2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
「財源=税」問題を考える。(2)

 今日の記事は、衆議院選挙投票日の前にアップしようと思っていたのですが、何十年ぶりかの発熱にみまわれ、つい延び延びになってしまった。発熱した日のうちに診察を受けましたが、新型インフルエンザの検査はマイナス判定でした。症状は熱だけで、咳や鼻汁や頭痛はない。解熱剤が処方されましたが、熱は上がったり下がったりで、快癒しない。未だ原因が分からない。ともあれ今日は小康状態なので、記事作成を再開しました。(他の人には関心のない私事を書いてしまいました。)

 さて、何ごとも、そのことについての歴史の正しい認識を欠くと、その現状の判断や未来への展望を誤る。その観点から、「政権交代選挙」と喧伝されていた今回の総選挙についても、マスコミの論調やいわゆる有識者たちの言説に大きな違和感を感じていた。ほとんどの論者は、現行の議会制民主主義こそ真性の「民主主義」であるという誤認識のもとに論説を展開している。議会制民主主義についておおまかな復習をしておこう。

 議会制民主主義は、歴史的には、ヨーロッパにおける数々の市民革命を経て編み出されたもので、ブルジョア(経済的支配階級)独裁を貫徹するための政治システムである。そして、資本主義経済システムにおける社会的不平等こそが、議会制度を屋台骨とする近代国民国家(ブルジョア独裁国家)の存立を可能としている。平等な一票は社会的不平等の下で反故同然となる。この「議会制民主主義」の歴史的成立事情は現在の成熟した国民国家においても貫徹されている。

 では、社会的支配階級であるブルジョアジーはどのようにして政治的支配をも掌中におさめるのか。その答えは、議会や政府(執行的諸機関)とブルジョアジーとの現実的な関係の中にある。

 ブルジョアジー内部では、個別資本の地域的・業種的特殊利害にもとづく様々な対立・抗争・軋轢などが渦巻いている。しかし、他の社会的諸階級・階層とくに被支配階級に対する支配階級の共通的な一般的利害が大きな問題としてある。その一般的利害とは、いうまでもなく、ブルジョアジーの存立条件である資本制的生産様式維持のための利害である。従ってブルジョアジーの対立・抗争は、支配階級としての統一され一般化された観念的「共通利害」の立場から、内部的に調整され制御され、外部的には大きく統一された階級的意志・総意として集成され、押し出される。これを「総資本意志」と呼んでいる。

 このようにして形成された総資本意志が、一般的「法律」として形成されていく道筋は、大きくみて二つある。

 一つは総資本意志が、直接の政治的代理人である有力議員層の手を通じて、政府-官僚機構へ強引に押しつけることにより、政府法案ないし官僚の手を借りた議員立法という形で押し出される場合である。2007年に経団連が発表した「御手洗ビジョン・希望の国」(これは被支配階級にとっては「絶望の国」にほかならない)がすぐに思い出された。自公政権の悪政の多くが「絶望の国」と重なっている。

 いま一つは、未だ明確に確定できていない総資本的意志を、政府-執行機関が、より観念的かつ国家的見地から先取りしてすくい上げてその能動性を発揮する場合である。この場合は「国家百年の大計」などといった意気込んだ言質をともなって官僚層が「法律」を立案することとなる。あるいは告示・通達の中に先取りすることもある。「学習指導要領」に盛り込まれた「君が代・日の丸」の義務化はそうした例の一つだろう。これには「絶望の国」が後追いをして、「企業や官庁が日常的に日の丸を掲げ君が代を斉唱すること」を提言している。

 ところで、国家意志として形成される一般的法律は、大きく「公法」と「私法」とに分類される。「私法」とは『社会・経済政策に関わる法的規範』であり、いわば社会的国家に関わる法律である。それに対して「公法」とは政治的国家として『直接の階級的支配体制を、大きく外面的に束ねる<政治的支配>に直擦関わる性格の国家意志』(外交など「共同体-即-国家=外的国家」としての国家意志もここに入る。)である。

 総資本意志が大きく国家意志形成に関与するのに対して、被支配階級の意志は、国家意志形成において部分的にでも反映されるとしても、それは原則上、各種公共土木事業や社会福祉また国民的諸階級・階層への各種経済的保護・育成などの、社会・経済政策に関わる経済的国家意志、つまり「私法」に限定される。しかし、「公法」においては、被支配階級の意志が反映されることは原則上不可能である。

 今回の総選挙で政権交代が起これば、それは「無血革命」だなどという言説もあったが、それ原理的に間違いである。そこまで幻想しては大きく落胆するだろう。私は、「私法」において被支配階級の意志がこれまでよりも大きく反映させることには期待している。しかし、「公法」においても被支配階級の意志が反映されなければ、その変革は「革命」とは言えない。

 以上に見てきたように、議会における国家意志を一般的「法律」として策定し、かつその内容を根本的に規定しているのは、ブルジョアジーの総資本意志であるある。ところが、小泉「偽」構造改革以来、ブルジョアジーの国家意志への関与は直接的で、極めてあくどくなってきていた。その典型が「経済財政諮問会議」である。

(枕が長すぎて、本題に入るところでくたびれてしまった。次回に続く。)
スポンサーサイト
 コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
 トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/1344-3182a7c7
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック