2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
514 息抜きのため、ご無沙汰でした。
2006年6月3日(金)


 日ごろ自宅を中心に半径1㎞ほどの範囲で生活している出不精者が神さんに引っ張られて2年ぶりに旅行に出かけました。
 何でも見てやろう型の旅行はくたびれる。私の旅行は、日常から解放されてひととき頭と心が空っぽになれればよいという無目的旅行。そして終われば旅行中に体験した大半を忘れてしまうというウツケ型旅行。
 それでもやっぱり5月30日に予定されていた藤田さんの裁判の判決は気になってしかたがなかった。帰宅してまず最初にやったことは30日付の夕刊でその判決の報道を読むことだった。
 この裁判は起訴すること自体がむちゃくちゃな権力による見せしめ裁判。判決は一方的に検察側の証言だけを採用し、被告側の証人の証言を全く無視したもので、有罪20万円の罰金だとさ。茶番もいいとこ、なんとも滑稽な、しかし見せしめ効果はきちんと果たす、見方によっては計算しつくされた行政権力追従判決だ。ブルジョア民主主義という欺瞞、三権分立という欺瞞を改めてはっきりと露呈してくれた。

 確か前にどこかで引用した記憶があるが、もう一度引用しよう。


 社会は進歩した。従って征服の方法も発達した。暴力と瞞着との方法は、ますます巧妙に組織立てられた。
 政治! 法律! 宗教! 教育! 道徳! 軍隊! 警察! 裁判! 議会! 科学! 哲学! 文芸! その他一切の社会的諸制度!!

 そして両極たる征服階級と被征服階級との中間にある諸階級の人々は、原始時代の彼の智識者と同じく、あるいは意識的にあるいは無意識的に、これらの組織的暴力と瞞着との協力者となり補助者となっている。
 この征服の事実は、過去と現在とおよび近き将来との数万あるいは数千年間の、人類社会の根本事実である。この征服の事が明瞭に意識されない間は、社会の出来事の何物も、正当に理解する事は許されない。(大杉栄「征服の事実」より)



 時代錯誤の世迷い言と言われるだろうか。私はそうは思わない。進歩派あるいは革新派を自称する人たちの言論にむなしさを感じることが度々あるが、それは上記のような意識の片鱗も感じられないときである。現在の国家を民主主義国家であると無批判に是認した上の言論に対してである。そのスタンスから発せられる言論は、いかに激しく政治権力を批判していても、私にとっては床屋政談にしか聞こえない。
 続いてたまった新聞に一通り目を通した。とてもいいコラムに出会った。5月25日に亡くなられた米原万理さんを追悼する池澤夏樹さんの文章から。


 右へ右へと傾いてゆく今の日本に対する米原さんの批判は筋が通っていて、表現に威力があって、読む者に勇気を与えた。共産圏は滅びたが、社会主義の理念は生きている。資本主義がエゴ丸出しの投機に走るほど、人間を土台に据えた社会主義の必要は増す。



 私としてはより詳しくリバータリアン社会主義といいたい。そして必要が増しているのは政治思想としての社会主義だけではない。社会主義思想を構築している論理であり、物事を正しくとらえるための思考方法である唯物論的弁証法も、少なくとも私は必要とする。
 ということで、次回から中断していたテーマに戻ります。
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