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《「真説・古代史」拾遺編》(52)

高松塚古墳の被葬者


 梅原猛さんに『黄泉の王』という著書がある。高松塚の被葬者の探索に挑戦している。新庄さんは30年ほど前に読んだ『黄泉の王』を再読して、次のように問題提起をする。

 あの頃は余り興味もなかったことを覚えています。今再び拝見すると、梅原先生の凄まじいまでの渾身の力作、深い探索、あらゆる角度からの推論を重ねられ誠に敬服するばかりです。今度この本のお陰を頂いて高松塚の被葬者を指摘させて頂くことができましたことを感謝申し上げ、一文にして書き留めて置きたいと思います。

 残念ながら梅原先生の結論の被葬者が「弓削王子である」ということには賛成させて頂く訳には参りませんが……。末だ高松塚は誰の古墳と決定打を発表した専門の学者はないようですので、それでは塚の主に失礼でもあり、何時までも学会が大和王朝一元主義で凝り固まっておられる以上、絶対名前は出てこぬものと思い、「それでは」と筆を取った次第です。

 梅原さんは他に類を見ない高松塚古墳の特徴を論拠としている。梅原さんが挙げているこの古墳の特徴を、新庄さんは次のようにまとめている。


 天武天皇と同時代の墳でありながら関西には例を見ない装飾壁画古墳である。

 その描かれた絵は朝賀の儀であり、四神と天皇制の思想によったもの。天皇の墓以外は考えられぬものでありながら、それは故意に傷つけられ、肝心の日や月、また玄武や亀の頭部が削り取られている。

 この墳の遺体は未だ壮年の男子であり頭部が抜き取られて無い。それは頭を切り取られたものではなく、もがりの間中に抜き取って持ち去ったものという。これは当時の死人に対する「頭部なくば再生せず」という死に対する思想によるものらしい。

 遺体の側にあった宝剣は装飾の美しい鞘のみで、中身の刀身は抜き取られて無かった。

 その内装は天皇の墓に匹敵するものでありながら、当時の薄葬令に準じた四位の位の人物のもので極く小型のもの。古墳としては最下位に属するものであった。

 以上の特徴をもとに推論を重ねて、梅原さんは「被葬者は弓削皇子」との結論を下している。この結論にはヤマト王権一元論者の限界が露呈している。探索場所をヤマトに限るほかないから、多くの矛盾を多く残したままの結論を提出するほかない。

 しかし、右に列挙致しましたことは大和の皇子としてはいちいち合わないのです。

第一
 父天皇天武の墓にもない装飾古墳を皇子に用いる必要はさらさらない。
第二
 弓削皇子は皇太子でもなく天皇になる約束はないのですから、朝賀の儀の絵は不当。
第三
 紀皇女との不倫関係を挙げられますが、それが事実としてもただ放蕩の罪だけで再び生まれて来るなと、頭部を抜き取る刑罰とは矛盾してはいないでしょうか。それは天武父王に対しても失礼です。これは考えられません。

 このことに就いて時代は少し下がりますが、朝廷内は「恋」というものに大らかであった気がするのです。『源氏物語』しかり。また、在原業平、行平等も天皇の皇子ですが、花から花へ移り舞う胡蝶にたとえられて、不倫は男の勲章の感さえあり、謡曲『井筒』『小塩』『松風』等の中にも見え、『伊勢物語』の伊勢女も、業平のことを「かのまめ男」と笑いの中に捉えています。

 時代は少し上がるとはいえ以上の考察により、弓削皇子の刑罰ということでは適当ではないと思うのです。



 次に新庄さんは『黄泉の王』に記されている大変特異なエピソードに注目する。そのエピソードとは、梅原さんが直接高松塚のある村まで足を運び見聞したもので、次のようである。

 この古墳は土地の人にとって特別なものであった。飛鳥村には無数の古墳がある中で何故かこの古墳だけ「神」として祀られ「古宮」と称せられ、この地(宇田、平田)に住む村人の中で共通の「橘」の紋を家紋としている九軒の家の人によって、代々祀られてきた。現在でも毎年1月16日に祀られている。

 この墓には由来話もあるらしいが、梅原さんには語って貰えなかったと言う。おそらく、権力者の逆鱗に触れるような、代々門外不出の話なのだろう。たぶん、その由来話を語ってもらえれば、正しい被葬者を特定できるだろう。しかし村民が口を閉ざしているのだから、手持ちの史料によって推論するほかない。

 さて新庄さんは、「橘の紋を家紋としている村人」というくだりから、『続日本紀』の異色の記事、「誠に退屈な眠気を誘うばかりの国書の中で、それは少々面白い文」を思い出す。それは、736年(聖武天皇 天平8年)11月11日の記事で、従三位葛城王と弟の従四位上佐為王が連名で出した上表文である。原文は500余の漢文で、現代語訳だと2ページ以上の長文である。その内容は要するに
「自分(葛城王)の母親は「橘」と言う名の家のものです。私も母の家の苗字を名告りたいと思うので、葛城王の名を返上して橘姓になることを許可してほしい。」
というものだ。11月17日、聖武天皇はこの願い出を「誠に時宜を得たもの」とほめて、許可する。
 王という先祖代々の名誉の名を捨ててただの平民姓を取る。奇想天外な申し出だったでしょう。家柄が何より優先された時代にです。朝廷は驚きました。しかし喜んだのです。それ故国書は二ページにも渡って特筆したのです。九州王朝、葛城王家、誰れ知らぬ者もない。大和王朝より数段も格上の王家が消える、目の上の痛的な存在がなくなる。この国書の逸話は、大和朝廷の嬉しさの現れではないでしょうか。この若い葛城王は、絶えず朝廷より白眼視される身分の高さよりも、気楽な平民を選んだのでしょう。その心底は解かる気が致します。世の中総て変わったという諦観。名誉より「生きること」の優先です。

 端的に申し上げましょう。高松塚の被葬者はこの若い葛城王の父親(葛城王)であると思い至りました。この父王は九州の家に妻子を置いたまま、大和朝廷の捕われ人として大和へ連行された王の一人でした。その後便宜上、この地の村娘を娶り、その女性に生まれたのがこの若い葛城王(改め橘氏)であったということです。この若い葛城王が橘姓に変わった時代には、もはや父王は亡くなっていたはずです。

 「九州王朝の王が捕虜となって連行された」等と申せば、大和朝廷一元史観の立場からは奇異な感をもたれましょうが、大和の朝廷が口を鍼して一切国書に書かなかった九州との関係。しかし、何時までもこれを抜きにしていては国書は勿論のこと、『風土記』も『万葉集』も理解不可能のまま終わることになりましょう。



 「橘」姓を願い出た葛城王は、後に権勢を極めた橘諸兄である。その祖父は、あの大友皇子の使者を追い返した筑紫大宰栗隈王(つくしのおほみこともちくるくまのおほきみ)である。そのとき「劒を佩(は)きて」栗隈王の側に控えた二人の息子がいたが、諸兄の父王・葛城王は兄の方の三野王(みののおほきみ)にほかならない。( 「壬申の乱(17):大乱戦闘の舞台」 を参照してください。)

 さて、葛城王家が如何に位の高い家柄であったかを、お話しする必要がありましょう。

 葛城家は倭国において、神代からの名門でした。謡曲に『代主』というのがあり、葛城山は事代主を祀った山、高間の山ともいわれ、王城の鎮守と謡本は記します。今、名は変えられているでしょうが、王城とはそれを太宰府と見ると、多分基肆城、恐らく基山と今言われている山が「葛・基山」ではなかろうか、と。葛城王家は「神の山」とも言われたその末孫なのです。

 『古事記』によると、仁徳天皇の皇后・磐之媛(いわのひめ)は葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)の娘である。この皇后は大変嫉妬深く、この時代には珍しく天皇の側室を一人たりとも許さなかった。『古事記』は、その嫉妬深さを示す逸話を二つ書き留めている。

 仁徳は吉備の黒姫を愛していたが、黒姫は即刻、磐の姫によって辛辣に追い返されてしまう。仁徳はこの後、妻に隠れてこっそりと黒姫に逢いに行くことしかできなかった。
 もう一つの話。
 磐の姫が祭祀用に必要な柏の葉を取りに、能古島まで出かけた帰りのこと。天皇が御殿で八田姫を招いて楽しんでいると、磐の姫に告げ口をした者がいた。逆上し烈火の如く怒った磐の姫は、舟一杯に積んだ柏の葉を皆海中へぶち撒いて、博多から河を遡り、さっさと実家へ帰ってしまった。驚いた仁徳は詫びの使者を出したが、磐の姫は許すことなくとうとう死ぬまで宮中へ帰らなかった。

 誠に激しい女性です。何故天皇に対しこのような振る舞いができたのでしょうか。それは思うに実家の家柄です。天皇家と同格かそれ以上の場合のみ、許された行為であるということでしょう。葛城王家は倭国においてもトップクラスの王家であったと考えていいと思います。

 この王は大和王朝にとって再びこの世に生まれて欲しくない王様でした。そのため、古墳の中を種々傷付け、頭部まで持ち去ったのです。今も村人の手によって祀られるということは、大和朝廷とは無関係の被葬者ということでしょう。その上高松塚は上に松の木が高く生えている由。松は倭国を象徴する木といわれ、梅花、鶴亀と共に国を代表するものであるといいます。敗戦国倭国の名門王者、しかも理不尽に捕われたまま大和の地に果てた古墳の主、葛城王。高松塚の主はこの方を置いて他にはないと考えます。

 千三百年前。あれ程、倭国との関りの隠滅を謀り通した大和朝朝廷の努力も、この古墳の出現によって悪事露見の糸口になるのではないか。捕われ人の代表王者として、この古墳は頑固に歴史を語り続けていると思うこと、切です。



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