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《「真説・古代史拾遺編》(124)
梅原猛「思うままに・二頭政治の善悪」をネタに


日本国の律令(2)


 日本国律令(大宝律令・養老律令)はおおむね北朝系の唐律令(新律令)を受けついで編纂された。従ってその内容の大部分は唐の影響で説明できる。しかし、それでは説明できない南朝系(古律令)の条文が入っていて、法制史上理解しがたい問題として今なお決着がついていないという。この問題に対して学者たちがどんな議論をしているのか、みてみよう。(増田論文より引用)

 この日本律令は、唐律令を継受して成立したものであるが、律の方は唐律より一般に刑を軽くした外には、大して改めたところもないが、令の方は我国在来の慣習に従って、かなり大きな変更を施しているとされてきた。

 しかし、石尾芳久らは、大宝・養老律の編纂は、固有刑法の伝統への深い顧慮のもとに行なわれたという。そして、曽我部静雄らによって、日本律令の条文の中には、魏晋南北朝の律令の影響を受けているものがあると指摘されている。

 井上光貞は、それは、古代の我国の国制が既に大化前代に、遠くは中国に由来し、朝鮮を経由した制度によって一応枠づけられ、律令法の体系的摂取は、この上に重層的にしかも大化前代の構造体を保存したまま、行なわれたからであろうという。

 唐律令の影響では説明できない部分について、慣習法の影響、伝統的刑法への配慮、朝鮮経由の前代の制度の保存などなどで説明しようとしている。どれもどうにも歯切れの悪い説明である。何度でも言うがヤマト王権一元主義の宿痾である。しかしこの問題は、「磐井の律令」や「多利思北孤の律令」など、先行する「倭国の律令」があったことを知っている私(たち)には、むしろ当り前の話ということになる。

 日本国はもとは倭国を本家とする分家国家であった。その本家の方に既に律令があった。分家が本家の律令に無関心だったり知らなかったはずがない。「倭国の律令」に大きな影響を受けていたはずである。近江令・飛鳥浄御原令と呼ばれているものはなかった。それは「倭国の律令」のことである。

 「日本国の律令」(大宝律令・養老律令)は推古期以来朝貢していた唐の新律令を真似て編纂されたが、当然「倭国の律令」の大きな影響下での作業であった。一部に古律令系の条文が残るのは当然ではないだろうか。しかし倭国を抹殺しようとしていた日本国は、「倭国の律令」の影響を公式記録に残すことはできない。例えばつぎのように粉飾することになる(『続日本紀』701(大宝元)年8月3日の記事)。

三品の刑部親王・正三位の藤原朝臣不比等・従四位下の下毛野朝臣古麻呂・従五位下の伊吉連博徳。伊余部連馬養らをして、律令を撰定せしむ。是において始ねて成る。大略は浄御原の朝庭を准正と為す。

 「倭の律令」の影響を示す一例を挙げよう。「磐井の律令」に裁判官として解部(ときべ)という部名があった。これは明らかに和語である。中国では古律令にも新律令にもこの語はない。つまり、解部は「磐井の律令」独自の用語である。この解部が『養老律令』職員令の刑部省と治部省の条に現われる。前回紹介したサイト『現代語訳「養老令』によると次のようである。

〈刑部省〉
大解部〔おおいときべ〕10人。{職掌は、争訟を問窮〔もんきゅう〕(=追究・審問)すること。}
中解部〔なかのときべ〕20人。{職掌は大解部と同じ。}
少解部〔すないときべ〕30人。{職掌は中解部と同じ。}

〈治部省〉
大解部〔おおいときべ〕4人。{職掌は、譜第(=系譜の次第)の争訟を鞫問〔きくもん〕(=鞫〔と〕い問う=追究・審問)すること。}
少解部6人。{職掌は大解部と同じ。}

 なお、解説で「当時の裁判」を次のように説明している。

 裁判は、まず解部の審問を経た後に、判事・刑部卿の再審問を受けることになっています。

 裁決は「律」(大宝律・養老律)に定められた「五罪」=「笞〔ち〕(=鞭打ち)・仗〔じょう〕(=笞よりも多い鞭打ち)・徒〔ず〕(内容は不明)・流〔る〕・死」に分けられ執行されます。

 ちなみに、「徒」の「内容は不明」と解説しているが、一般に「徒」は「労役に服させる刑」と説明されている。つまり「懲役刑」であろう。

 上の解部について、増田論文が詳しく論じているので、次に引用しよう。

 刑部省の大・中・少の解部は、争訟を問い窮めることを職掌とし、罪人に直接接触し、罪状を調べた。取調べに当たっては、拷問を実行する任に当たっていた。

 治部省の大・少の解部は、譜第の争訟を鞫問(きくもん)することを掌(つかさど)った。クガダチなどの神判も用いたことであろう。譜は系譜であり、第はその次第である。治部卿の職掌である本姓、すなわち氏姓の争訟を問うという重要な任務を負わされていた。

 そして、解部は、「其の解部は是れ別司と為す。同員に在(あ)らざる也。」(『令義解』治部省)とあるように、司法事務を管掌するある程度独立した品官であった。

 しかし、養老官位令によると、刑部大解部は従七位下、刑部中解部および治部大解部は正八位下、刑部少解部および治部少解部は従八位下であって、その相当官位は刑部省・治部省の他の官人と比して格段に低い。解部は、裁判手続における中枢的位置を、もはや占めていなかったのである。

 養老令刑部省および治部省の制は、それぞれ唐の刑部大理寺および礼部太常寺の官制であるが、解部に相当する「別司」たる官職は唐制にはない。解部は、我国独特の官職であって、唐制の導入によって設けられたものではない。

 解部は、いわゆる大化前代の180部の一つであって、部民を率いて司法事務に携わった伴造・伴部の一種である。伴部は、原則として負名氏(なおひのうじ)の入色者から採用されることになっている(『延喜式」巻18・式部上)。負名氏とは、職業に関係ある名称を氏名とする氏であり、後に別の氏名を称しても、もと負名氏より出て祖先の職業を世襲していたものは、依然負名氏とされていた。

 養老職員令の官司は、多くの伴部が配属されているが、それらは、倭国固有の政治組織に遡るものである。解部は、物部氏の支族である苅間連・韓国連などから補任されている。解部をもって氏名としなかったのは、衆人の嫌悪するところであったのであろうという。

 そして、養老律令の下では、唐制にのっとった司法官吏が存在し、彼らによって合理的な俗法裁判制度が励行されるようになると、神判や拷問の技術を世襲する解部は不要となり有名無実の存在となった。桓武天皇延暦18(799)年4月辛丑詔勅(『類聚国史』巻107・職官部12)および平城天皇大同3(808)年正月20日詔勅(『類聚三代格』巻4・加減諸司官員并廃置事)によって、令制下70人置かれていた解部は、わずかに治部省の解部6人のみに削減された。磐井の律令のもと、栄光に輝いた解部の歴史に幕が引かれたのである。

 「倭国の律令」は日本国によって抹殺されてしまったが、逆に「日本国の律令」の中から南朝系の律令の影響を受けているといわれているものを検討すれば、「倭国の律令」の一端を垣間見ることができるだろう。増田論文はこの観点から、「戸令」(年令区分・戸籍の様式)・「田令」(方格地割)・「公式令」(牒式・解式…公式文書の様式を定めたもの)の検討を相当専門的に検討している。(ここでは割愛しますが、興味のある方は直接 『倭国の律令』 をご覧下さい。)

 最後に増田論文の結語を引用して律令問題というテーマを終わることにする。

 日本律令に規定された制度のなかで、唐律令に存在せず、魏晋南北朝に特有な制度や我国固有の慣習法といわれる制度は、倭国の律令に淵源を有している可能性が高い。そのような制度は、前記の他にも数多く日本律令の中に「緑児」のように眠っている。古田武彦の唱える多元史観の手によって、ゆり起こされるのを待っているかのように。

 例えば、仕丁・采女・舎人の制度あるいは僧正・僧都制などは、魏晋南朝の制度の影響があるという。従来、そのような制度は、個々ばらばらに検討され、中国・朝鮮の制度を個別に受容したのであろう、あるいは固有法であろうという程度で、総合的に考察されることは少なかった。

 その原因は、「日本列島には、近畿天皇家以外に、律令を制定しうる公権力なしという、証明なき信仰に依拠していたため)」であろう。倭国=九州王朝に律令があったことを前提にして、始めてそれらは体系的な制度の一環として位置づけることができるようになり、その結果、倭国の歴史像の内容が一変することになるであろう。

 倭国が白村江の戦に敗れた663年から大宝元(701)年に至る期間は、近畿天皇家が倭国から日本列島の代表王者の地位・大義名分を奪取するために、列島各地の王者・豪族を、言向(ことむ)け平(やわ)し、あるいは討伐して、着々とその支配体制を築き上げ、新たな法体系を構築しつつあった時代といってよいであろう。

 『続日本紀』は、文武5(701)年3月甲午(21日)、「元を建てて大宝元年としたまふ。始めて新令に依りて官名・位号を改制す」という。近畿天皇家は、始めて独自の年号を制定し、始めて自ら制定した新令=大宝令によって官制・位階・服制を施行した。近畿天皇家は、日本列島の代表王者であることを宣言したのである。

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