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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《「真説・古代史拾遺編》(120) 梅原猛「思うままに・二頭政治の善悪」をネタに

続・「推古紀」のウソ八百(1)

「冠位十二階」


 梅原氏は古代史から「善い二頭政治」の例を挙げ、それと対比して「鳩山・小沢の二頭政治」を「悪い二頭政治」としてこき下ろしていた。氏が取り上げていた「善い二頭政治」とは次のようである。

 日本で二頭政治が甚だ成果を挙げた例がある。それは、表の頭に元明及び元正天皇をいただき、裏の頭の藤原不比等が政治を執った奈良時代初期のことである。

 このような政治が行われたのには特殊な事情がある。持続皇后は天武天皇とともに壬申の乱を起こして近江王朝を滅ぼし、飛鳥浄御原に君臨する天武天皇の王朝を樹立した。天武天皇の死後、皇后は、次期天皇の有力候補者であった大津皇子を謀反の罪をでっち上げて殺し、わが子草壁皇太子の成長を待ったが、草壁皇太子は天折した。それで皇后が即位し、無事、草壁皇太子と元明妃の間の軽皇子すなわち文武天皇に皇位を譲ることができた。しかし文武天皇も天折したので、草壁皇太子妃であった元明が即位し、文武天皇の遺児の首皇子の成長を待ったが、元明天皇は万一のことを考えて、文武天皇の姉・元正天皇を即位させ、皇位を保持させた。

 このような女帝たちを助け、無事首皇子すなわち聖武天皇の即位を実現させたのは、権謀術数に富む稀代の政治家、藤原不比等であった。不比等は女帝たちの悲願を達成させたばかりではなく、日本を中国にならって律令国家にするという聖徳太子によって始められた大事業を成し遂げた。平城遷都、律令の整備、『古事記』『日本書紀』の編纂などはこの時代になされたことである。

 また不比等は、皇帝が絶対の権力をもつ中国の律令に対し、太政官を牛耳る藤原氏による専制政治を行いやすい日本独自の律令を作り、藤原氏の栄華の基礎を築いた。

 これは二頭政治が成功した例であるが、それが成功したのは、元明天皇と藤原不比等が一心同体になって統治を行ったからである。

 梅原氏は「ヤマト王権一元主義」の枠内にとどまる学者なので当然なことではあるが、日本書紀の記事の信憑性にまったく疑念を持たない。私(たち)にはいろいろな疑念がもやもやと湧いてくる。大きく次の2点に分けて、そのもやもやを晴らしていこうと思う。

(1)続・「推古紀」のウソ八百
「日本を中国にならって律令国家にするという大事業」を始めたのは聖徳太子だろうか。
(2)近畿王朝草創期(7世紀末~8世紀始)の真実
「元明天皇と藤原不比等」の二頭政治を成功した例と言うが、要するに朝廷内の権力闘争に成功したのであって、「一心同体になって統治」というより「一心同体になっての謀略」と言うのがふさわしい。この問題は「天智天皇と藤原鎌足」の二頭政治までを視野に入れなければ真相は見えないのではないか。

(1)続・「推古紀」のウソ八百

 『書紀』の編者は倭国史書(日本旧記など)からの盗用改竄記事のほかに、遣唐使が買いあさって持ち帰った漢籍からの盗用改竄記事もたくさん挿入している。これまでの研究によると「史記・漢書・後漢書・三国志・梁書・隋書・芸文類聚百巻・文撰一四巻・金光明最勝王経」などの利用が確認されている。

 特に「推古紀」「舒明紀」は俀国(倭国)の多利思北弧と同時代であり、「隋書俀国伝」からの盗用が考えられる。しかし「隋書俀国伝」の記事は同時代の大和王権の状況とはあまりにも齟齬が大きいため大幅な改竄がむつかしい。従って例えば「遣唐使」を「遣隋使」に代えてしまうような無茶はやっていない。その無茶なこじつけをやっているのは現代の「定説」論者たちである。

 さて、「日本を中国にならって律令国家にするという大事業」を始めたのは聖徳太子だという説を唱えるのは梅原氏に限らない。これはヤマト王権一元主義者たちの「定説」である。ではこの「定説」は何を根拠にしているのだろうか。手元にある水野裕著『日本古代史の謎』では次のように説いている。

冠位制と十七条憲法

 推古天皇の11年(西暦603年)から同18年までの8年間、つまり私が第三期と位置づける聖徳太子の30歳から37歳までの期間、太子はそれまでに練り上げた政治改革を一挙に断行されます。蓄積した知識や太子の胸のうちに築かれたであろう国家仏教的政治理念が、いよいよ具体的なかたちをとって現れてきたのです。

 太子のこの政治改革は、着手すると同時に矢継ぎ早にその眼目が打ち出されているのが大きな特徴です。第三期のはじめ、わずか3年の間に内政改革の基本政策はすべて示されているのです。『日本書紀』「推古天皇紀」によれば、推古天皇の11年12月5日、太子はまず第一に冠位制を定めました。いわゆる「冠位十二階」、大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・中信・大義・小義・大智・小智の順に位を設け、位ごとに色を定め、中国風の服装を採用するというものです。これは能力主義的な官司登用による人材発掘、そしてそうした官司による集権的な支配体制を意図するもので、後の律令制への前提をなすものです。

 翌12年の正月1日、早速、その冠位制に基づいて諸臣に冠位が授けられました。

 次いで4月3日、聖徳太子はいわゆる「十七条憲法」を定められています。

 「推古天皇紀」は「憲法十七条を作りたまう」と「憲法」という字を当てているのですが、これは決して今日の公法としての憲法の意味ではありません。十七条憲法はその内容からみて、公法ではなく、総じて官司の服務規定というべきものです。

 冠位制が国家組織の基本を定めたものであるとみるならば、十七条憲法はその組織構成員が守るべき規則・心得を定めているのです。したがって、冠位制と十七条憲法はセットになって国家組織の大本を定めたものといえます。

 両施策によって、聖徳太子が中国的な官司制度による国家組織の構築を企図されたことは明白です。太子はそれまでの日本の社会組織であった氏姓制度社会を解体し、後に完成される律令国家の中央集権的な官僚支配型の国家組織、その国家組織へつながる支配体制を構築しようとしたわけです。冠位制と十七条憲法は、太子のそうした国家構想を端的に表しているのです。

 「冠位制と十七条憲法」が律令国家への道筋をつくったというわけだ。ではその「冠位制」と「十七条憲法」を検討してみよう。

「冠位十二階」について

 「推古紀」の該当部分(603〈推古11〉年12月5日の記事)は次の通りである。(岩波古典文学大系より)

十二月の戊辰(つちのえたつ)の朔壬申(ついたちみづのえさるのひ)に、始めて冠位を行ふ。大徳・小徳・大仁・小仁・大禮・小禮・大信・小信・大義・小義・大智・小智、幷(あわせ)て十二階。並に當れる色の絁(きぬ)を以て縫へり。頂は撮り總べて嚢(ふくろ)の如くにして、縁?緣(もとほり)を着く。唯(ただ)元日(むつきのついたちのひ)には髻花(うず)着す。

 一方「隋書俀国伝」に次の記事がある。(岩波文庫版より)

内官に十二等(注1)あり、一を大德(注2)といい、次は小德、次は大仁、次は小仁、次は大義、次は小義、次は大禮、次は小禮、次は大智、次は小智、次は大信、次は小信、員に定数なし。

(中略)

隋に至り、その王は始めて冠を制す。錦綵(きんさい)を以てこれを為(つく)り、金銀を以て花を鏤(ちりば)め飾りとなす。


 「俀国伝」では、あらかじめ「内官十二等」が制定されていて、後に隋に倣って「冠制」を作ったと読める。

 「推古紀」の階位名は「徳仁礼信義智」の順であるのに対して「俀国伝」の方は「徳仁義礼智信」の順である。この違い以外はとてもよく似た記事である。同じ時期に盟主国(俀国)と分流国(ヤマト王権)がかくも似た制度を別個に制定したなんて、とても考えがたい。私には、聖徳太子の冠位十二階は『日本書紀』編者による「俀国伝」からの盗用としか思えない。

 上記の階位名順序の違いについて「俀国伝」の訳者(石原道博)は(注1)(注2)を次のように注釈している。

(1)聖徳太子の制定された冠位十二階であろう。(「推古紀」の記事を引用している。略す。)
(2)このよみかたは末卑騰吉味(マヒトギミ真人公)であった(『翰苑』)。以下その順序も徳仁礼信義智であって、五常の仁義礼智信に正したつもりが、かえって誤っている。

 (2)が素人の私には意味不明。『翰苑』に従って「真人公」という人物が順序を変えてしまった、と言っているのであろうか。『翰苑』は中国史書の類書である。ここでそれを持ち出す意図が分からない。原典である「俀国伝」に従って論ずれば足りる。

 いずれにしても「推古紀」の方が正しく、「俀国伝」の方が間違っていると言いたいのだろう。あるいは「俀国伝」の方が「推古紀」の階位を盗用しているとでも言いたいのだろうか。もしそうだとすると、これは噴飯ものだ。『隋書』の方が『日本書紀』より先に成立しているのも関わらず、平気でこんな無茶な注釈をするとは!!

 すべては「推古紀」の遣唐使は遣隋使の誤りとしたことに端を発する。つまり「俀国伝」はヤマト王権が送った遣使がもたらしたヤマト情報をもとに書かれた、よってヤマト王権の実情と合わない事項はすべて「俀国伝」の方の間違いである、というわけだ。
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