2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《「真説・古代史」拾遺編》(56)

地名奪還大作戦(4):難波=筑前博多(1)


 新庄さんは「難波=筑前博多」を指し示す謡曲として『蘆刈』と『弱法師(よろぼし)』を取り上げている。その二つの節を改めて詳しく読んでみると、私には納得できるのだが、やはり論理的な飛躍が多く、それを埋める必要を感じた。ここのところ、それをどう埋めようか、あれこれ試行錯誤していて、記事更新の間隔が開きがちになっている。ごめんなさい。

 まず、「難波=筑前博多」という仮説を設定する根拠はあるのだろうか。今は「難波」という地名は博多には残っていない。しかし、机の前に座っているばかりの私には確認のしようがないが、福岡市城南区堤に「難波池」と呼ばれる池があるという。また、筑紫には儺縣・儺河・那之津など「ナ」地名が残存している。そこで大阪以外に「難波」という地名はないか、ネット検索をしてみた。5例見つかった。

宮城県黒川郡大和町宮床字難波
福島県会津若松市河東町倉橋字難波
兵庫県 南あわじ市志知難波
青森県青森市大字原別字難波
京都府宮津市字難波野

 また、奈良県明日香村の向原寺には「「難波池」と呼ばれる池がある。

 もう一つ、『和名抄』に「讃岐国、寒川郡、難破・石田・長尾・造田・鴨部・神崎・多知」という記録がある。「難波」は大阪の専売特許ではない。「難波」といえば大阪、という先入観をまず脇に置いてみよう。

(ここから「古田史学の会」の富永長三さんの論文 「盗まれた大王伝承」 を利用させていただく。)

 「難波」という地名の初出は『日本書紀・神武紀』で地名説話の形で出てくる。

 皇師(みいくさ)遂に東(ひんがし)にゆく。舳艫(ともへ)相接(あいつ)げり。方(まさ)に難波之碕(なにわのみさき)に到るときに、奔(はや)き潮(なみ)有りて太(はなは)だ急(はや)きに會ひぬ。因(より)て、名(なづ)けて浪速国(なみはやのくに)とす。亦(また)浪花(なみはな)と曰ふ。今、難波と謂(い)ふは訛(よこなま)れるなり。

 もちろんこれは後代のこじつけ説話であり、『古事記』ではただ「浪速の渡(わたり)」というだけである。もとはやはり「なみはや」と呼んでいたのだろう。とまれ、そのあたり(現「大阪」)は「摂津国」であり、そこが「難波国」と呼ばれるようになるのは、大雀命(おおさざきのみこと 仁徳)がそこに「高津宮」をおいた以降だろう。

 では「なには」というのは本来どういう意味を持った地名なのだろうか。富永さんの論考の結論部分だけを引用する。

 「なには」とは「ナ・ニハ」の意ではなかろうか。「ナ」とは、肴・菜・魚であり、熟して、酒肴・御菜・真名等々に記される。  酒肴の酒は、古代において、今日わたしたちが日常茶飯に飲むそれではなく、神への捧物ではなかったか。・・・「ナ」とは、もと神への供え物、神饌をさす言葉ではなかったか。

(中略)

 「ニハ」は、齊庭・沙庭等々記される。神を祭る場所を「ニハ」という(『字訓』)。

(中略)

 「ナニハ」とは、もと神饌を捧げ、神まつりする場所をさす言葉ではなかったか。なには津、とはその神饌を集積する港の意だ。そうであるならば筑紫に、なにはがあって何の不思議もない。それゆえ筑紫には、儺縣・儺河・那之津等々「ナ」地名が残存したのではないのか。



 「難波」が本来このような意味の地名ならば、福島県会津若松市のような、全く海のない国にも「難波」という地名が残っていることも納得できる。

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