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《「真説・古代史」拾遺編》(86)

地名奪還大作戦(14):天香具山=大分県鶴見岳(2)


 「高山」は高い山、つまり普通名詞とも考えられるが、三山争いの場合は明らかに固有名詞でなければならない。22例の高山の中に、はっきりと固有名詞と分かる高山で、しかも中大兄が知っていたと考えられるものがあるだろうか。ここであの浮気な仁徳と嫉妬深い后の磐(いわの)姫に登場願うことになる。

 今回の仁徳の浮気の相手は黒姫ではなく、八田姫命(やたのひめみこ)。仁徳が八田姫命と浮気をしていることを知った磐姫は非常に怒って、浪速宮を捨てて実家の方へ帰ってしまう。そのときに磐姫が詠った歌の一つに高山がある。高山が出てくるその他の歌はみな8世紀のものだから、中大兄が知っていたはずがない。磐姫の歌に現れる高山が三山争いに歌われている高山だ。

『万葉集』巻二 第85~89歌
難波高津宮に天の下知らしめしし天皇の代大鷦鷯天皇、謚(おくりな)して仁徳天皇といふ

磐姫皇后、天皇を思(しの)ひたてまつる御作歌四首

君が行き日(け)長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ
かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐根(いわね)し枕(ま)きて死なましものを
ありつつも君をば待たむうち靡く我が黒髪に霜の置くまでに
秋の田の穂の上(へ)に霧らふ朝霞何處邊(いつへ)の方に我が恋やまむ


 夫恋しさと夫への恨み辛みの間で、千々に心をかき乱している様子がよく伝わってくる歌だ。それはさておき、磐姫が詠った高山は何処にあるのだろうか。

 磐姫が詠った高山とイコールの高山だから、中大兄が「高山」と書いた。中大兄は詠ったが、字を知らないと言う人はいませんから、当然中大兄が「高山」と書いた。そうであるならば磐姫が詠った「高山」とイコールの「高山」という認識が中大兄にあったからそう書いた。理屈ですけれども単純な理屈ですね。そうすると中大兄の高山という山の存在がどこであるかを知るためには、仁徳の后の高山を調べれば良ろしい。このように考えてきた。さいわい仁徳の高山の存在は分かる。

(中略)

 (磐姫が)帰ってしまった場所が分かっている。山城の筒城宮(つづきのみや)である。この名前は関西、なかんずく京都に住んでいる人にとっては馴染みの場所である。なぜかというと2・30年昔は山城のこの辺り、今の木津町・山城町あたりを綴喜(つづき)郡と言った。手紙の宛先にいつも書いていた。発音は馴染みの場所でした。そこの山城町の中に綴喜郡の郡名の元となった筒城(つづき)がある。現在の同志社大学新田辺校舎のある所がそこである、と言われている。そこから遺跡が出てきて、どうも山城の筒城宮の遺跡であろうと認定されている。磐姫が拗(す)ねて帰った山城の筒城の宮の場所はおおよそは分かっている。どう間違っていても山城町界隈、その辺りである。そうしますと、その山城の筒城宮、しかもその裏山に高山がある。これも「高山はどこだ。どこだ。」と探していたら、生駒市高山町に高山があった。それで生駒市の正木さんという郷土史のベテランの方、この方にお聞きしますと「高山に御案内します。」と言って、御案内していただいた。

 そこの高山、そこを高山として御案内して頂いた。生駒市高山町から車で10分。地理的にはゴルフ場があって、車で池やゴルフ場を通り、そのゴルフ場から歩いて十分ぐらいで岩を上れば頂上に達する。そこへ行ってビックリした。ご存じの方には分かり切っていることだが、辺りの景色が八割方見える。大阪府の七・八割方が見え、仁徳の浪速の宮があったとおぼしきところも見え、仁徳陵もおぼろげながら位置が推定できる。それから北は私の住む向日市も見えている。比叡山が北の正面に観察でき、京都(市)は全部見える。北の七割は見える。南東の奈良市も北の三割は見える。ところが山城の綴喜(つづき)郡の所は見えない。なぜ見えないかというと樹木が茂っていて見えない。正木さんは「あの木を切ったら見える。」と言っていた。そういう感じのところである。京都と奈良の間だから、ほとんど目の下に見える。わずか3・400メートルの高さで、絶景で三都を見下ろせる、そんな見晴らしのよいところがあるとはぜんぜん知らなかった。

(中略)

 〔編集者別記。行政区画から言うと現在は大阪府交野(かたの)市に属する交野(こうの)山です。その交野山は海抜344メートルです。南の生駒山は642メートルです。〕

 ということで、彼女が詠った、磐姫が詠った「高山」は、実家の直ぐ裏の「高山=交野山」であるということを確信した。それで私が凄いと思ったのは、「高山の磐根しまきて死なましものを」というのは、「あなたが浪速宮でいちゃついているのを、不倫をしているのを、私は死んで死骸となって、それを見下ろしていますよ」とそういう歌だった。今まで思いもしなかった。ゾッとする、鬼気迫る歌だった。私は思いもしなかった。『人麻呂の運命』(原書房)でこの歌を扱ったが、そこまでの理解には達していなかった。あの「高山」を見て、この歌の真の姿を知ることが出来ました。

 さらに磐姫の最初の歌が、私には意味が分からなかった。

君が行き日長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ

 「あなたが出て行かれて、日が経ち長く経った。山を訪ねて迎えに生きましょうか。それとも待っていましょうか。」となる。意味は訳せるけれども、ピンと来ない。仁徳は登山家だったのかという感じでしか受け取れなかった。ところが今回歌の持っている意味が分かった。案内して頂いた正木さんに聞きますと、今でも鷹が、空を飛ぶ鷹が急降下してパッと降り、野ネズミか野兎などを捕まえて上がっていく。正木さんは何回かその光景を見たと言っていた。中近世では鷹匠の拠点があったそうだ。つまりここは禁猟区だった。関係する地名も幾つも挙げられていた。もちろん古代もそうである。そのような歌がある。となりますと、この歌が分かるんですよ。仁徳はいわゆる狩りに行くと称して、高山の方へ行った。狩りに行くと言ったのだから、三日ぐらいは帰らなくとも良い。ですけれども一週間経っても、十日経っても帰らない。ほんとは狩りは口実で、密かに八田姫といちゃついていた。それが結局磐姫には分かった。

 「もしかしたら傷でもしたらいけないので、高山にお迎えに行きましょうか。しかし大体は真相は分かっている。それともここでじっと待っていたら良いでしょうか。」きちんとピントが初めて合った。高山が禁猟区であると分かってから。ですからこの高山は山城からすぐ裏の、現在の交野山である。この「高山」は本来は神野山(こうのやま)ではないか。神様の「神(こう)」、野原の「野(の)」と読むのだと思います。現在の交野「交(こう)」は当て字というか、音を当てているだけです。

 ということで、私にとって仁徳の后磐姫の詠った「高山」が判明した。とすると同時に自動的に、中大兄の「高山」も先ほどの論理によってイコール。こうならざるを得ない。

大和三山
(クリックすると大きくなります。)

 大阪府交野市の交野山の「高山」では、大和三山とちがうではないか、という方がおられるかも知れないが、今あるのは飛鳥三山である。大和三山とは言えない。なぜ飛鳥三山を、大和三山とオーバーに言うのか。畝傍山、耳成山、香具山だったら飛鳥三山である。ところが「高山」だったら、ぐっと北側にあり大和三山である。それで交野山の高山、畝傍山、耳成山が大和三山である。

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この記事へのコメント
ということで、私にとって仁徳の后磐姫の詠った「高山」が判明した。とすると同時に自動的に、中大兄の「高山」も先ほどの論理によってイコール。こうならざるを得ない。



ふ~ん、そうですか?

はい、わかりました。
2009/08/06(木) 23:54 | URL | ウェルダン穂積 #1jhbtX.k[ 編集]
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