2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《「真説・古代史拾遺編》(121)
梅原猛「思うままに・二頭政治の善悪」をネタに


続・「推古紀」のウソ八百(2)

「十七条の憲法」


 「律令体制」とか「律令国家」とか言うときの「律令」とは一体何だろうか。実は、私は高校で学んだ程度の知識で、何となく分かっているつもりで過ごしてきた。「十七条の憲法」を取り上げる前に、「律令」という概念の理解を深めておこうと思う。

(以下は、古田さんの著書『古代をゆるがす』の中の「十七条の憲法を作ったのはだれか」と講演録「大化の改新と九州王朝」を教科書としています。「古田さんによれば」というような断り書きを省きます。)

 律令の歴史を顧みると、その性格は発展し変わってきている。大きくは隋・唐代の律令とそれ以前の律令とはその性格が違う。これをそれぞれ「新律令」「古律令」と呼ぶことにする。

 古律令は秦の始皇帝に始まる。「律令」と言い「令律」とは言わないのにはそれなりの理由がある。始皇帝の古律令は、律が中心で令はそれを補ったもので、いわば付則にあたる。つまり刑法的な掟(律)が中心で、それを分けて丁寧に説明するのが令である。律が根本だから律が先になり「律令」。この古律令は漢・魏晋南北朝と受けつがれている。

 これに対して新律令は古律令とは概念が違う。令が法律の基本になる。令を補ったものが格式。令に対する補いが格で、それに対する補いが式である。令格式が中心になる。法律で令格式を作る。その規定(成文法)に背いた者を律で罰する。律はそういう役割になる。

 この新律令は、次のような意味で、現代法治国家の法律と同じ概念になる。つまり、法律に書いてある事に背くことをすれば罰せられる。逆に言えば、法律に書いてない事なら決して罰せられることはない。現代の刑法と同様に、新律令は“法律に書いてあることなら捕まえますよ、それ以外は、捕まえません”という約束をしていることになる。日本の近代法の概念はヨーロッパ、アメリカから学びとったものではあるが、基本概念は唐の律令格式、それに倣った「大宝律令」以来の伝統の中にあるということもできる。

 ここで思い出したことがある。高校で日本史を学んだとき、「大宝律令」以前に「近江令」とか「浄御原令」とかがあった。しかし、今回のテーマの参考資料をいろいろあさってきたが、どこでも「近江令」「浄御原令」は姿を現さない。この問題「日本国(倭国ではない)の律令の歴史」は後ほど取り上げることにして、今回の本テーマに入ろう。

「十七条の憲法」について

 「隋書俀国伝」で天子を名のる倭王・多利思北弧(たりしほこ)を聖徳太子とする「定説」がとんでもなく無茶苦茶な「珍論」であることは、既に 「日出ずる処の天子」 で明らかにした。隋の煬帝に強い不快感を与えたが、隋への国書の中で多利思北弧は自ら「天子」を名のっていた。

 一方周知のように、ヤマト王権の王は自らのことを「大王」と呼んでいた。天皇という称号は、本格的には、8世紀以後に使い出されたものである。それまでは基本は「大王」だった。ただし、7世紀前半にも使われている例が多少はある。例えば7世紀前半史料と思われる法隆寺の「薬師仏造像記」では、用明天皇のことを「天皇」、推古天皇を二回にわたって「大王天皇」といっている。

 中国の『資治通鑑(しじつがん)』という史料をみると唐代のところで第三代の天子の高宗は高宗天皇と表現されている。天皇という名称はもともとは「殿下」などと同じ敬称である。その上にくるものによって実質な地位や身分が分かる。高宗天皇といえば天子に対する敬称であり、大王天皇といえば大王に対する敬称となる。つまり「大王は天子ではない」。

 さて、「十七条の憲法」には重要な二つの特徴がある。ひとつは「篤く三宝を敬へ」という仏教崇拝の思想で、もうひとつは君臣の関係を述べたものだ。

三に曰く、詔を承りては必ず謹め、君をば天とす。臣をば地とす。天は覆ひ地は戴(の)す。四時順ひ行ひて、萬気通ふこと得。地、天を覆はむとするときは、壊(やぶ)るることを致さむ。是を以て、君言(の)たまふとことをば臣承る。上行ふときは下靡(なび)く。故、詔を承けては必ず慎め。謹まずは自づからに敗れなむ。

 つまり君はひとり、臣はひとつ。この関係をこわしてはいけないという君臣の秩序を強調している。「十七条の憲法」における重要な思想を表わしている。

 君臣という言葉は諸豪族の場合でも使えないことはないが、天子とその家来に使うのが本来のもっとも適切な用法である。ここでは「天地」にたとえているので「君臣」の用法もはっきりしている。天地はこの世にひとつ。天地が絶対であるように、君臣は絶対であり唯一であると言っている。これが、「天地」という言葉とともに使うときの、「君臣」と言う言葉の根底にある思想だ。

 中国の例で言うと、君臣だけだったら、魯とか斉とかいうところの国で使える。洛陽の天子だけに限られない。しかし魯や斉の君だったら、「君は天と同じ、臣は地に同じ」という絶対化はできない。

 ところがあの「十七条の憲法」は絶対化している。ということは「十七条の憲法」にとっての「君」は天子であるということになる。大王ではだめ。大王が「天と同じ」なんて言うことはできない。そうするとあの「十七条の憲法」は聖徳太子(ヤマト王権)のものではない。日本書紀の記事は、7世紀前半に九州王朝で倭王・多利思北孤が天子を称しはじめた段階で作られたものを、転用あるいは「盗用」したものであったということになる。
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