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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《「真説・古代史」拾遺編》(89)

地名奪還大作戦(17):天香具山=大分県鶴見岳(4)


 古田さんは次に、冒頭の詩句「大和には 群山あれど とりよろふ」の「とりよろふ」の意味を問題にしている。

「岩波」の頭注は「とりよろふ―ヨロフは都に近くある意。」としている。古田さんはこの「岩波」の解釈にふれていないが、この解釈に沿って検討してみよう。

 前回の「万葉散歩」さんから拝借した写真を改めて見てください。「万葉散歩」さんは「定説」に従っているので、香具山が都の近くにあることを証すべく、「藤原宮跡」を特記している。しかし、藤原宮は持統の造営であり、舒明よりずっと後の京である。

 舒明は推古朝の小墾田宮をそのまま継いだようだ。「岩波」の頭注は舒明天皇の宮を「奈良県高市郡明日香村雷の東の地という。」と書いている。はっきり「小墾田宮」と比定していないが、明日香村雷には小墾田宮跡がある。ここが舒明の宮だとすると最も「とりよろふ」山は甘樫丘(148メートル)だし、飛鳥三山の中では畝傍山(199メートル)が最も近い。小墾田宮に「とりよろふ」山が香具山だというのは、やはりチグハグだ。

 「とりよろふ」という言葉の使用は他に例がないようだ。『万葉集』を調べたが、少なくとも『万葉集』では2番歌以外に「とりよろふ」という言葉はない。それで、いろいろな解釈が出されている。多くの万葉学者の解釈は、「岩波」と違って、この言葉を「際だっている」「とりわけ立派である」と解しているようだ。あるいは「鳥が集まる」という解釈もあるようだ。古田さんはこれらの解釈で話を進めている。

 「とりよろふ」の解釈も色々あるでしょうが「際だっている」ということでしょうが、ぜんぜん際立っていない。それに鳥が集まってくる「山の中の山、目立つ山」という意味でしょうが、本当にそうでしょうか。

 今回も飛鳥三山の写真を撮ろうと思って撮ったが、香久山はいつも入っているか迷った。後の二つ畝傍山と耳成山は入っていると思いますよ。しかし香久山はいつも本当にカメラに写っているか不安でした。一番目立たない。なぜ「とりよろふ天香具山」でしょうか。幾らイメージだと言っても、イメージにむしろ反している。これはどうも違うのではないかと思い始めた。

 どうやらこの歌の「天香具山」が飛鳥三山の香具山ではないことが明らかになってきた。では何処のどの山を指しているのだろうか。

 古田さんはこの歌に二回出てくる「大和」という言葉に注目する。この二つの「大和」の原文は、先頭の「大和」は「山常」であり、後の方は「八間跡」である。これをどちらも「やまと」と訓読している。この訓読は本当に正しいのか。古田さんの分析は次の通りである。

 「常世 とこよ」の「常 とこ」だから、上を取って「常 と」と読めないことはないけれども、下の発音を採るのが(万葉かなでは)普通ですから、「山常 やまこ」と読むのが普通だ。又もう一つの読み方「常 つね」を取れば、「山常 やまね」と理解するのが普通だ。第一大和の表記はいっぱい出てくるが、「山常 やまと 大和」の表記は他に全くない。ここだけだ。これを本当に大和と読んで良いのか。むしろ後の読み方の下のほうを取って「山常 やまね 山根」と読むべきだ。小学校・中学校を通して山根君が居ましたし普通の呼び方だ。島根県の「島根」と同じ接尾語である。

 「山根には」というと、山の幹に対して、根がずっと広がっている。これに対して幹になる中心になっているのが高い香具山である。かなり高い山ですよ。

山常庭 村山有等 取與呂布 山嶺には 群山あれど とりよろふ
(『別府史談』入江秀利さんのご協力により「山嶺 やまね」と後日改訂)

 これに対してもっとおかしいのが最後の「八間跡 大和 やまと」である。こんな大和は他に全くない。本当に大和か。「八間跡」は「はまと」ではないか。ハブの港ではないが。それで大和が二つあるから間違いないと思っていたのが、これで二つとも駄目となり、大和と言うことがあやしい。大和とは読めないのではないか。

 「八間跡」をどう読むべきか、と言う問題はひとまずおいて、先へ進もう。

 ここで決め手となるのがもう一つの固有名詞、「うまし国ぞ 秋津島 大和の国は」の「秋津島」である。これについて「地名奪還大作戦(13):再び、大日本豊秋津洲=国東半島の南東部」で「秋津島」の奪還は終わっている。「海原」は別府湾ではないか? 2番歌の舞台は別府付近であるとして、歌を検討してみよう。(スリリングなクライマックス。古田さんならではの徹底した探求が展開される。古田さんの言葉を直接引用する。)

 別府湾なら「海原」があって「鴎(かもめ)立ちたつ」も問題なし。のみならず「国原に煙立つ立つ」も問題がなくなった。私の青年時代、学校の教師をやったのが松本深志高校。そこに通うとき浅間温泉の下宿させていただいた。坂を下り学校に通うとき、冬など温泉のお湯がずっと溝に流し出され、それが冷たい外気に触れて湯気が立ち上がっていて、本当に「煙立ちたつ」の感じだった。そこをぬうようにして降り、なかなかいい光景だった。浅間温泉のような小さな温泉でそうだから、別府となりますと日本きっての温泉の一大団地。そうすると、まさに「煙立ちたつ」ではないか。学校の授業の時は「民のかまどの煙が立ちこめ」と注釈にもそう書いてあったので「家の煙」だと解説していた。しかし良く読んでみると、「海原は鴎立ちたつ」は自然現象。鴎が自然発生しているのと同じように、それと同じく「国原に煙立ちたつ」も自然現象。煙が自然発生しているのと同じ書き方である。同じ自然現象です。それで熱中して調べて見た。

 それでは別府に「天香具山」はあるのか。まず「天 あま」はあった。別府湾に「天 あま」はあるのかと調べると、まずここは『倭名抄』では、ここら一帯は「安万 あま」と呼ばる地帯だった。この間行ってきた別府市の中にも天間(あまま)区(旧天間村)など、「あま」という地名は残っている。天間(あまま)の最後の「ま」は志摩や耶麻の「ま」であり、語幹は「あま」である。奈良県飛鳥は「天 あま」と呼ばれる地帯ではない。

 現在でも大分県は北海士郡・南海士郡というのが有り、南海士郡は大分県の宮崎県よりの海岸から奥地までの広い領域を占め、北海士郡は佐賀関という大分の海岸寄りの一番端だけになっている。点に近い所だけだが大分市や別府市が独立して喰いちぎられていったことは間違いない。これはもう本来は北海士郡は別府湾を包んでいたに違いない。それで海部族が支配していて「天 安万 あま」と呼ばれる地帯だったことは間違いがない。

 それでは香具山はどうか。別府の鶴見岳の存在です。別府へ行くといやでも1350メートルの鶴見岳が正面に聳(そび)えている。そこに神社が平野と中腹の二つありまして、その神社を火男小売(ほのをほのめ)神社と言い、ここの祭神がいずれも火軻具土(ほのかぐつち)命です。

 ここの「土」は当て字でして、津(つ)は港、「ち」は神様を意味する言葉です。あしなずち、てなずち、八叉の大蛇(おろち)、大穴持命(おおなむち)の「ち」です。港の神が「つち」である。

 ですからもう一言言いますと、「土蜘蛛 津神奇藻(つちぐも)」というばあいも、「くも」というのは「ぐ、く」は不思議な、神聖なという意味、「も」は(海の)藻のように集まっているという意味で、「くも」は不思議な集落という意味で、「津神奇藻(つちぐも) 土雲」は「港に神様をお祭りしている不可思議な集落」という誉め言葉なのです。それをへんな動物の字を当てて卑しめていて野蛮族扱いにイメージをさせようとしているのが『古事記』・『日本書紀』です。それを見て我々は騙されている。本来はこれは良い意味です。岡山県には津雲遺跡などがあります。そういう知識がありましたので、「ほ」は火山のことになる。

それで平安時代に、この鶴見岳の火山爆発があり『三代実録』にめづらしく詳しい状況が書いてあります。頂上から爆発し、三日三晩かけて吹っ飛び、大きい磐がふっ飛んできて、小さい岩でも水を入れる瓶ぐらいの大きさの岩が飛んできた。又硫黄が飛び散って川に流れて何万という魚が全部死んだという非常にリアルな描写があります。現在はそれで1350メートルで、今は隣の由布岳より少し低い。その鶴見岳は吹っ飛ぶ前は高さが2000メートル近くあったのではないかという話があり、もしそうであれば鶴見岳の方が高かった。

 それで元に戻り、鶴見岳には火軻具土(ほのかぐつち)命を祭っている。「か」はやはり神様の「か」で神聖なという意味で、「ぐ く」は先ほどの不可思議なという意味であり、「神聖な不可思議な山」が「香具山(かぐやま)」である。火山爆発で神聖視されていた山である。もう一つ後ろに神楽女(かぐらめ)湖という湖がある。非常に神秘的な湖ですが、その神楽女湖も、「め」は女神、「ら」は村、空などの日本語で最も多い接尾語で、これもやはり語幹は「かぐ」である。

だから並んで山も「かぐ」、湖も「かぐ」である。ですからやはり本来のこの山の名前は「かぐやま」であろう。「香具山(かぐやま)」とは本来ここであろう。それで安万(あま)の中にありますから「天香具山(あまのかぐやま)」である。

 「岩波」の頭注に「香具山は天から降った山だという伝説があったのでアマノカグヤマという。」とあったが、この説話は伊予の風土記と阿波の風土記に出てくる。伊予の風土記の方を引用する。(岩波古典文学全集『風土記』より)

伊豫の國の風土記に曰はく、伊予の郡(こほり)。郡家(こほりのみやけ)より東北(うしとら)のかたに天山(あまやま)あり。天山と名づくる由(ゆゑ)は、倭(ちくし)に天加具山(あめのかぐやま)あり。天(あめ)より天降(あも)りし時、二つに分れて、片端(かたはし)は倭の國に天降(あまくだ)り、片端は此の土(くに)に天降りき。因(よ)りて天山(あめやま)と謂ふ、本(ことのもと)なり。其の御影(きかげ)を敬禮(うやま)ひて、久米寺に奉(まつ)れり。(釈日本紀巻七)

 赤字の部分について、「岩波」は例によって「やまと」と詠んでいるが、私(たち)は「ちくし」と詠むのが正しいことを知っているので、その正しい詠みに訂正した。この説話の「天加具山」は飛鳥三山の香具山ではない。この説話は鶴見岳の火山爆発を下敷きに作られたものだ。鶴見岳=天加具山は、山を吹き飛ばす恐い火山として瀬戸内海で有名だった。その吹っ飛ぶ火山の片割れが、伊予の国の「天山」だという話である。火山でもないし標高163メートルの飛鳥の香具山では全く話にならない。

 あの山(飛鳥の香具山)も不思議な山である。何故かというと「天乞いの山」で神が祭られていて、不思議な名前で「櫛真智命(神名帳の記載例、同音異字)」と言い、それで雨ごいのお祭りをする。そうすると十回に九回は雨が降るという確率がよい不思議な山として伝説が伝わっている。しかし、ただの「香久山(かぐやま)」であり、言うのならば飛鳥の香具山であり、あるいは磐余(いわれ)の香具山である。あそこは海部族が支配した形跡はない。

 ということを見ますと、やはり先ほどの別府の鶴見岳は「天香具山(あまのかぐやま)」である。奈良県の歌ではない。。初めはおっかなびっくりでしたが、最後は確信を持って鶴見岳という別府の天香具山であるということを主張出来ました。

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