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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《「真説・古代史」拾遺編》(85)

地名奪還大作戦(13):再び、大日本豊秋津洲=国東半島の南東部


 今回は『「神代紀」の解読(4) ― 大日本豊秋津洲 』 の続編です。

 『「神代紀」の解読(4)』では、古田さんの論証により、「大日本豊秋津洲」が国東半島の南東部(豊後国国埼郡)あたりであることを知った。そして最後に私は次のように書き残した。

 「豊秋津洲」を大和(奈良県)に見たてる「神武紀」の地名説話の中の一節「猶(なお)蜻蛉(あきつ)の臀呫(となめ)の如し」の意味は「トンボの交尾の形のようだ」である。上述の論考の後、古田さんはそのような地形の場所を探っている。興味深い論考(結論は「由布院盆地」)だが割愛して「大八洲」の稿を終わる。

 そのとき割愛した話題を、ここで取り上げて、「豊秋津洲」をよりはっきりと比定したい。(講演録『九州 記紀説話と倭の五王の諸問題 1』を利用します。)

 まず、『「神代紀」の解読(4)』を簡単に復習すると、「大日本豊秋津洲」の「大日本」は、「豊秋津洲」を大和に強奪し、大和が日本の中心であることを喧伝するために後から付け足した美称であった。そして、「豊」は「豊国」であり、豊国の中の秋津を探った結果、それは別府湾に注ぐ安岐川の河口にある安岐町に行きあったった。そこの港が「アキ津」である。つまり、「豊秋津」というのは、豊国の中のアキという港の表現である。古田さんは『「アキ津」というと、おそらく別府湾それ自体を指すのではないかと思います。』と言っている。

 さて、問題の「神武紀」に出てくる説話とは、秋津洲の名の由来を説明している説話で、次のようである。

神武三十有一年の夏四月(うづき)の乙酉(きのえのとり)の朔(ついたちのひ)に、皇(すめらみこと)輿巡(めぐ)り幸(いでま)す。因りて腋上(わきがみ)の嗛間(ほほま)の丘に登りまして、国の状(かたち)を廻(めぐ)らし望みて曰(のたま)はく、「妍哉乎(あなにや)、国を獲(え)つること。内木綿(うつゆふ)の真迮(まさ)き国と雖(いへど)も、なほ、蜻蛉(あきつ)の臀呫(となめ)の如くにあるかな」とのたまふ。是に由りて、始めて秋津洲(あきつしま)の號(な)有り。

 南葛城郡に腋上村がある。この村名は明治22年に付けられたものという。上の説話の信憑性を示唆しようという魂胆が丸見えだ。その腋上村の地にある山の一つに、紀元2600年(昭和15年)を記念して造られた石碑が立っているそうだ。「神武天皇が国見をした記念のところだ」ということが書いてあるという。古田さんは実際にその山に行かれている。

 そこへ行ってみてわかったことは、その位置からは大和が全然見えないんです。目の前にたくさん山がありまして、それほど高い山ではないけれども、しかし平野部は見えない程度の山がふさがっている。ですから、全然「国見」ができない。大和平野を見渡すことができないわけです。その点、実地に立ってみてもおかしいのです。

 なおおかしいのは、嗛間(ほほま)の丘というのは本間のことだろうと、宣長なんかが書いているんですが、本間というところを捜すのに苦労しました。なかなかないんです。やっとここだというところを見つけたんですが、ずっと離れた場所でして、「国見」の場所と、位置が分裂しているわけです。

 もう一つ。この話は大和の国のことをいっている、という形になっているわけですが、「内木綿(ゆふ)の真迮(まさ)き国」の「真迮(まさ)き」というのは「狭い」という意味なんですが、「内木綿」という言葉の意味がわからない。宣長以来、枕詞だとか何だとか、学者がいろいろいってきたんですが、結局はっきりつかめないでいままできた。次の「あきつのとなめ」自身は意味がわかっています。トンボが交尾するスタイルです。

 この問題のくだりを、「岩波」は「狭い国ではあるけれども、蜻蛉がトナメして飛んでいくように、山山が続いて囲んでいる国だなあ」と訳している。

 トナメして飛んでいるときのトンボは、いわゆる「おつながり」で、メスのしっぽをオスの口が咥える形でメスとオスが一列になっている。それで上のような解釈をしたのだろう。しかし、原文ではトンボは飛んでいるとは表現していない。

 飛んでいないときの本来のトンボのトナメは下の写真のように、「メスのしっぽがオスの口のところにいき、オスのしっぽがメスの口のところにいき、何ともいえない変なねじれひょうたん型といいましょうか、Sの字をもう一ひねりか、二ひねりしたような、変な格好で交尾する。」それを「あきつのとなめ」といっている。
蜻蛉のトナメ
(『盗まれた神話』より転載)

 しかし、大和がそんな格好をしているとは、私には想像力が豊かでないのか、どうにも見えませんでした。第一大和盆地はそんなに狭くないですね。日本列島の中では最大の盆地の一つではないでしょうか。それに大和に住んでいる人間が、「ここはまことに狭い」というのはおかしい。第一、大和盆地全体が一目で見える場所というのは、私が見た限りではそうないですね。飛行機に乗れば別でしょうけれども。

 以上の点から、どうもおかしいということで、捜し求めていました。そうすると、その話にぴったりした地点が見つかりました。見つけたヒントは先の国生み神話です。というのは、「あきつのとなめ」というのですが、先ほど豊秋津洲は「豊の安岐津のクニ」で、別府湾のことだといいましたね。ですからあの辺ではないかと思って、地図を捜してみますと、まさにあったわけですね。それが下の図です。
由布盆地
 別府湾の奥に由布院(ゆふいん)盆地というのがあります。温泉が出ますので行かれた方もあると思いますが、そばに由布岳があります。そして驚いたことに、由布岳に向かい合って福万(ふくま)山というのがあるのです。

 「嗛間(ほほま)」は従来「ホホマ」と読んでいましたが、調べてみると、非常に苦しい読み方でして、「嗛」というのは、鳥なんかが、えさを口にふくむという言葉なんです。ですから「嗛間」を素直に読めば「フクマ」です。ところが「フクマ」と読めば、そういう地名が奈良県にない。似たのもない。だから「ふくむ」のことを「ふふむ」「ほほむ」といった例があるというので、それにして「ホホマ」と読む。その上で「嗛間(ほほま)」だろうと、宣長は“こじつけた”わけです。本間がだいぶ離れていることに、宣長は気がつかなかったのかもしれません。

 そのあと、明治以後の音韻学者によって、「ホホマ」は「ホンマ」にはならない、ということが指摘された。発音の構造が全然違うから、「ホホマ」がいつのまにか「ホンマ」になることはないと、指摘されたわけです。ところが、大分県の由布院盆地の現地に行きますと、ここにはまさに福万山があるわけです。そして「腋上」ですが、「ワキガミ」と読んだのが、実は「上」は「ホトリ」と読めますので、「ワキのホトリ」 ― 福万山のそばに井手脇という地名があります。「××脇」というのがこの辺にいくつもございます。

 一番いいのは、解けなくて従来困っていた「内木綿」が解けてきたことです。つまり「ユフ」というのは「由布院盆地」の「ユフ」です。なぜ「内」か。別府湾に対して「内」なんですね。外は別府湾が広がっている。それに対して内側の「由布」という土地なので「ウチユフ」 ― 「内木綿」となるわけです。たいへん自然な表現です。

 福万山に登ってみたんですけれども、だいぶ苦労しました。暑くて、裸に近いような格好で、頂上に登りついたのを覚えています。登ってみますと、まさに“ねじれS字型”です。そして非常に狭いのです。福万山をめぐって、前に由布院をおいて、200度以上ぐるっと盆地が広がっているわけです。それが屈折してまわっている。これだったら「あきつのとなめのごとし」にぴったりです。ということで、この話は意外にも、大和とは全く関係がない、別府湾の奥の由布院に関する説話だ、ということがわかってきました。

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