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501 ロシア革命の真相:番外編(4)
アナーキズムという曙光
2006年5月15日(月)


 前回の引用文でパルさんは『新たな自由の獲得や社会の変革の実現は、容易なことでは成就しないだろう。それが可能かどうか、正直なところ私にはわからない。』と半ば絶望的な見解を述べていたが、また次のように未来への希望も語っている。


 ある労働者が私に問いかけてきたことがある。お前さんたちはアナキズムの勝利を日頃から口にしているけれども、歴史のなかでアナキストというのはいつだって敗北を余儀なくされてきたのではなかったか、というわけだ。
 ポリシエヴィキとは違って、われわれの願いは目の前の権力闘争に「勝利」を収めることではない。われわれは、ユートピアの実現を追い求めているのだ。たとえてみれば、水平線のようなものだ。ひとつの成果が達成できても、すぐさま新たな目標がはるか彼方にまた立ち現われてくる。

 8時間労働の達成には膨大な量の血が流されねばならなかったが、ともかく8時間労働もアナキストの尽力もあって獲得された重要な成果のひとつだ。弾圧を被りながらも、社会正義と友愛に基づく新しい世界の構築へ向かってわれわれが歩みを進めてきた点は、誰にも否定できないだろう。われわれの営みは宗教ではないけれども、われわれの革命への信条にはある意味で宗教にも似た一面がある。この信条がなければ、アナキストではない。

 アナキズム的な社会主義は、歴史を前進させる風のようなものだ。今日や明日にもアナキズムに勝利がもたらされるということはない。社会は常に公正を追求し続けている。先に水平線になぞらえたように、その限りでアナキズムに完結はない。

 アナキズムはいわゆる「理論」ではない。それはいわば精神に内在する力であり、歴史のなかで生起する自然の営みだ。不正がある限り、その不正を追及し、公正とは何かを問い続ける必要があるだろう。アナキズムというのは、より公正でより人間的なそうした企てのひとつの表現なのだ。混迷を深める現代にあって、なかでも麻薬に手を出しアルコールに溺れる若者たちの世代に、アナキズムは精神的な支柱を提供しうるかもしれない。



 人間解放(抑圧者と被抑圧者ともどもの)のための思潮の主流は、良きにつけ悪しきにつけ、マルクス主義だった。しかしマルクス主義はさらなる人間抑圧しか生み出さなかった。
 いま私はアナーキズムという運動に未来への曙光を見ている。だが、私が誤解していたように、アナーキズムは大多数の人にいまだに誤解され続けているように思う。アナーキズムがいわゆるマスコミにまともに取り上げられることはほとんどなかったと言ってよいだろう。多くの人(私もその一人)にとってアナーキズムに耳目を傾ける機会がなかったのだ。

 さて、そのマルクス主義について、パルさんは次のように言っている。


 今日、誰がマルクス主義を擁護するだろう?
 そんな人間は誰もいない。理由は簡単だ。マルクス主義というのは、19世紀半ばの特定の経済状況のもとに、その経済状況に合わせて生み出された理論であり、すでに効力を失って久しいからだ。マルクス主義では、21世紀のわれわれを取り巻く現象を説明できない。



 ここで私はまた一つ横道に入ることになった。「マルクス主義」とともに「マルクスの思想」をも反故にすることはできないのではないか。

テーマ
 現在の課題としてマルクスの思想はどのように継承されるべきか、あるいは破棄されるべきか。その上で現在の状況を踏まえて、はたして実現を追い求めるに値する「ユートピア」はありえるのか。

 そこで次回から

吉本隆明著「マルクス―読みかえの方法」(1995年、深夜叢書社)所収の
同名の論考(インタビューの記録、聞き手=高橋順一)と
「未来国家のキーワード」(聞き手=「潮」編集部)

を読むことにする。
 実はこの本、「つんどく」したままのものだった。購入10年後の再発見・再会ということになる。思いがけないところで紐解くことになった。無駄な購入ではなかった。とてもうれしい気分だ。

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