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《「真説・古代史」拾遺編》(84)

地名奪還大作戦(12):春日なる三笠の山=福岡県の宝満山


(以下は古田さんの講演録「独創古代1」の要約です。)

 詩歌に少しでも関心・興味のある人なら誰でも暗唱していると思われる歌の一つに、『古今和歌集・巻第9』冒頭の406番歌がある。

もろこしにて月を見てよみける 安倍仲麿

あまの原 ふりさけ見れば かすががなる みかさの山に いでし月かも

この哥は、むかしなかまろをもろこしにものならはしにつかはしたりけるに、あまたのとしをへて、えかへりまうでこざりけるを、このくにより又つかひまかりいたりけるにたぐひて、まうできなむとて、いでたりけるに、めいしうといふところのうみべでにて、かのくにの人むまのはなむけしけり、よるになりて月のいとおもしろくいでたりけるをみて、よめるとなむかたりつたふる
(岩波日本古典文学大系本による)

 詞書は「阿部仲麻呂が遣唐使で中国へ行って、帰りがけに明州という中国の東海岸で船出するときに、別れの宴を催してもらって、その時読んだ歌だ。」と言っている。

 定説は「かすがなるみかさの山=奈良市の東部、春日の地にある御蓋山」として、歌の意味を
「天空を見上げて、振り返れば月が見える。我が故郷の大和の春日の三笠山にでた月だ。」
という解釈をしている。私(たち)はこれを鵜呑みにして、この歌を理解してきた。ところがしかし・・・

 古田さんは古代史研究の目的で、対馬への旅をした。

 博多から壱岐を通って対馬へ船で向かったとき、あるところで西に向きを変える。博多からずーっと行きますと、対馬の西側浅茅湾へ入るには、大きい船は壱岐の北東側をまわって、そこの水道で、西に向きを変えるのがスムースなんです。

 船のデッキに出ていて、西むきの水道に入ったときに博多方面を観ていた。たまたま目の前に壱岐の島があり、船員さんに「ここはどこですか」と壱岐の地名を聞いたら、「天の原です。」と言われて、ギョッとした。こんなところに「天の原」がある。確かに考古学的には壱岐に天の原遺跡があり、銅矛が三本出土したことぐらいは知らないではなかったが、その遺跡がどこにあるかは、確かめたことはなかった。ところが目の前というか目の下に、曲がり角のところに「天の原」があった。

 太宰府の近くに宝満山という山がある。この仏教的な呼び名は後で付けられた名前であり、ほんらいは御笠山と呼ばれていた。太宰府市の西側に春日市があり、その間に御笠川がある。御笠山は御笠郡にあり、御笠川が博多湾へと流れている。史料例として、古田さんは『續筑前国風土記』の記事を挙げている。

筑前之二十四(御笠郡四)
寶満明神ハ在リ御笠郡竈門山上(又名寶満山、又名御笠山)


 「天の原」があり、そのあたりから見ると、御笠山が見える。仲麻呂の歌は中国で詠われたのではなく、中国に旅発つ船の中から「ふりさけみ」たときの感慨を詠ったと考えると、歌全体がにわかに生き生きとしてくる。

 しかし、仲麻呂は「筑紫なる御笠の山」とは詠わず「春日なる御笠の山」と詠っている。実は博多湾の志賀島にも御笠山がある。目の前に御笠の山が二つある。「筑紫なる・・・」ではどちらの御笠山か分からない。宝満山を御笠山に特定するためには、「春日なる・・・」と詠わなければならない。この観点から考えると、「定説」の立場からは「ヤマトなる三笠の山」と詠うのが筋ということになろう。

 私にはもうこれだけで「春日なる三笠の山=福岡県春日市の宝満山」説が正しいと納得できる。しかし、古田さんはさらに確固とした根拠を提示している。ここでもまた「歴史は足にて知るべきものなり。」という秋田孝季(『東日流外三郡誌』寛政原本の編著者)の教えを実行している。

   古田さんは奈良県奈良市へ、実際に三笠山と月の関係を観測しに行く。

 きちんと晴れまして朱雀門の所に陣取って、十人ばかりで観測しました。一目瞭然。三笠の山は奈良では無理がある。

 奈良市の中央、朱雀門から東を視ると、北寄りに若草山があり、その南に春日連峰が連なっている。春日連峰は花山、芳山、高円山などが連なっていますが、主峰が高円山です。高円山に向かってその左下に御蓋山がある。若草山と御蓋山、この二つが三笠山と呼ばれている。

 結局三笠山が二つある。これおかしいと思いませんか!。確かに地名もそうですが、山の名前も同じ音だったり、表記だったりするものが日本列島各地にある。これは別の国でもある。しかし同一地点からみて、同じ名前の山が二つある。そんなことがあると思いますか。わたしは、そんなことは、ありえないと考える。第一不便でしょうがない。名前を付ける意味がない。○○山と言っても、分からない。

 結局資料を調べたり、朱雀門を長年管理しているおじいさんや、平城宮跡博物館のボランティアの説明員のおじいさんなど地元の人の話を詳しく聞いた。それで分かったことは、現地で三笠山と言っているのは、低いほうの御蓋(みかさ)山のことである。この山から月が出ると言っても、余り低すぎて説明が付かない。

(中略)

 二つ三笠山があると言っているが、現地読みの三笠山・若草山と、学説三笠山・御蓋山がある。これが両方あるという意味である。

 学説御笠山もこれで良いかというと、そこから月が出るのは、見る角度や観る位置によって、なかなか難しい。

(中略)

 写真家の入江氏が、撮した写真の中で、両脇に若草山と御蓋山がならび、春日連峰の若草山寄りに月が出ている貴重な写真がある。これはどこから撮った写真かというと、西の京の薬師寺辺りから撮った写真である。もう一つ御蓋山から月が出ている貴重な写真を、「古田史学の会」の会員の方が、見つけて下さった。『歴史の舞台』という入江氏の写真集。ここには中央に御蓋山があって、真上に月が出ている。じゃあ、この写真はどこから撮ったかというと若草山からです。若草山の上に写真機を据え付けて、月と御蓋山を撮った写真である。たいへん苦労し抜いて撮った写真である。

 だから無理をして三笠山(御蓋山)から月が出る写真はあったのですけれども、普通に奈良市内から見たのではどちらも当てはまらない。普通に「三笠の山・・・」から月が出るとは言いにくい。どう観ても春日連峰から月が出るという言い方なら問題がない。
「・・・高円山に 出でし月かも」
「・・・春日の山に 出でし月かも」
なら当てはまるが、どうも「・・・三笠の山に 出でし月かも」とは言えない。

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