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509 吉本隆明の「ユートピア論」(8)
「システム」を開く
2006年5月25日(木)


 山岸会会員の話から引き出された二つの特徴は、一般社会に囲まれたあらゆるユートピアの特徴として一般化できる。それを吉本さんは次のように言い直している。

(1)
 欲望を叶えられる者とその欲望を求めて手に入れてくる者とは別人で分離されている。

(2)
 一般成員はどんな仕事にたすきわるのも自由だが、ユートピアの経営に直接関わることに無関係の位置に置かれる。

 このような高度な管理システムをどこかに含む組織集団(国家、社会、あるいは部分社会)を『擬似ユートピア』と吉本さんは呼んでいる。そして『わたくしの乏しい知見からは、この擬似性を免れている高度社会は現在まで存在していない。』という。

 ではこの擬似性を回避するのにどのような処方箋がありえるか。


 管理社会の首脳の側面から考えると現在の高度管理に異論をもち、自己の発想、現役割、もしかすると収入と支出の自由と規模から考えて自己修正した管理システムを実現しようとする首脳など存在しないといえるかもしれない。わたしもはじめそう考えてもはやどんな修正意見も先細りになってゆくし、反対や改善にまわることはあり得ないとおもえた。絶望するほかないとおもえた。



 ここでは吉本さんは、現在の状況とは無関係に理想の社会を描くことではなく、上記(1)(2)の二つの枠組みを前提とした場合の処方箋を問題にしているようである。


 どうすればこの擬似性を免れるか。わたしなりにぎりぎりのところまで考えてみた。なぜなら管理システムの高度化は今後電子装置、交通装置の発達と情報科学者たちの無自覚な寄与や関与によって加速加重をかけられることは疑いないからだ。
 科学のもつ中立性は押しとどめることはできないし、またこの科学の中立性は人間の倫理性とは無関係に、どんな資本主義の競争にも社会主義の独裁にも利用され得るからである。率直にいって現在の擬似ユートピアを超える方法は皆無ではないかという絶望感に襲われる。しかしこの絶望感、言い換えれば科学のもつ中立性こそは、また大きな利点であることが見出される。それは絶望の希望ともいうべきものだ。



 科学技術の高度化と併行してますます高度化する管理システムは避けられないという点が、(1)(2)を前提とする一つの理由のようである。


 大なり小なり政治的(つまり社会集団的)理念と論理に関わりをもつ思想ははじめから開かれていなければ「ユートピア」社会を作り得ない。別の言い方をすれば、一般社会のもつ雑種性の自由度と管理システムより優れた管理社会を作り得なければ何の意味もない。つまりは開かれても引き入れる利点をもたないならばどんな口先の当たりがよくても意味をもたない。



 「開かれた社会」とか「国家を開く」とかいう言い方で使かわれている「開く」という言葉は吉本ユートピア論の最も重要なキーワードだ。一般成員の無記名投票によって管理首脳をいつでもリコールできる仕組みを備えることを「開く」といっていたと思う。しかしここでは管理システムを運営する上での理念が問題になっている。開かれた上にさらに『引き入れる利点』を備えるのには何が必要かと問うている。


 管理される者の利益、自由度、志向性、意志をいつも最優先に置くこと。言い換えれば管理制度がそのために必要である当のことを第一義とすることだ。そうでなければ当の管理社会は廃棄されるか改善きれる以外に意味をもたない。
 たった一つの希望とは、繰り返しになるが次のような原則だ。

「すべての管理システムをもっている国家、社会、部分社会は管理される者の利害、健康、自由を最優先すること。これに反する管理システムは破棄されるか、または修正されること。」

 管理者やその下僚は、管理される者の利害得失にたいして等価以上の支払いを求めないこと。言い換えれば管理首脳群と下僚がそれ以上の利得を得たいときは(つまり等価以上の利益を得たいときは)別途の方法によること。



 現存の国家で真に「管理される者の利害、健康、自由を最優先」している国家はもちろんない。せいぜいよくても「管理される者の利害、健康、自由を最優先」している振りはしている。そうでなくては権力を維持できないからそうしている。

 『管理される者の利害得失にたいして等価以上の支払いを求めないこと。』という文が分かりにくい。私は「公務員の給料は一般大衆の給料をうわまわらない。」と同じ意と読んだがどうだろうか。
 『管理者やその下僚』とは、言うまでもなく国家の場合は「政府と官僚」を指す。ここで述べられている理念はコンミューン国家あるいはリバータリアン社会主義社会の要件の一つである。しかしここでは『管理者やその下僚』が固定化されていることを前提としているようだ。したがってこのシステムは階層的である。コンミューン国家あるいはリバータリアン社会主義社会とはこの点で異なる。現状の枠組みとは関わりなく言えば、当番だから仕方なしに『管理者やその下僚』をやろう、というのが理想だ。これも実はどこかで吉本さんが言っていた事だった。
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