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《「真説・古代史」拾遺編》(91)

地名奪還大作戦(19):吉野の三船山=佐賀県の御船山


(今日の資料は「古田武彦懇親会 2000年1月22日」の記録です。)

 今回は再び『古今和歌集・仮名序』の登場。仮名序の次のくだりが枕です。(岩波古典文学大系『古今和歌集』より。適当に段落を付けた。)

かのおほん時に、おほきみつのくらゐ、かきのもとの人まろなむ、哥のひじりなりける。これは、きみもひとも、身をあはせたりといふなるベし。

秋のゆふべ、たった河にながるゝもみぢをば、みかどのおほんめには、にしきと見たまひ、春のあした、よしのの山のさくらは、人まろが心には、雲かとのみなむおぼえける。

又、山の邊のあか人といふ人ありけり。哥にあやしく、たへなりけ。人丸は赤人がかみにたゝむ事かたく、あかひとは人まろがしたたゝむことかたくなむありける。


 さまざまの解説書や鑑賞書や研究書などで、頻繁に引用されている有名なくだりだ。

 人麻呂は歌の聖と言われているが、貫之は低い評価を与えている。赤人の方が優れているという。人麻呂の欠点の一つとして挙げているのが赤字の部分だ。帝(文武天皇)が紅葉を錦と見て詠っているのと対比して、人麻呂は吉野の桜を雲としか見たてられない(あるいは雲を詠って、桜を詠っていない)と難詰している。そして、上の引用文の後に文武天皇の歌と人麻呂の歌を挙げている。(赤人の歌も挙げられているが、本論に関係ないので省く。)

ならのみかどの御うた、
 竜田川もみぢみだれてながるめりわたらばにしき中やたえなむ

人麿
 むめの花それとも見えずひさかたの あまぎるゆきのなべてふれれば
 ほのぼのとあかしのうらのあさぎりにしまがくれゆく舟をしぞおもふ


(これらの歌は『古今和歌集』に収録されている歌だが、いずれも「題しらず よみ人しらず」の歌で、左注に「ある人、・・・なむ申す」という言い方で、それぞれ「ならのみかど」あるいは「人まろ」の歌としている。)

 「ならのみかど」の歌は紅葉を錦に見たてているが、「人まろ」の歌には桜や雲の影も形もない。どうしたことか?

 「岩波」の頭注に曰く、
「春のあしたよしのの山のさくらは ― これに当たる歌は見えない。人麿の時代には、まだ、吉野山は桜の名所となっていなかったらしい。」

 古田さんは言う。
「古今和歌集の序文というのは、紀貫之が大変なエネルギーと独創力をつぎ込んで書いた名文章であると私は考えている。それを後世の人は誤解してきたのではないか。」
 貫之が渾身の思いを込めて書いた文に、「ない」歌を取り上げるはずがない。そこで古田さんは、人麻呂の歌で「吉野」と「雲」を含む歌を探し出している。

 『万葉集』巻3・244歌
三吉野の御船の山に立つ雲の常にあらむとわが思はなくに
 右一首、柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ。


 雲を歌って桜を歌っていない。紀貫之がいちゃもんを付けているというか、人麻呂のことを「歌の聖」と言われていたが、自分から言うと物足りないと云っている。確かに奈良県の吉野なら、桜を歌って当たり前だ。そう思われても仕方がない。『万葉集』でも桜の歌を結構歌っている。万葉に桜の歌はないというのは嘘で、万葉に桜の歌はかなり有ります。(管理人注:調べたら45首あった。)だのに桜を歌っていない。紀貫之がそうクレームを付けている。その意味で彼のクレームは非常に鋭い。そのクレームの後、人麻呂と赤人の比較論に入っていく。「人丸は赤人がかみにたゝむ事かたく、(人麿は赤人の上にいかない。人麿は赤人の上ではない。)」と書いてある。

(中略)

 結局どちらにしても「赤人が上だ。」という話に入っていく。いきなりその話に入っていくのではなくて、間にクレームが入っていることに意味がある。それで最後は、「いにしへをあふぎて、いまをこひざらめやも。」で終わっている。つまり我々の古今集がもっとも優れた歌である。赤人もかなり進んでいるが、もっと良いのは我々古今集が技巧的に優れている。これこそ芸術だ。そういう文脈となっている。

 だから今の人にとって、その歌がないと理解した為に、その歌が持っている仮名序における文脈上の役割が、カットされてしまった。私は、この歌を見つけたことに非常に意味があった。とにかくそういう経過で『万葉集』には、明らかにこの歌がある。人麻呂の若いときの歌のようで、また人麻呂歌集とあるので人麻呂自身の歌か議論がありますが、紀貫之の目から見ると人麻呂の歌である。

 さて、244番歌の分析に入ろう。
 その歌に「御船の山」とあるが、奈良県の吉野にも三船山はある。しかし行って見て、はてな?と首を傾げた。全然特徴がない。あれが三船山かとさんざん考えた。さらに宮滝の歴史資料館の方に行って、やっと確認した。その山は特に船の形をしていませんし、第一宮滝は舟遊びは出来るかも知れませんが、船になにか特徴があるような川でもない。そこで「御船の山」と『万葉集』に有ったから逆に付けた名前ではないか。

 そんな馬鹿なと思われかかも知りませんが、「水分(みくまり)山」という山がある。あれが「水分(みくまり)山」だと霞に霞んでいたが、宮滝の歴史資料館の方に教えていただいた。但しあそこの山は分水嶺になっていませんと正直に言われた。別の山があって、その山が本当の分水嶺の山である。分水嶺の山になって無くて「水分(みくまり)山」という名前を付けることはあり得ない。現在万葉を読んで「水分(みくまり)山」が無くては困る。だから名前を付けた。そういう話になっているようだ。

 だから「御船の山」もどうも同じ手口ではないか。どうもあの山を見ても、この山だという気がしない。

 吉野の三船山の写真を「いにしえの旅」さんから拝借しました。(無断借用、ごめんなさい。)

吉野の三船山
(クリックすると大きくなります。)

 なるほど、雲が立ち上るような山ではない。

 度々ふれているように、いわゆる「好字二字令」によって一斉に日本全国の地名の表記が全く変わってしまった。九州の倭(ちくし)を中心とする地名を近畿に移し、記紀や万葉集の記述に対応させる陰謀が、この命令の隠された真の目的だったのではないか。

 吉野の三船山に対して、佐賀県にも御船山がある。その山はどのような山だろうか。この山を実際に訪れて、古田さんはその印象を次のように記している。

 確かに素晴らしい山だ。一回見たら忘れられない御船山だ。船の形をして居て、平地の中にその山だけが突き出ているから印象的だ。しかも山の上の岩。岩があること自体は珍しくないですが、岩が実に小刻みに刻んだ岩が目の前に大きく連なっている。何とも言えない神秘的な忘れられない印象の山です。

御船山2
南東から見た御船山

御船山2
武雄温泉から見た御船山
(クリックすると大きくなります。)

 2枚とも古田さんが武雄市文化情報課から頂いた写真だそうだ。三つ見える嶺はそれぞれ左から、艫峯(ともだけ)・帆峯(ほだけ)・鞆(?)峯(みよしだけ)と呼ばれている。「みよしだけ」の「みよし」の漢字を古田さんは、「船偏に手の鞆と書いて「ミヨシ」と読みます。辞書を引いたら出てきます。」と言っているが、「船偏に手の鞆」の意味が分からない。講演記録なので記録間違いかも知れない。手元の漢和辞典で「船偏」の漢字を全て調べたが分からない。ただし艫(ヘサキ)の意味の中に「みよし」とあった。


(イ)ヘサキ。船さき。みよし
(ロ)トモ。船の尾。「舳―」
(ハ)フネ。フネに同じ。

 さしあたって、ここでは古田さんが「ミヨシ」に注意を促していることを確認して先に進もう。

 ここで、まず間違いなく、「三吉野の御船の山・・・」と人麻呂が歌っているのは、ここだと思った。この御船の山を歌わなければ詩人ではない。そのような山だ。歌うに価する山だ。そうすると、この歌はすごい歌になってきた。この歌は平凡な歌ではない。「常にあらむ いつも世の中は同じとは思えない」と歌っているとおり、無情というか、そういうものを述べている歌でなかなかのものですよ。

 以上で、「御船山=佐賀県の御船山」であると、十分に納得できた。しかし古田さんはさらにこの歌の解釈をさらに深めている。私には、ちょっと穿ちすぎではないかという思いもあるが、ともかく最後までたどってみよう。

 歌の冒頭が「三吉野」だった。これと御船山の「ミヨシ」とは何か呼応しているのだろうか。「三吉野」について、古田さんは次のように論じている。

 吉野ヶ里にも吉野がある。吉野山もある。ふたつ吉野がある。それから古賀さんに情報を頂いていたのは、武雄にも吉野はある。場所はどこか分かりませんが『太宰管内志』にも吉野がある。そうすると吉野が三つ有る。

 上の文だと吉野が四つあるように読める。「武雄の吉野=太宰管内志にある吉野」ということだろうか。地図検索したら次の三つが見つかった。神埼郡に吉野ヶ里、佐賀市に吉野山、あと伊万里市にも吉野がある。古田さんが指しているのと同じだとすると「武雄の吉野=伊万里市の吉野」となるが、武雄と伊万里ではチョット離れすぎている。今すぐは確認できないので、いちおう三つあるということで先に進もう。

 それまで私は「三吉野」という言葉が出てくるが、美称の接頭語である「御(み)」であると理解していた。皆さんもそうであったと思う。奈良県に吉野は三つ無いです。一つしかない。しかし佐賀県に三つ有る。文字どおり「三吉野」です。
(中略)

 しかし事の真相に気がつかなかった。なぜかと言いますと「三吉野」は三です。「三船」も三です。掛け算3×3=9です。

 冗談かと思われるかも知れませんが、これには伏線がありまして、人麻呂の他の歌に「十六社者」と書いてありまして「ししこそは」と詠んでいる歌がある。これは万葉では有名な例である。人麻呂が算術の計算をして表記している例なのです。そういう人麻呂ですから3×3=9の計算ぐらいは出来るでしょう。そうすると「3×3」とは何かというと、雲が立っている。その雲は「九重の雲」が立っているとなる。

 つまりこの歌の真意は、今は九重の雲が棚引いているが何時までもあるとは私には思えない。そういう歌になる。「九重の雲」とは天子のことで、天子と言って今は威張っているけれども、しかし何時までもあるとは限らない。今は覆(おお)っているが何時までも覆っているとは限らない。この歌は並の歌ではない。人麻呂歌集ですから若い頃の歌だと思いますが、若い頃からそういう非常に鋭い感じ方を持っていたのではなかろうか。そう思います。

 ちなみに、に「十六社者」という言葉遊びをしている歌は239番歌です。

(原文)
八隅知之 吾大王 高光 吾日乃皇子乃 馬並而 三猟立流 弱薦乎 猟路乃小野尓 十六社者 伊波比拝目 鶉己曽 伊波比廻礼 四時自物 伊波比拝鶉成 伊波比毛等保理 恐等 仕奉而 久堅乃 天見如久 真十鏡 仰而雖見 春草之 益目頬四寸 吾於富吉美可聞

(訓読)
やすみしし 我が大君 高照らす 我が日の御子の 馬並(な)めて御狩り立たせる 若薦(わかこも)を 狩路(かりぢ)の小野に 獣(しし)こそば い匍ひ拝(をろが)め 鶉こそ い匍(は)ひ廻(もとほ)れ 獣じもの い匍ひ拝み 鶉なす い匍ひ廻り 畏(かしこ)みと 仕へまつりてひさかたの 天(あめ)見るごとく まそ鏡 仰ぎて見れど 春草の いやめづらしき 我が大君(おほきみ)かも
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