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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
504 吉本隆明の「ユートピア論」(3)
現在のもっとも根本的な問題は何か
2006年5月18日(木)


 「現存する資本主義国家と社会主義国家の違いがなくなってきている」ということは、一つは、産業経済社会への国家の介入の度合いが同じになってきている点に現れている。それはますます接近していくだろうと、吉本さんは論じている。この点について吉本さんは他の著書で詳しく論述しているが、ここでは深く立ち入らない。インタビュー「未来国家のキーワード」からの引用にとどめる。


これらの体制の経済社会をつかまえるばあいの共通のイメージは、企業や産業の共同体、あるいは株式会社組織が高度になって巨大化し、それぞれ独立した国家のようなシステムをもって運営していること、それから経済共同体が運営上危機にひんしたとき、国家が介入してそのピンチを援助したり規制したりすることなんです。
 もうひとつ、独立王国的に企業体がなっていくと、ちょうど政府機関のように、頭脳部みたいなものもあれば手足みたいなものもある。このメカニズムは資本主義であれ社会主義であれ変わっていない。つまり同じ問題に当面しているんですね。

 マルクスやエンゲルスがかんがえた、資本主義の興隆期のように富や権力は資本家に集中するというよりも、現在では国家や産業の管理システムに集中していっているとみたほうがいい様相がでてきました。富の集中が個人や特定の階級に独占的に集積していくことは大きな規模で行われず、それよりシステム自体の方へ富が集約され、そこで管理されている。

 すると、近代資本主義社会の興隆期にえがかれたイメージとはちがった問題がでてきていることになります。つまり、資本主義と社会主義を区別するポイントが、制度のメカニズムの点だけからいうとなくなっていきます。そこにいまの問題があるとおもいます。またそこをつかまえきれないかぎり、これからの社会のイメージはつかめないだろうとかんがえます。



 この現在の社会主義国家と資本主義国家がが向かっている方向に、もちろん、理想の国家は望めない。富(剰余価値)を集積するものが国家であれ企業であれ、その配分がより平等となっていくとしても、それは「マルクスがその原型として描いた社会主義」とは異なる。理想の社会とは『価値法則の揚棄された社会』だと、吉本さんは言う。


 この理想として描かれる価値法則のない社会のイメージは、現在、資本主義国と社会主義国が共にたどっていっている様相とギャップがひらいていく一方です。そうすると理想の社会の原型を描くこと自体が空疎な無力な孤独な徒労ではないかという問題がでてきます。これは、社会的な問題についても、文化現象の中で個人の内面がどうあるかということは無力ではないのか、という問題としてあらわれます。こういう無力感、徒労感、孤立感に耐えてもなおかつ理想社会のイメージを描かなくてはならないのか。ほんとうをいえば、このことだけが現在の問題だとおもいます。

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