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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
今日の話題
新聞の記事から3題(1)

「民主党政権批判」三面鏡(2)


(2)反民意


 東京新聞夕刊(2月1日)のコラム「放射線」から、丹羽宇一郎氏(伊藤忠商事会長)の「〝成権″政治の危うさ」と題した論評を論評する。

 国会論戦が激しい。そこで鳩山由紀夫首相や、民主党議員たちが発する言葉を聞いて違和感を感じるのは私だけではあるまい。一月半ばの世論調査では、鳩山内閣の支持率41.5%で、44.1%の不支持率が初めて上回った。それなのに民主が国民からの白紙委任を取り付けたかのような発言を目にする場面が続いているからかもしれない。

 時計の針を昨年夏の衆院選に戻してみよう。8月30日、歴史的な政権交代があり、各メディアは永田町、民主党本部のすさまじい熱気を興奮気味に伝えた。全国300の小選挙区のうち、民主の獲得議席は221議席で圧勝。一方、野党に転落した自民党は54議席だった。

 だが、あえて両党の得票数を示すデータにこだわりたい。小選挙区で民主が得た票は3300万票で投票総数の47%。一方の自民は2700万票で39%。その差はわずか8ポイント、600万票でしかない。

 自民に票を投じた人も国民だ。にもかかわらず、鳩山政権や党幹部らが自民支持者がゼロであるかのような発言で全部を否定するのは、民意の反映と言えるのだろうか。

 将棋の駒をひっくり返すように、成金ならぬ〝成権″を手中にした民主。突然金持ちになったような成金感覚をぬぐい去って、与党としての謙虚さを取り戻さねばならない。さもなくば「信なくして国立たず」の赤信号の点滅はさらに激しくなるだろう。

 いま国会では、自民党が「政治と金」の問題で盛んに民主党政権を責め立てている。しかしそれを聞いていると、その議論が「正論」であればあるほど、私はしらけた気分になる。いままでさんざん金まみれの政治をやって来た者が、それについての真摯な総括をすることもなく、同じ穴の狢を責め立てている。片腹痛い所行と言いたい。

 丹羽氏の論評は「正論」であろう。だがその「正論」がそのダブルスタンダードの上に立てられているので、ここでも私の片腹は痛くなる。氏自身が自公政権時代にその政権の独善的強権的政治手法を批判したことがあるのかどうか知るよしもないが、氏が自公政権の悪政を強力に補佐あるいは主導した内閣府経済財政諮問会議の議員であったことは知っている。氏個人とは言うまい。悪法の強行採決を繰り返して独裁的な国会運営を強行してきた自公政権に、財界が一度でも「謙虚さ」をお説教したことがあるだろうか。

 氏の文章の主客を入れ替えることによって、その論評がダブルスタンダードに立脚していることが露呈する。
「自民・公明以外に票を投じた人も国民だ。にもかかわらず、自公政権や党幹部らが非自民支持者がゼロであるかのような強行採決で全部を否定してきたのは、民意の反映と言えるのだろうか。」

 また、今回の総選挙で、獲得議席数と得票数とが著しく齟齬している点の指摘は重要だ。しかし、それは小選挙区制への批判へと向かわなければ意味をなさない。小選挙制そのものが民意を正しく反映しない悪法なのだ。

(3)小沢の強権


 東京新聞夕刊(2月4日)のコラム「放射線」の執筆者は武村正義氏(元新党さきがけ代表)だった。「どうした民主党!」と題した論評を寄せている。

 「せっかく政権が代わったのに…」という思いで政治をみている人は多い。しかしここのところ、がっかりすることが増えてきた。「民主党よ、おまえもか」と支持者を落胆させている。

 二つの理由を挙げたい。

 一つは「張り切りすぎ」ではないか。民主党にとっては政権の座に就くことが十年来の悲願だっただけに、意気軒昂なのは分かるが、新入りにしてはちょっと格好を付けすぎていないか。「脱官僚」も「政治主導」も、コトバと形ばかりが先行している。国民は、民主党の皆さんが胸を張られるほど、皆さんの能力にまだ全幅の信頼を置いていないし、リーダーとしての人間的魅力も感じていない。まずは初々しさを失うな、謙虚さを忘れるなと言いたい。ましてや傲慢な印象だけは困る。

 もう一つは「明るさがない」ことだ。皆が何かを怖がっているのか、組織全体が縮こまっている。草創期の民主党には、自民党にはないフレッシュさや自由闊達さがあった。人材はベテランも若手も多いはずなのに生かされているように思えない。新人議員は、「一年生」として囲ってしまわないで、国会や党で伸び伸びと発言できるように解放せよ。政策の勉強会も質問も、他党との交流も自由に許してこそ、素養のある人材は大きく育っていくと思う。

 自由な議論のない政党には魅力を感じない。バラバラな意見の開陳から民主主義は始まる。もっとおおらかになってほしい。

 丹羽氏の論評との著しい違いは「民主党よ、おまえもか」という文言がはっきりと示している。つまり自公政権の体たらくをも視野に入れて論評している。

 批判は2点とも正鵠を射ていると思う。2点目の批判の矛先は小沢一郎幹事長の独裁者ぶりに向けられている。新人議員たちを抑圧するな、自由に行動・議論させろと警告している。私は諸手を挙げて拍手をしたい。

「自由な議論のない政党には魅力を感じない。バラバラな意見の開陳から民主主義は始まる。もっとおおらかになってほしい。」

 まさにその通りである。これは民主主義の鉄則である。つまり「政党」以外のあらゆる組織に当てはまる。私は「政党」を「学校」に置き換えて読んでいた。石原慎太郎とその提灯持ちたちよ、武村氏の爪の垢でも煎じて飲め。

(4)二重権力


 梅原猛氏が東京新聞夕刊に月に1度(だったかな?)「思うままに」という題で日記風の評論を連載をしている。2月1日の題材は「二頭政治の善悪」で「行動力ある首相望む」という副題が付されている。

 鳩山政権には頭が二つあるといわれる。一つはもちろん首相の鳩山由紀夫という表の頭であるが、もう一つは民主党幹事長の小沢一郎という裏の頭である。この裏の頭は表の頭よりはるかに強い権力をもち、表の頭は何ごとも裏の頭の意向に従って決定しているとさえいわれる。

 日本国憲法下の二頭政治は異例であるが、日本で二頭政治が甚だ成果を挙げた例がある。それは、表の頭に元明及び元正天皇をいただき、裏の頭の藤原不比等が政治を執った奈良時代初期のことである。

 ここでひとしきり、九州王朝から近畿王朝への政権移行期から近畿王朝確立期にかけての実質的第一権力者として活躍した藤原藤原不比等の役回りに蘊蓄を傾けている。実はこれをきっかけに「真・古代史」の続きを書こうと思っている。梅原さんのこの部分の文章はその時の枕に使うとことにして、いまは省略して先に進む。

 これは二頭政治が成功した例であるが、それが成功したのは、元明天皇と藤原不比等が一心同体になって統治を行ったからである。

 翻って現政権の二頭政治をみると、小沢氏には表の頭を真に尊敬し仕えるという不比等のような謙虚さはなく、鳩山氏にも元明、元正帝のようなカリスマ性が欠如し、政治を思いきって裏の頭に任せるという覚悟も乏しいようである。したがって今、日本を統治しているのはそれぞれ独立した二つの頭と四本の手足をもつ怪物ということになる。鳩山首相は「宇宙人」といわれているらしいが、日本は宇宙人というより奇怪きわまる化け物の支配の下にあるといわねばならない。

 このような化け物が支配する日本がよい国になるとは思われない。一刻も早く、正しい道徳的感性とともに、現在の世界の情勢において日本はどうあるべきかについての哲学に裏付けられた政治目標をもち、それを実現する行動力を備えたまともな首相が政治を執る国になってほしいと願うものである。

 私が知る限りでは、梅原氏は不偏不党の立場に立つ人だと思う。たぶん自公政権に対しても非は非として批判をしていただろうと推測している。しかしこの批判には首を傾げざるを得ない。

 民主党の新人議員たちが小沢一郎の威力の前で萎縮しているという情報によく接する。一年生議員の活動を制限したり、国会での質問を禁じたりしたという報道があったが、それが本当なら萎縮もするだろう。竹村氏の指摘の通り、その独裁者的な振る舞いは大いに批判されるべきだ。しかし民主党が二重権力組織であるという俗受けする論評は浅薄すぎる見方だと、私は思う。

 そもそも、民主党に対する「二重権力」批判は昨年3月の西松献金問題に端を発する。その折、小沢代表は代表辞任に追い込まれたが、鳩山新代表が小沢を代表代行に任命した。これをとらえて「二重権力」批判を大合唱したのは当時の与党とマスコミであった。

 そして今回の民主党政権では鳩山首相が小沢幹事長の言いなりになっていると、今度は野党とマスコミが大合唱を始めた。

 私には政府と与党が当面する問題について意見を交わしたり合議をするのは当たり前だと思える。政府の首長である鳩山氏と党のまとめ役である小沢氏とが直接意見を交換することもあるだろう。その結果、小沢氏の意向が通ることもあるだろう。その際に、小沢氏が権力的に恫喝でもして鳩山氏を屈服させたのなら「二重権力」という批判が成り立つが、そのような事実が本当にあるのか。マスコミの報道だけでは、私はにわかには信じない。批判は事実に基づいて行われなければならない。

 梅原氏は、あたかも周知の事実でのあるかのように、検証抜きで端から「二頭政治」と断じている。小沢氏に「謙虚さ」がなく、鳩山氏には「カリスマ性」が欠如しているという人物評は、その通りかも知れない。しかし、二人がそっぽを向き合ってそれぞれ勝手な政治をしているように印象づける「それぞれ独立した二つの頭と四本の手足をもつ怪物」というおどろおどろしい批判は見当外れではないか。

 この伝で言えば、派閥の親分と実力者と呼ばれる長老の意向で首相をたらい回しにしていた前政権は、一体いくつの頭といくつの足をもった怪物と言えばよいだろうか。
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