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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《「真説・古代史拾遺編》(104)
「倭の五王」補論(7)


「倭の五王」とはだれか:真説編(6)

 今回の教科書は 『高良山の「古系図」 「九州王朝の天子」との関連をめぐって』 (以下『良山古系図』と略記)です。

 古田さんによれば、高良山の「古系図」は、稲員家の「古系図」と多くの共通点をもち、「特に、今回の主たる考察対象となった前半部に関しては、ほぼ「同型」と見なすことができ」るという。従って、この古田さんの論文を読むことは、稲員家「古系図」を知るという私(たち)の当初の関心をも満たしてくれるだろう。

 さて、古田さんはまず高良山「古系図」の全体像を紹介している。次のようだ。

①孝元天皇―(3代)→屋主忍武雄心命
②高良玉垂命神―(2代)→朝日豊盛命神
③物部日良仁光連―(6代)→日往玉尊連
④日明玉連尚―(20代)→公賢皇連岩
⑤高麻呂連時―(26代)→星明麻呂保重
⑥保家―(57代)→定儀
⑦称とその子供6人(二代) ⑧明暦3年の奥書、物部安清
⑨古文書目録(14種)
⑩文久元年の奥書、物部定儀誌


 この10項目を、古田さんは順次分析していく。

①孝元天皇―(3代)→屋主忍武雄心命

 12月19日付コメントでゴンベイさんが指摘してくれた三宅利喜男「『新撰姓氏録』の証言」を古田さんも取り上げている。それによると、『新撰姓氏録』の「皇別」の項では「孝元」が圧倒的に多く108家もある。その「孝元」の時代を表す「皇暦」を西暦に換算すると「前214~前158」である。紀元前3世紀末から2世紀前半という時代である。

 この「紀元前3世紀末から2世紀前半」という時代は、考古学編年で言うとどの時代に当たるだろうか。ここで従来の考古学編年を修正しておこう。

 従来の考古学的時代区分は土器形式の編年や出土遺物の年代観によって行われていた。長年の研究の積み重ねの結果、土器による編年は精緻を極めている。ゆえに大方の考古学者は土器による編年に疑いを持たない。しかしちょっと考えれば、この方法が正確さに欠くことは素人にも分かる。例えば土器の場合、同じ土器は全国ほぼ同じ時期に作られたとみなされ、形の違う土器でも同じ場所から出土すると全く同じ時に作られ使われたとみなされるようだが、文化や技術の伝播・交流はそんなに単純ではない。同じ土器でも地域が違えば作られた年代が違うことは当たり前ではないか。

 また従来は、日本列島の文化的先進地は畿内であるという先入観により、畿内の出土物を基準に各地の年代を推定している。8世紀までは、日本列島の文化的先進地は北九州であったことを私(たち)は知っている。

 どんなに精緻であっても、土器による編年は土器形式の変遷の順を示すだけのものである。あくまでもごく限られた地域についての相対的な編年を表す過ぎない。絶対年代を示す客観性はない。

 では考古学では絶対年代は決められないのだろうか。そんなことはない。『「倭の五王」とはだれか:真説編(3)』で古田さんが論拠に用いていたように、近年放射性炭素(14C)測定法や年輪測定法が進歩して、かなり正確な絶対年代が測定可能になった。にもかかわらず、大方の学者はこの理化学的年代判定を受け入れようとしないという。これを受け入れると、長年積み上げてきた古代史の多くの「定説」が反故になってしまうからだ。ヤマト王権一元主義の場合と同様な頑迷さである。理化学的年代判定の正当性は世界の常識なのに、このままでは日本の考古学会は世界の笑いものとなるだろう。

 理化学的年代判定については「太宰府は…」で内倉さんが詳しく論じている。年輪測定法によれば、九州地方の編年は従来考えられたものより「100~50年」さかのぼるという。内倉さんによる修正された考古学編年表を転載しておく。

古代史編年表

 『良山古系図』に戻ろう。上の表によると、「紀元前3世紀末から2世紀前半」の頃とは、「弥生前期末~中期初」頃に当たる。真説古代史を知る者には、これを文字通り「孝元」の治世などと考えるオチョコチョイはいない。これはいわゆる「天孫降臨」の時間帯である。古田古代学の常識である。

 わたしは早くより、「天孫降臨」を史実の中核と見なしてきた。福岡県を中心とする、弥生期の「前末・中初」の画期線を以て、その史実の反映と見なしてきたのである。

 圧倒的多数の「108家」は、“我は、ニニギノミコトの天孫降臨以来、倭国(九州王朝)に帰属してきた。”と、これを誇りにしていたのだ。これに反し、文字通りの「孝元」というのでは、意味不明である。なぜなら、記・紀とも「孝元」の代には何等“目立った事蹟は存在しない”からである。

(中略)

 従って本稿で扱うべきこの「古系図」においても、この「孝元」が始源とされているのは、きわめて“リーズナブル”だ。すなわち「天孫降臨」のニニギノミコトを「始源」とする系図という性格だったのである。

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