2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《「真説・古代史」拾遺編》(81)

地名奪還大作戦(9):淡海の海=博多湾内?(1)


 「地名奪還大作戦」に戻ります。今回も「?」付きですが、この「?」の意味については後ほどはっきりさせます。

『万葉集』巻3、266番
柿本朝臣人麿の歌一首
淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ

あふみのうみ ゆふなみちどり ながなけば こころもしのに いにしへおもほゆ

 この人口に膾炙(かいしゃ)された歌で、定説は「淡海の海=琵琶湖」としている。まずこの定説がペケであることをはっきりさせよう。(この問題はいろいろな人が論じていますが、主として古田さんの論考〔講演録〕を用います。)

 「あふみのうみ」と訓読している原文は「淡海乃海」。「淡海」という地名は原文で「淡海國」とも使われている。どちらの場合も「淡海」を「近江」と読み下している場合もある。つまり、「淡海=滋賀県」と主張している。だから「淡海乃海=琵琶湖」というわけだ。しかし、詳しい論証をはぶくが、「淡海國」が使われている歌の内容から、「淡海國」は「近江の国」で間違いない。つまり滋賀県を指している。これに対して、「淡海乃海」の場合は「近江(滋賀県)」ではない。それを如実に示している歌が次の歌だ。

『万葉集』巻2、153番
太后(おほきさき)の御歌一首
鯨魚取り 近江の海を 沖放けて 漕ぎ来る船 辺付きて 漕ぎ来る船 沖つ櫂 いたくな撥ねそ 辺つ櫂 いたくな撥ねそ 若草の 夫の 思ふ鳥立つ

いさなとり あふみのうみを おきさけて こぎきたるふね へつきて こぎくるふね おきつかい いたくなはねそ へつかい いたくなはねそ わかくさの つまの おもふとりたつ

 「岩波」はこの歌のを次のように訳している。

「淡海の海の遠く沖辺を漕いで来る舟よ。岸辺について漕いで来る舟よ。沖の櫂もひどく水を撥ねないでおくれ。岸辺の櫂もひどく水を撥ねないでおくれ。なつかしいわが夫の愛していた烏が、驚いて飛び立つから。」

 この歌の作者とされている太后とは天智の皇后を指している。天智の殯(かりもがり)の時に作った歌とされている。しかし、太后の歌としては内容がおかしい。

 まず定説の読み下しは、「鯨魚取り 近江の海を ・・・」としているが、近江の海(琵琶湖)では鯨は捕れない。「鯨魚取り」を用いているどの歌も海が舞台になっている。このことは、「鯨魚取り」は海の枕詞だから当たり前のことなのだが、定説論者は次のようにこじつける。「海にかかる枕詞だから、「海」という字を引き出すのに使われている。実態は琵琶湖でもいっこうにかまわない。」と。しかし、枕詞とはいいながら、読む人は「鯨の捕れる淡海の海」と受け取るのが自然ではないだろか。

 この歌の舞台が琵琶湖ではあり得ないことが、詞書にとらわれることなく、この歌の内容を解読することによってはっきりしてくる。

 実は、上の「定説」による訓読には二点、例のお得意の原文「改定」が行なわれている。「船」が2度出てくるが、最初の方は原文では「舡(こう)」だ。もう一つ、「夫(つま)」は原文では「嬬」。この二つの「改定」に対して、古田さんは次のように批評している。

 ところが「若草の夫」と書いてあるところは、原文は「若草の嬬」で「嬬」である。女編に「需」と書いてあるから、ここは当然のことながら女性である。ところが前書きで天智の妻の歌にしてしまったから、ここは男にしなければならないから、読み換えて「夫」と読まなければならなくなった。しかし女編の「嬬」だから、女性と考えるのが自然である。特に「若草の嬬(つま)」と言えば、これを特に天智にすれば、彼は死ぬときは髭の生えたむさ苦しい私より年輩の男です。そんな男を「若草の嬬(つま)」と言いますか。言うのは勝手だと言っても、やはり「若草の嬬(つま)」と言えば、どう見ても結婚して間もない妻と見るのが自然です。そのような結婚して間もない妻の胸が、またざわざわと痛むからあんまり櫂の音を起てるな。

 また船という言葉ですが、この場合同じ船と解釈されていますが、一番目の船は、原文は「舡」です。これを諸橋大漢和辞典を見ますと、どんな船を「舡(コウ)」と言うか。「舡」の意味は揚子江の船をいう。ジャンク船。これもやはり漢字の国、中国らしいですね。どの船でも使ってはいけない。ジャンク型の船をいう。船は黄河でも使える。そうしますと、ここでは沖を通っている船は、呉のスタイルの船が通っている。船の方は小さい船でしょう。その音を若妻に聞かせるな。

 ここまでくれば、もうお分かりですね。白村江でたくさんの若い兵士が海に沈んだ。死んだ。しかしぜんぶ海に沈んだわけではない。捕虜になった者もいる。その捕虜になった者が、さきほどお話ししましたように、同じように中国・呉越に連れて行かれた。そのような歌も万葉に別にある。

 同じようにこの歌でも、夫が中国・呉越に連れて行かれた妻がいる。そのような若い妻がいつも夫の帰りを待っている。そのことを漁師たちは知っている。だからあまり櫂の音をたてるなよ。特に呉のほうから来た「舡(コウ)」の櫂の音をあまりたてるなよ。そうでなくとも今帰るか、今帰るかと待ち望んでいる若草の妻の胸が、また一段と騒がしくなるから。

 凄い歌ですね、これは。『万葉集』に白村江の歌がないとは、大ウソだった。このような素晴らしい歌は『万葉集』ではあまり見たことはない。しかもそれが、むつくけき漁師さんたちの歌であった。しかもこれだけ繊細なこまやかな心を持って、帰らざる夫を待ち続ける妻に対して深い思いやりをしている歌だった。

 けっきょく種は割れたのです。「淡海」を「近江」だけに結びつけて天智の奥さんの歌に取り替えてしまった。あとは合わないのは当たり前ですよ。それを合わないのを、万葉学者は、ここだけ「鯨魚(いなさ)取り」は枕詞だから、これは関係ない。そのように逃げていた。しかし他の枕詞の「鯨魚(いなさ)取り」は、すべて海の歌です。ですから「鯨魚(いなさ)取り」の歌は、すべて海の歌と考えるのが筋です。そうしますと、このような素晴らしい歌が表れてきた。「皇(すめろぎ)は神にし座せば・・・」も素晴らしい歌ですけれども、それとはまた違う素晴らしい名歌です。

 実は「淡海の海」問題の発端は、冒頭に掲げた歌だった。古田史学会の木村健という方が、「私は琵琶湖の側に釣りのため小屋(別荘)を持って住んでいるが、琵琶湖では千鳥を見たことがない。この歌は琵琶湖の歌と言われているが、琵琶湖の歌ではないのではないか。」と問題提起した。この千鳥問題は、「千鳥にも多くの種類があって、川や湖にもいる」ことが分かって一段落したが、それが「鯨魚取」問題へと発展し、古田さんの見事な解読につながったのだった。

 さて、「淡海の海」が琵琶湖ではないのだから、冒頭の人麻呂の歌の解釈も、近江京(天智)の廃墟を悼んだとする「定説」とは違ったものにならざるを得ない。これは、白村江で敗れて滅亡した九州王朝をしのんで詠んだ歌だった。

 ところで、上記の木村さんの家系が、偶然にも、古田さんの解読の正当性を保証する証拠の一つだったという、実に驚くべきおまけが付いていた。

 それで一言つけ加えて言っておきますが、白村江の戦いや『万葉集』に関連して木村さんのご先祖は凄(すご)い御先祖です。木村さんの御先祖は、白村江の戦いで負けて中国・唐の捕虜になって、中国南部の越の国に連れて行かれた。そこで現地の人と結婚して子どもが産まれた。混血児ですね。その混血児となった人が大きくなるに従って、「自分の父の国が見たい。」と言って日本に来た。その人が木村さんの先祖です。その御先祖が「越智」と名乗り、その子孫が戦国時代に名前を変えて「木村」を名乗られた。そういう凄(すご)い伝承を持つ家系です。

 初めて聞いたときは「なんとばかなことを言われる。」、そう思っていた時期もありましたが、しかし馬鹿なことではなかった。これは白村江で捕虜となった人が歌った歌もありますし、これから述べる問題(上で論証した「鯨魚取」問題のこと)もある。

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