐す速(はや)さすらひめといふ、持ちさすらひ失ひてむ。

(天国や水穂の国の神々が)このように(この祝詞を)お聞きとどけになると、「皇御孫の命(ニニギノミコト)の朝廷」をはじめとして、天国の統治する、四方の国々には、罪という罪は消え失(う)せるように、と、風の吹きおこるところから、吹き立つ風が、天国の八重雲を吹きはらうときのように、朝の御霧(海の霧か)・夕べの御霧を朝風・夕風が吹きはらうときのように、大きな港のほとりにもやいする大船を、舟の先やうしろの綱を解きはなして、大海の原に押しはなつときのように、彼方の生(お)いしげった木のもとを、火で鍛えた鋭い鎌でうちはらうときのように、遺(のこ)る罪はもはやないようにと、祓い清めたまうとき、その高山・低山の麓から、勢いよく落ちたぎる、〝速川の瀬〟にいらっしゃる 『瀬織つひめ』という神が、(その罪という罪を)大海の原に持ち出してしまうだろう。このように持ち出していってしまうと、海の潮流のもみあうところ、そのもみあうところの潮流の中の〝八百屋会″にいらっしゃる『速開つひめ』という神が、海の中に流れ出た罪を勢いよく呑みこむだろう。このように呑みこむと、息を吹くところの〝気吹戸″にいらっしゃる『気吹戸主』という神が、根の国・底の国へと息で吹き飛ばしてしまうだろう。このように息で吹き飛ばすと、〝根の国・底の国″にいらっしゃる『速さすらひめ』という神が、持ちさすらって(これらの罪を)消え失わせてしまうだろう。

(祝詞の本体はここで終り。以下は終了宣言。)

かく失ひては、天皇が朝廷に仕へまつる官官の人等を始めて、天の下四方には、今日より始めて罪といふ罪はあらじと、高天の原に耳振り立てて聞く物と馬牽(ひ)き立てて、今年の六月の晦の日の、夕日の降(くだ)ちの大祓(おほはらへ)に、祓へたまひ清めたまふ事を、諸聞しめせ」と宣る。

「このように消え失われると、『天皇が朝廷』に仕えまつる各官司の人々をはじめとして、天国の統治下の四方には、今日という日をはじめとして、これより以後は、罪という罪は存在しないであろうと、高天の原に向かって耳をふり立てて聞くものとして、馬を引き立てて、今年の六月の晦の日の、夕日のくだるときの大祓に、はらい清めたまう言葉を、皆、お聞き下さい。」と宣告する。

「四國(よくに)の卜部等(うらべども)、大川道(ぢ)に持ち退(まか)り出でて、祓(はら)へ却(や)れ」と宣る。

「四国の卜部たち、大川の方に(これらの祭祀に用いた種々のものを)はらい流し去れ。」と宣告する。
スポンサーサイト
 コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
 トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/1436-edcbffb1
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック