2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
企業経営の社会主義化(10)
ラスヴェガスのカジノホテルの場合(1)


 ギャンブルで名高い沙漠の中の観光都市ラスヴェガス。グリーンハウスさんはこの特異な都市の情景描写から書き始めている。

 ラスヴェガスの有名な大通りを歩くと、そこでしか見られない数々の驚異を目にすることになる。まがい物のエッフェル塔、ミニチュアのブルックリンブリッジ、ヴェニスの宮殿もどき、そして暗い砂漠の空に一条の光を放つエジプトのピラミッド風建物。

 もう一つの驚異が、漆黒の髪をポニーテールにし、ドッジラムの白いピックアップトラックを駆って、ウェイトレスとして働くピラミッド内の戦場に通う小柄な女性、グラシエラ・ディアスだ。

 グラシエラは、ロサンゼルスに住む兄を頼って、メキシコからアメリカ合州国に密入国した女性だ。アメリカに流入し続ける単純労働者群の代表として、このグラシエラさんの半生を縦糸にしながら、ラスヴェガスの労働組合の活躍ぶりが紹介されていく。まずグラシエラの半生を、かいつまんで追ってみる。

 ロサンゼルスでグラシエラはアパレル工場で服にアイロンをかける仕事に就く。そこは、仕事は単調な上に、監督する上司は金切り声を上げて怒鳴り散らす典型的な搾取工場だった。グラシエラはやがて裁縫係にとり立てられたが、それでも賃金は、1日10時間の労働に対してたったの30ドル(2700円)だった。

 しかし、グラシエラはここで、やはりメキシコからの移民のマヌエルという男性と出会う幸運を得た。二人は結婚し、マヌエルの小さなアパートメントで暮らし始めた。梱包係のマヌエルの賃金もまた1日30ドル、年にして7500ドル(67500円)の収入しかなかった。やがてグラシエラは妊娠したが、その喜びは不安に変わっていった。

「お金はないし、家賃は高いし。ご飯を食べるともう家賃が払えないということが何度もあって。私たちはなんとかしようと話し合いました。だってもう二人だけじゃない、赤ん坊が生まれるんだからって。なんとかしなければ、何か別の仕事を見つけなければ、と思いました」

 ラスヴェガスのホテルで清掃員の監督をしているマヌエルの姉が、ホテルのカジノにいい仕事があると紹介してくれた。二人はラスヴェガスに向かい、マヌエルの姉夫婦の厄介になった。

 グラシエラはモーテルチェーンのベストウエスタンでベッドメイクとバスルーム清掃の仕事に就く。しかし仕事は単調で、福利厚生などいっさいない低賃金の仕事だった。

 マヌエルの方は、トラックショップで18輪トラックを洗う仕事。こちらも給料は安く、仕事は心弾まない。しかもアスベストを扱っていて、アスベストは危険だと友人たちに忠告されていた。まもなくマスエルは、義理の兄から建設労働者募集の話を聞いて、建設の仕事に転職した。初めての仕事は、ラスヴェガスの豪奢を極めつくした新しい巨大カジノホテル・ベラジオの建設現場だった。マヌエルは、やがて労働組合に入り、満足のいく賃金にも福利厚生にも恵まれることとなる。

 グラシエラの方は、はじめの3年間は、ホテルの後は裁縫仕事(ナイトクラブのショーに出演する人の衣装を縫う仕事)・カジノでの清掃員の監督と、次々に仕事を替わり、そのたびに落胆していた。

 マヌエルが働いている作業現場の監督の奥さんから、ピラミッド形のホテル・ルクソールのレストランに欠員があると聞いて、グラシエラはすぐに飛びついた。ルクソール内のメキシコ料理店(ラ・サルサ)に応募し、雇れることになった。ウェイターの助手という下級職だが、組合に加入できる職種だった。

 グラシエラの仕事は、料理を運び空の皿を下げるという単純なものだったが、賃金は時給10ドル14セント(913円 ラスヴェガスのウェイター・ウェイタ一助手に支給される基本給)で、国内では最高のレベルのものであった。ちなみに、ニューヨーク市では1時間当たり4ドル60セント(414円)だという。

 この基本給のほかに、1時間平均5ドル(450円)のチップが加算される(ウェイターとウェイター助手はチップを分け合う)。1日7時間のペースで働くと、年27000ドル(243万円)の収入になる。実に、ホテルの清掃員監督時代の約2倍、搾取工場時代の3.5倍になる。

 さらにグラシエラは、多くの不法移民に恩赦を施す1986年の連邦法の施行によって永住権を取得し、晴れてアメリカ市民となった。

 ラスヴェガスには、ホテルやレストランの従業員が学ぶ国内随一の研修センタ一(ラスヴェガス料理関連職トレ一二ングアカデミー)がある。ルクソ一ルに雇われたグラシエラはこの研修センターで好きな科目を無料で履修できることになったのだ。つまり、努力次第でより高度な職業に就くための足がかりを得たということだった。

 この研修センタ一にはさまざまな科目が揃っていて、毎年3000人の労働者が受講している。年収27000ドル(243万円)のウェイター助手を、年収50000ドル(450万円)のウェイターに、さらに頑張って勉強を続ければ年収75000ドル(675万円)のバーテンダ一やソムリエにさえなれる。なかには年収10万ドル(900万円)を超えるような、副料理長やマスターソムリエになるための科目をとる人たちもいる。

 以上のように、ラスヴェガスのホテル従業員が賃金の面でも福利厚生の面でも優遇されるようになるまでには、経営側と労働組合との激しい攻防があった。次回はその経緯を追ってみよう。
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