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《「真説・古代史」拾遺編》(92)

地名奪還大作戦(20):飛鳥の雷岳(いかづちのおか)=福岡県背振山脈の雷山(らいざん)(1)


 今回の話題は『万葉集』巻三冒頭の235番歌です。(教科書は古田さんの講演記録「神と人麻呂の運命」です。)

天皇、雷岳(いかづちのおか)に御遊(いでま)しし時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首

大君は神にし座(ま)せば天雲(あまくも)の雷(いかづち)の上に廬(いほ)りせるかも
(原文)
皇者 神二四座者 天雲之 雷之上尓 廬爲<流鴨>

右、在る本に云く。忍壁皇子(おさかべのみこ)に献(たてまつ)るといへり。その歌に曰はく、

大君は神にしませば雲隠る雷山に宮敷きいます
(原文)
王 神座者 雲隠 伊加土山尓 宮敷座


 例によって「岩波」の頭注を読んでおこう。

(詞書について)
○天皇 ― 未詳。人麿の作歌だから天武・持統・文武の三帝のうちであろう。持統天皇か。
○雷岳 ― 奈良県高市郡明日香村雷にある丘。異説がある。

(歌について)
○神にし ― シは強めの助詞。
○座せば ― いらっしやるから。
○天雲の ― アマクモのクは清音。雷の丘という名にちなんで、その修飾語として天雲を用いた。
○雷 ― 雷の丘のこと。
○廬らせるかもーイホルという動詞は四段活用と推定されるので、敬意を表わすスという接尾語を添え、存続の意を表わすためイホラセルと訓む。
〔大意〕
大君は神でいらっしゃるから、大空の雷のその上にいほりしておいでになることである。
(雷岳を実際の雷のように見なして歌っている。)

(左注について)
○忍壁皇子 ― 忍坂部・刑部とも書く。(管理人追記 ― 天武の第9皇子。三品親王で没)
〇隠る ― カクルは当時四段にも活用したのでここはクモガクルと訓んで連体形。雷山にかかる。
○宮敷きいますー御殿をいとなんでおいでになる。

 この歌は大日本帝国の権威付けに大いに利用されたことで有名な歌だという。古田さんの体験を聞いてみよう。

 あまりにも有名な歌です。わたしも戦争中は耳にタコができるぐらい聞かされたあの歌。天皇が現神(あらひとがみ)であるなによりの証拠として憲法の解説にあげられた歌です。あの伊藤博文の『憲法義解』(岩波書店、伊藤博文著 宮沢俊義校註)の中で、「天皇ハ神聖ニシテ冒スベカラズ。」の根拠とされ載せられていました。わたしも戦争中にきいて、日本精神を一語で表す歌であるとして喧伝され、わたしもそのように想っていた。

(このあたりの経緯を詳しく知りたいと思った。講演録の注に、「詳しくは『古代史の十字架』を」とあったので、図書館からその著書を借りてきました。教科書に追加します。以下はその著書による。)

 賀茂真淵はこの歌を次のように解説している。
「天皇は顕(ウツ)し神にます故に、雲の中の雷の上にみやゐさせますとなり。岳の名によりてただに天皇のはかりがたき御いきほひを申せりける。さまはただ此人のはじめてするわざなり。」(『新採百首解』)

 このような国学のテンノロジー解釈に乗って、伊藤博文が『憲法義解』で天皇の神聖不可侵性を論じる。
「第三條 天皇ハ神聖ニシテ侵スへカラス
恭(つつしみ)て按ずるに、天地剖判(ほうはん)して神聖位を正す(神代紀)。蓋し天皇は天縦惟神(てんしようゐしん)至聖にして臣民群類の表に在り。欽仰(きんぎやう)すべくして干犯すべからず。(下略)」
(これに続いて、万葉集235番歌を引用している。)

 ここに「干犯」という言葉が使われている。後に大日本帝国の軍部が、黄門さんの印籠よろしく、ことある事に振りかざした「統帥権干犯」のでどころはここだろうか。

 さて真淵の解釈を受け継いで、235番歌を最大限ヨイショしたのは斎藤茂吉であった。茂吉はこの歌の大意を次のように書き表している。
「天皇は現人神(あらひとかみ)にましますからして、今や天空に轟く雷(いかづち)の名を持ってゐる山のうへに行宮(あんぐう)を御作りになって御入りになり給うた。天皇は現身(げんしん)の儘(まま)すでに神にましますから、神の命を受けられた、神随(かみながら)でましますから、その偉大萬能のゆゑに、かの天雲に轟く雷電(らいでん)の上に直ちに行宮し給うた。

 続けて次のように「鑑賞」している。
「内面動機は、人麿は心を引きしぼってせい一ばいの表現をして居る。ゆゑに當時の人々は寧ろかういふ聯想の手際をも喜んだものかも知れぬが、出来あがった此一首は、字面どほりに、天皇が直ちに雷電の上に御いでになる趣として味ふやうに出来て居る。そして一首を貫く聲調は太く強く荒々しく、天地渾沌の相を暗指し、奥に動いてゐるものは何か知らん、創造的元力と謂ふやうなものを感ぜしめる。そしてこの勢(いきほい)は何から来るかといふに、人麿の真率熱烈な態度から来るのである。(中略)人麿のこの歌は多くの萬葉學者からも餘り同情を牽かれてゐないものであるが、私は秘かにやはり人麿のものでは優れた部類の中に評價し来って現在に及んでゐるのである。」(『柿本人麿、評釋篇巻之上』)

 「餘り同情を牽かれてゐない」ばかりか、とんでもないオベンチャラの揶揄歌という評価もあったようだ。これに対して茂吉は言う。

「またマルクス學などの傳染を經たものは、人麿の作歌態度を阿諛と見做し御用歌人の職業的作歌などといふのであるが、そういう程度の批評が幾らあっても決して邪魔にならないほどの勢をもった歌だといふことを知らなければならない。」

 しかし、オベンチャラの揶揄歌という評価は「マルクス學などの傳染を經たもの」だけではなかった。折口信夫はこの歌を次のように評している。

「そして都からやつと半みちの飛鳥の神丘へ行かれた時も、人麻呂は帝王を頌する支那文学模倣とも言へば言はれさうな歌をことことごとしく作ってゐる」(『古代研究国文学篇』)

 「飛鳥の神丘(雷岳)」をこの歌の舞台とする限り、このような評こそが真っ当である。(その理由は次回で明らかになる。)しかし、テンノロジーというイデオロギーには、このような批評を聞く耳がない。山田孝雄も折口信夫の評に次のように反論して、結局、江戸の国学以来の説が「定説」となっていった。

「一首の意、攷證(こうしょう)(岸本由豆流-古田さんの注)に次の如くいへり。『天皇は神にてましませば、奇(クス)しくあやしき御しわざありて人力のおよぶまじき雷の上にいほりを作り給へるかなと申すにて雷山を實の雷にとりなしてよめるは歌の興なり』といへり。これをよしとす。」(『萬葉集講義』)

 「岩波」の頭注と大意はこの「定説」を踏襲したものである。
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