2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《「真説・古代史拾遺編》(118) 東京新聞連載
「東アジア流2」をネタに(11)


王維の詩『送晁監帰日本』について(2)


 前回の補足を二つ。

(1)
 王さんの「書物の伝える文明の遺伝子は、…心通ずる文化共同体をつよく支える。」という認識に強く共感したが、それに関係することを一つ。

 私はあまりにも最隣国についての知識がなさ過ぎる。それを埋める一助にしたいといういう意図もあって、私はいま韓国流歴史ドラマを興味深く見ている。とても面白い。ドラマとしても面白いが、歴史の勉強にもなって面白い。しかし、時々間違った歴史認識がある。たとえばつい2・3日前「ヨン・ゲソムン」というドラマで630年頃(白村江の戦いの30年ほど前)の東アジアにおける国家間の対立がテーマになっていた。「高句麗・百済・倭」対「唐・新羅」という対立なのだが、ドラマでは「倭」ではなく「日本」と言っていた。でもこれは、日本でも「倭=日本」という間違った学説が流布しているのだから、咎められるべきことではないか。

 歴史の勉強になるだけではない。ドラマの台詞に頻発する漢字熟語は、発音は異なるが、日本で慣用されているものと同じである。改めて共通の「文明の遺伝子」を持つているのだなあ、と感じ入っている。また俳優たちの面立ちからは、「文明の遺伝子」だけでなく「生物的遺伝子」も同じだと強く感じる。

 日頃そんなことを思っていたところ、新聞(29日付「東京新聞」)で次のような素敵な人と出会った。その人の名は山本貫三(やまもとかんぞう)さん。愛知県豊橋市在住。65歳。

 「漢字を通して韓国語を理解できるのは日本人の特権です」。昨年12月、3年がかりで韓国語を学ぶ人たちを対象とした参考書「韓日・日韓漢字語用例辞典」を出版した。

 兄が経営する飲食店で働いていたが、心臓の弁がうまく働かなくなる病気にかかり、3ヵ月間入院したのを機に60歳で引退。退職後の生きがいを探していたとき、ソウル市に住む高校時代からの親友宅を10年前から20回ほど訪れていたことを思い出した。
「韓国語で両国の文化を語り合えたら、どんなに楽しいだろう」

 5年前から週一回、市内の韓国語教室に通い始め、単語の多くが漢字を元にしていることに注目。面白さに気づき、読み書きが楽にできるようになった。

 3年前から韓国人講師と一緒に、日韓で共通する漢字を一覧表にするなど工夫も、韓国語学習者のための参考書作りを始めた。白帝社(東京都)と交渉の末、出版が決まった。

「出版後は、大学の研究者からも反響があり、身が引き締まる思い。少しでも韓国語を学ぶ人の役に立てれば光栄です」。

   (池内琢)

(2)
 前回、『全唐詩』でも『送晁監帰日本』の第3句はたぶん「遠」でだろうと推測した。これについてさっそくゴンベイさんからコメントを頂いた。ネットに『全唐詩』から採録した『送晁監帰日本』を掲載しているサイトがあるという情報だ。確認してみた。中国語のネットで、詩も現代中国語で書かれている。表題は『送秘書晁監帰日本国』であり、第三句は次のように書かれている。

 「九州何」あとの2文字は現代中国漢字で
(第4字)「処」の旁部分「几」が「ト」の字
(第5字)「遠」の旁部分「袁」が「元」の字


 それぞれ「処」「遠」の現代漢字であることを、手元の『現代日中辞典』で確認した。どうやら『須渓先生校本・唐王右丞集』以来、中国でも須渓先生の原文改訂版を採用しているようだ。

 さて今回のテーマ、詩の意味を吟味してみよう。まず、古田さんが採録した『極玄集』版により、全文を現代文に訳してみる。(『中国名詩選』と『唐詩講義』を参考にした。)


(送晁監帰日本)
晁長官が日本へ帰るのを見送る

(積水不可極)
大海は果てしなく極めることができない
(安知愴海東)
大海原のさらに東は知りようもない
(九州何処所)
あなたが帰っていく九州はどこにあるのだろうか
(萬里若乗空)
万里の彼方あたかも虚空に浮かんでゆくようだろう
(向国唯看自)
故国にむかってひたすら太陽を目指し
(帰帆但信風)
ただ風にまかせて進むほかない
(鰲身暎天黒)
大きな海亀が天光をあびて黒々と巨体を現し
(魚眼射波紅)
大魚の目の光が波を赤く染めている
(郷樹扶桑外)
あなたの故郷の樹々は扶桑のさらにむこう
(主人孤島中)
あなたはその孤島へと行くのだ
(別離方異域)
ここで別れてしまえばもはや別々の世界
(音信若為適)
どのようにして音信を交わしたら良いのだろうか

 古田さんの第三句の解釈は次のようである。


 問題は第三行目の、「九州何処所 九州いずれか所(ところ)せし」(阿倍仲麻呂さん)あなたが帰ると言っている九州はどこにある。

 そうするとこれは、日本列島全体を九州と言ったことは聞いたことはない、それで九州島となる。それに後の方に「主人孤島中」の句があり、「孤島」と書いてある。

 この場合「主人」というのは阿部仲麻呂。宴を催した側が主人、宴を催された側が客です。このような「主人」いう語の用法は、王維の詩にたくさん出てきます。われわれは普通、送別会というのは、別れていく方の人が「客」で、送る方が「主人」というか会を催すけれども、当時は逆だった。おそらくご恩返しという意味で、「主人」として阿部仲麻呂が会を催して、お世話になった人を「客」として呼んだ。それで阿部仲麻呂が「主人」。

 ついで「主人孤島の中」の句があり、「孤島」は九州島となる。

 では第3句を「九州何処遠」としている場合はどう解釈しているのだろうか。

『中国名詩選』の場合

 「九州」について次のように解説している。
「戦国時代の学者鄒衍(すうえん)は、中国の外に、同じような世界が九つあるとして、これを九州といった。」
 そして第3句を次のように訳している。

「中国の外にあるという九つの世界のうち、どこが遠いかといえば、それは君の帰る日本。」

『唐詩講義』の場合

 「九州」について次のように解説している。
「中国の外にある異域である九つの世界。通常、中国国内を古代の禹帝が分割したという九つの地域をいうが、ここではそれ以外に同様な地域が九つあるという伝承に基づく。むろん、日本の「九州」を指すものではない。」
 そして第3句を次のように訳している。

「中国の外にある九州で、何処がもっとも遠いのか(それはあなたが帰る日本)」

 両者とも同じ解釈で、これは『唐詩選』の解釈を踏襲している。

 もう一つの解釈がある。『唐詩講義』がふれていたが採用しなかった九州の意味。中国国内を「禹帝が分割したという九つの地域」。これを「禹貢九州」と呼んでいる。この立場での解釈では「あなたが帰るところは中国本土からどのくらい遠いですか。」となる。しかし「九州」は主語だから、この解釈は相当無理。

 「九州何処遠」に対するこれら二つの解釈について、古田さんの見解を聞いてみよう。

 中国人にとってふつうの九州。伝統的な中国の九州の考え方で、つまり中国本土の意味「禹貢九州」。
「あなたが帰るところは、中国本土からどのくらい遠くはなれているところか?」
と読みたい、……つらい読み方ですが、本当は「自(から)」を入れなければならないが、……なんとか読めないこともない。そう解釈するのか。

 それとも、もっと都合のよい解釈。『唐詩選』の解釈。全世界が九州に別れている。……普通はそう解釈されていますが、司馬遷の『史記』の中で紹介されている陰陽家の説として否定的に紹介されている大風呂敷のような説がある。全世界九州で、その一部が中国(中心)であるという説……大風呂敷のような、超古代史の考え方のような、その立場に立って理解する。
「全世界の中で、あなたの帰るところは一番遠いところにある。」と解釈する。吉川幸次郎さんなども、そう解釈され、岩波文庫や他の詩集の解釈でも同じく全世界九州である。

 (上の二つの解釈は)「遠」なら、まだなんとか、それで通用する。しかし「九州何処所」となると、ちょっとそれは読めない。九州は主語ですから。「九州はどこにあるのか」という解釈にならざるを得ない。それでこれは「九州」島のことだと、なってくる。

 一般に流布されている『唐詩選』型の解釈は、原文改訂を最初にやった実行犯「須渓先生」の「中国は一番偉い」というイデオロギー(中華思想原理主義)に誘導された解釈である。「須渓先生」の計略にまんまと乗せられたというわけだ。

 中国でも唐は、外国人である阿部仲麻呂が高位高官の官僚になれたことでも分かるように国際的に懐のひろい国だった。南宋は元の圧力下にあったので、今度は逆に中華思想を極端に強調する。そういう立場に立ちますので、「九州」という言葉自身が、中国以外で使われていること自身が、もう承知できない。それで(須渓先生が)「遠」に手直しする。

 もう一つ、静嘉堂文庫本というものでは、北宋刊本の南宋再刻本ですが、「去」に手直してある。「去」に直しますと、「全世界の中であなたはどこへ去って行くか。」と、なんとなく読める。

 ということで直しの入った後世の版本が、「遠」や「去」の字になっている。これに対して本来の一番古い版本では間違いなく「所」である。そういうことを京大人文科学研究所の『極元集』の版本を見つけて確認しました。すると、やはりこれは「九州」島のことである。そう考えざるを得ない。

 では王維のこの詩の「九州」島は、(中略)このばあいも八世紀半ばの阿部仲麻呂が「九州」島と言わなければ、相手が「九州」島というはずがない。今の阿部仲麻呂が帰ると言った時代には、もう地名の「九州」になっている。唐は地名としての「九州」を許す雰囲気の国だった。ところが後の中華原理主義のはびこる世の中になると、九州を「中国本土」の意味に解釈してしまって、いろいろ改竄を加えている。歴史的な意味は変っていることもつけ加えさせていただきます。

 そうすると阿部仲麻呂は、「私はこれから九州へ帰る。」と言っていた。九州島、そこに帰ると言っているということになるわけですよ。

 ここで 『地名奪還大作戦(12)』 を参照してください。そこでは阿倍仲麻呂が九州出身の人であることが論証されている。つまり王維は「仲麻呂は九州に帰る」と認識していた。その認識があったからこそ第3句「九州何処所」が創作された。

 ここで『送晁監帰日本』→『送秘書晁監帰日本国』という表題の原文改訂が問題となる。
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《銜命使本國》阿部仲麻呂
阿部仲麻呂が帰国の宴で王維の前に歌った五言排律

《銜命使本國》
銜命將辭國,非才忝侍臣。
天中戀明主,海外憶慈親。
伏奏違金闕,騑驂去玉津。
蓬萊鄉路近,若木故園鄰。
西望懷恩日,東歸感義辰。
平生一寶劍,留贈結交人。
---『全唐詩』巻732
2010/01/31(日) 15:34 | URL | ゴンベイ #eBcs6aYE[ 編集]
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