2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
東京の教育が悲鳴を上げている。


 「都教委包囲首都圏ネットワーク」・「千葉高教組」・「新芽ML」の渡部さんからのメールを転載します。東京の教育現場はひどい状況になっています。イシハラを選んだ都民は早く目を覚まして、2度とこのような醜悪なファシストを選ばないでくれ。

 昨日は上記集会でのMさんの基調報告から 民主党の教員免許制度の問題点を紹介しました。

本日(12月7日)は、上記集会での八王子の現場からの発言(ほぼ全文)を紹介します。

「義務教育教育現場の実態…10・23通達以後」

・職員会議の有名無実化

 2003年以降、都教委による教育への不当介入と強権的な教職員管理は、学校現場に異常なまでの多忙化を進行させています。そして、何よりも教職員の「やる気」を低下させてきています。

 まずは、職員会議の軽視です。教職員による協議・意見を述べ合うことをないがしろ にして、「学校経営」という言い方で「職務命令」の日常化とでもいう校長・教委の一方的考えを伝達していくだけの会となってきました。そのことの最たる問題が、「職員会議での挙手による採決の禁止」でしょう。東京の小・中学校に、まだこの通達は直接出されてはいませんが、学校現場で様々な考えを許さぬことは、事実として毎日の学校に起きています。

 例えば、学校の研究内容や研究日程を校長が一方的に決めてしまう。研究会当日の計画が勤務時間無視の形ですすめられ、時間設定の変更を提案しても受け入れられない。また、移動教室・校外学習の担任以外の引率を学校長だけで決め、当該教諭は、授業の計画と家庭両方に大きな負担を強いられる。クラブ担当顧問も同じ。校長の一存で決定され、土・日曜の対外試合・練習など負担が一身に来ている、など多くの教職員の叫びがとどいています。

 日頃の行事計画では、授業時数の増加で会議の時間が確保できなくなっています。殆どが「見ておいてください。」式の伝達となり、実際の活動での時間ロスが、かえって多くなる結果となってきます。子どもたちに「こうしろ、ああしろ」の指示ばかりがふえ、行事の楽しさよりも、厳しさを押しつけていることになっていきます。子どもとじっくり向き合う時間もなく「注意をしても指導が通らない。」「授業が成立せず、保護者のクレームに対処できない。」「毎日40人近い子どもと格闘して、気がついてみるとうつ病に。」ということが、都内どこの学校でもおきてくる状況になっています。

・「主任教諭」制度(職務・職階制)によるモチベーションの低下

 09年4月より、都教委は給与によって教職員を分断し「教諭―主任教諭―主幹教諭―副校長―校長―統括校長」という差別構造を完成させました。給料を高くしたいなら、この差別構造に「のっからなくてはならない」ようにしたわけです。この「主任教諭」選考では、選考基準が不透明なまま大量の不合格者を出し、大きな問題となっています。長年その学校で、生活指導や学年でのいわゆる「主任」経験者が選考からもれ、代わりに30代前半の教師が「主任教諭」合格となるという「意味がなく分断された職場」は混乱しています。

 特に、2009年度より書式変更された教職員の「主任教諭」の「自己申告書」では「学校運営力・組織貢献力」を最重点としていくことを明言し、記入をさせています。「授業より学校経営参加」を主任教諭に求めるわけです。「学校運営に参加」するとは、「いかに命令を聞くか」と読み替えるとわかりやすくなります。研修報告の{事例文}の言葉を借りれば、「(一般教員に)指導実践を報告させ、先輩教員の助言を受けさせ」、「研究会等で、複数の意見を調整する意見を言わせる」などが職務遂行時の訓練だと言っています。これまでも職場の同僚・先輩からアドバイスを受け、授業や事務分掌をこなしてきています。しかし、OJTと銘うたれ、自己の担当と定められた「主任教諭」からの助言と指導を受け、仕事を覚えさせられることが常となるということです。人間関係が複雑に入り組む職場において、このような上位下達式のやり方で、働く意欲がかき立てられるわけがないことは誰の目にも明らかだと思います。

 こうした管理強化の職場体制が「10・23通達」以降つぎつぎとすすめられ、教育現場には、「自由に考える」ことができなくなっています。

・新学習指導要領移行による超多忙化

 今年4月からの忙しさは、普通ではありません。殆どの学校で、平日は午後8時~10時ごろまで、誰かしら残って仕事をしています。持ち帰り仕事は当然であり、土曜日・日曜日となれば誰かがやって来て印刷をしたり、次週の準備をしています。いくらやっても終わらない仕事量です。「時間をください。」と強く訴えたいというのは、教職員がみんな同じ気持ちでしょう。

 勤務時間が来年度4月より7時間45分となるそうですが、学習指導要領の時間数はふえていくのですから、忙しさはかえって増すことになるのでしょう。教員の仕事を増やしてますます過密にしておいて、学級の人数は減らさない・教職員数もふえるどころか減らされていく、おまけに給与は10年間減り続けています。

 学習時間増と「英語活動」の実施が、忙しさを直撃しています。週学習時間の「1時間」の増加は、放課後の時間を奪い、教材研究と指導準備・ノート等の事後処理の時間を遅くしていきます。ある小学校3年生の担任は「学級の仕事を始めるのは、午後7時30分から。それまでは学校の分掌事務や話し合い、学年の打ち合わせに時間がかかる。次の日の体育・社会科見学コースといった学年の翌日以降の予定を打ち合わせている現実です。若い人が多くなって、教える内容の打ち合わせをしないと…。帰る時間は9時を回るのが普通。」と時間の厳しさを語っています。

 高学年で行われる「英語活動」の時間も、ALT講師との打ち合わせがなくては成り立ちません。小学校教諭の免許には想定されていなかった新たな教科への研修が30時間義務付けられましたが、それ以上に、チームで行う新たな試みは、時間をかけて話し合う必要のあることですから。

 その上驚くことに、私が勤務する八王子市では、来年度授業時数増を計るため、「公開授業を条件に土曜日の授業を年20日間までやってもよい」とする教委の提案までが出てきました。20日といえば、年間35週と考える学校現場では、3分の2の土曜日となります。まさに「学校5日制」をやめるのかという提案を市の教委委員会が出してきています。これについては、現在交渉中で、都教委・文科省も驚く内容であると思いますので「考え直せ」と言っているところです。

・教職員の健康・安全はもはや臨界点まで?

 都内新宿区の新規採用の教員が、就職2ヶ月で死を選んだという衝撃的な出来事は、私たち教職員にとって、本当に身につまされる事でした。こうした教職員の「自死」の事実は、03年以降、確実にふえてきています。若い人たちの状況はさらにひどくなっていきます。

 昨年度(08年度)公立学校の教員採用にされながら1年間の試用期後に正式採用とならなかった教職員は315人そのうち88人は精神疾患に陥っての退職との文科省調査で発表がありました。

 若い人だけでなく年配者も苦しんでいます。別の調査では「精神疾患で休職した公立学校の教員は約5000人。15年連続で増加。」日本の教職員は在校時間が長く、授業準備回数は少なく、文書作成が多い。(「教職員労働国際比較研究委員会」報告2009年2月)という結果もでています。

 この秋10月はじめ、八王子の27才の教職員が亡くなりました。・・・その若い教職員の死に至る3日間は次のようでした。社会科見学を終えた日の週末金曜日。学年会を午後9時過ぎにおえて、仲間と過ごした後ブログ書き込みなどを終えたのが未明の2時。土曜日1日は体調が悪く、寝ていたとのこと。よく日曜日朝、救急車を自分でよんで病院へ行く。入院を勧められたようでしたが、休み明けの月曜日の授業参観・保護者会と翌々日水曜日の研究授業が気にかかったためでしょう、帰宅を選んだとのことです。ただ、その後学年の先生に「授業参観・保護者会当日は出勤できそうにない」との連絡をして、月曜日は休むことにし、体力回復を図ったのですが病状は悪化しました。保護者会が終わった月曜日の夕方、心配になって連絡を取ろうとした学年の先生の電話に応答はなく、アパートで亡くなっていたのです。亡なったのは月曜日 と思われます。・・・赴任からそれまで退勤時刻の殆どが、8時9時が当たり前。土日のいずれかは出勤していたと、同僚は話しています。つまり「過労死」。想像するに、若いからこそ「疲れた」「つらい」と言えなかったのではないでしょうか。

 管理職もつらさを隠せなくなってきました。管理職や主幹教諭からの希望降格が増加していることです。11月の文科省の調査で、前年度より73人も希望者がふえ、179名になったそうです。パセンテージから言えば、40%増です。降任の理由は「健康問題」が179人中の53%を占めています。副校長・教頭も仕事の多さに悲鳴を上げています。何とかしなければ、学校の殆どが壊れてしまうでしょう。

 教職員が安心して教育実践を積み重ねることができる職場をつくることが、今もっとも大事な「教育改革」といえると思います。そうした訴えが学校現場のあちこちから叫ばれていますが、03年東京都に出された「10・23通達」以降、教育現場のまともな訴えは、かき消されてきました。学校長自身にも、現場の裁量が殆ど許されていない事は「土肥三鷹高校元校長」が裁判に訴えたことで、その実態が問われることになってきています。

 こうした現場の実態から見て、民主党の示した「教員免許制度」をはじめとする教育制度へ視点は、果たして現場の混乱を回復できるものなのか、甚だ疑問が生じます。教職員の希望者が果たしてこの制度で、「教員免許」を是非取ろうと考えるでしょうか。2年も大学にお金を払い込み、1年間もの「教員見習い」を勤める。ともすれば「超過勤務や過労で命さえ危うい」という学校状況では、とても教員を目指すなど、普通の学生は考えないでしょう。

 また、学校にとっても、1年間の「教育実習・研修」プログラムに付き合うことは、新たな忙しさ・負担となってくることでしょう。学校の中に新たな階層が生まれる事が目に見えています。

 現職の教職員はどうでしょう。給与を上げるためのキャリアアップをせまられ、忙しさをさらに引き受けていくのでしょうか。もはや「うつ」か、人生の「ギブアップか」の瀬戸際に立たされているにも拘わらずに…です。

・こうした現状をもたらしているもの

 「教育改革」の声が叫ばれて、30年近く経過しています。1980年「ゆとり教育」、84年「臨教審」による新自由主義からくる「個性重視」「学校の多様化」=学校選択制(競争の奨励)がはじまってから、20数年がたっています。これだけ長い間「教育改革」と言い続けてきて、一向に改革されていない「教育改革」は、方向が誤っていることに気づくべきでしょう。

 自由と言えば聞こえはよいが、「自由」と「自己責任」という言葉で、教育の「機会均等」という側面をそぎ落とし、「学校のスリム化」としての教育行政の経費を減らし、「民間に力を借りる」と言って、教育産業にとっての絶好のビジネスマネージメントをおこなってきたわけです。つまりこの間の教育改革の背景には、いつでも経済資本の思惑がうごめいていたのでしょう。

 競争によって教育の効率をあげ、「予算をかけないで、高学力のエリート養成をとする考え方は、絶対に間違っています。競争することを是とするならば、スタートの位置の公平さがあってはじめて成り立ちます。教育は、そのスタートでの「公平さ」・「機会均等」を補償する最も重要なファクターとなってくるのですから…。

 「富める者」である一部の者たちが、いつでも勝者となるような「自由な競争原理」を作ろうとしているのが「新自由主義」と言う考え方なのでしょう。もうこんな考え方の誤りに引きずられることなく、子どもたち自身が学ぶ主体となる教育・働く私たちの生活と権利が補償される学校を取り戻すことが第一です。東京都が行ってきた教育行政の仕組みを、逆方向から検証していけば、殆どのゆがみが取り除かれていく気がしてなりません。(以上)

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