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《「真説・古代史」拾遺編》(78)

『魏志倭人伝』の和訳文(1)


 『「邪馬台国」論争は終わっている』は前回で終わるつもりだったのですが、ふと思いついて、最後のまとめという意味合いで、「魏志倭人伝」を和訳してみることにしました。ただし、表題を改めました。
 『筑摩古典文学全集・三国志Ⅱ』の和訳文を下敷にしますが、読み下し文は古田さんのもの(『倭人伝を徹底して読む』所収)を用います。通説とは違う訓読がたくさんある。その場合はもちろん古田説を採用します。また必要に応じて、古田さんの解読に従った意訳をしたり、図版や注を入れます。


『魏志倭人伝』和訳

 倭人(ゐじん)は、帯方郡の東南の大海の中にあり、山の多い島の上にそれぞれの国邑(こくゆう)を定めている。もともと百余国があって、漢の時代に中国へ朝見に来たものもあった。今は、使者や通訳の往来のある国が三十国ある。

 帯方郡から倭に行くには、まず海岸にそって船で韓国の西北端に行く。そこから上陸して、南に進んだり東に進んだり、韓地を巡行視察しながら倭の北岸である狗邪(こや)韓国にいたる。そこまでが七千余里。

(「韓伝」に「韓は・・・東西海を以て限り為し、南、倭と接す。方四千里なる可し」とある。魏晋朝時代に用いられていた「1里」は約77メートルである。)
(「方四千里」とは、正方形に見たてて、その一辺を示している。)
(「南、倭と接す」。当時、朝鮮半島南岸部は倭国であった。狗邪韓国は倭の中の一国である。)


 そこからはじめて一つの海を渡る。その距離は一千余里。対海(たいかい)国〔対馬の下県部を指す国名〕につく。そこの長官は卑狗(ひこ)と呼ばれ、副官は卑奴母離(ひぬもり)と呼ばれる。この国は海の中の孤島で、その広さは方四百里ばかり。土地は山が険しく深い森林が多く、道はけものや鹿の通り道のようである。千余戸の家があり、良い田畑がなく、海産物を食べて生活をし、船に乗って南や北に海を渡って穀物を買い入れている。


(「方四百里」は下県部の大きさと合う。)
(この行路は、狗邪韓国―末廬国間を「南や北に」交易をする対海国や一大国の民が日常的に用いている航路である。)


 さらに南に向って瀚海(かんかい 対馬海峡)という海を千余里船行すると、一大(いちだい)国につく。そこでも長官は卑狗、副官は卑奴母離と呼ばれている。広さは方三百里ばかり。竹や木のやぶが多い。三千ばかりの家がある。田畑はあるが少なく、農耕によってだけでは食料の自給ができず、そこの人々も南や北に海を渡って穀物を買い入れている。

 さらに一つの海を渡り、一千余里で末廬(まつろ)国につく。そこには人家四千余戸があり、山と海のあいだの海岸地帯に住んでいる。草木が繁茂して、道をあるいていると前を行く人が見えない。魚や鰒(あわび)をとることに巧みで、水がいかに深かろうとも、潜って取ってくる。



 東南に陸路を五百里行くと、伊都(いと)国につく。そこの長官を爾支(にし)といい、副官を泄謨觚(せもく)、柄渠觚(へこく)という。千余戸の人家があり、代々王がいて、ずっと女王国の支配下にある。帯方郡からの使者が往き来をする場合、いつもここにとどまる。

 東南の奴(ぬ)国までは百里。そこの長官は兕馬觚(じまく)と呼ばれ、副官は卑奴母離(ひぬもり)と呼ばれて、二万余戸の人家がある。

 〔伊都国から〕東に進んで不弥(ふみ)国まで行くには百里。長官は多模(たも)と呼ばれ、副官は卑奴母離と呼ばれ、千余戸の人家がある。

 南の投馬(つま)国〔薩摩か〕までは、水路で二十日かかる。そこの長官は弥弥(みみ)と呼ばれ、副官は弥弥那利(みみなり)と呼ばれ、五万余戸ほどの人家がある。

 〔不弥国の〕南が邪馬壹(やまいち)国である。女王が都している国で〔帯方郡からここまで〕水路十日、陸路一カ月がかかる。長官には伊支馬(いしま)がおり、その下に弥馬升(みましょう)、さらにその下に弥馬獲支(みまかし)、またその下に奴佳鞮(ぬかてい)と呼ばれる官が置かれ、七万余戸ほどの人家がある。




 女王国から北にあたる国々については、その戸数や道のりをほぼ記載することができるが、それ以外のその外側にある国々については遠くへだたっているため、詳細を知ることができない。

 女王国のさらにむこうには、斯馬(しま)国があり、つづいて巳百支(いはし)国があり、つづいて伊邪(いや)国があり、つづいて支(とし)国があり、つづいて弥奴(みぬ)国があり、つづいて好古(こうこと)国があり、つづいて不呼(ふか)国があり、つづいて姐奴(せぬ)国があり、つづいて対蘇(たいそ)国があり、つづいて蘇奴(そぬ)国があり、つづいて呼邑(かゆう)国があり、つづいて華奴蘇奴(かぬそぬ)国があり、つづいて鬼(き)国があり、つづいて為吾(ゐご)国があり、つづいて鬼奴(きぬ)国があり、つづいて邪馬(やま)国があり、つづいて躬臣(くしん)国があり、つづいて巴利(はり)国があり、つづいて支惟(しい)国があり、つづいて烏奴(うぬ)国があり、つづいて奴(ぬ)国がある。ここで女王の領域は終る。
〔ここまでで30国の国名が記載されている。冒頭に「使訳通ずる所、三十国」とあった。邪馬壹国がその30国の代表と言うことになる。〕

 その南に狗奴(こぬ)国があり、男子が王となっている。そこの長官は狗古智卑狗(ここちひこ)と呼ばれ、女王の支配は受けていない。〔女王国と敵対関係にある。〕

 帯方郡から女王国までは、〔総里程〕一万二千余里である。

(続く)
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