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《「真説・古代史」拾遺編》(49)

壬申の乱(21):謡曲のなかの「壬申の乱」(1)


 図書館の「古代史」関係の書棚で、新庄智恵子著「謡曲のなかの九州王朝」という本を見つけた。明らかに古田古代史をベースにした論文だ。万葉集や金石文には九州王朝の存在を示す多くの史料が潜在していることを知ってきたが、謡曲にもあるとは驚いた。さっそく借りてきた。すごくスリリングな本だ。

 新庄さんは古田さんの『よみがえる九州王朝 -幻の筑紫舞』という本から示唆を受けて、ご自身深くたしなんでいた謡曲にも九州王朝に関する記述があることを確信し、謡曲集二百番を通読したという。その成果が上記の著書である。

 新庄さんの著作を読む前に、新庄さんに大きな刺激を与えたという『よみがえる九州王朝 - 幻の筑紫舞』も読んでみたいと思って、サイト「新古代史の扉」を訪ねてみたら、ありました。第三章を除いて、すべてネットで読めるようになっていた。 「第四章 幻の筑紫舞」 を読んでみた。これも感動的でスリリングな論文だ。伝統舞踊の中にも九州王朝の存在を示す伝承があるとは、本当にびっくりした。権力の目をかいくぐって、千年以上もの間、代々「筑紫舞」を伝承してきた人々の、滅亡した国への深い哀惜と、抹消されたその国の存在を伝えようとする強固な意志と、震えるほどの感動を覚えた。(かなり長いですが、興味のある方はぜひ直接読んでみてください。)

 さてまずは、謡曲は本当に古代史の史料として扱えるのか。いわばその史料批判に当たる部分の引用から始めよう。

 謡曲とは室町の頃、観阿弥・世阿弥がくぐつの歌謡であった猿楽の原本等を典拠として編み直し作ったものといわれています。謡曲の中には西暦千年以後の文学を題材としたものも多々ありますが、それ以前、六百年代の古いものと思われるものも、思いのほか多く混じっているのです。それらは何人たりとも、何の典拠もなく創作するわけにはゆかないものだと思います。



 「何の典拠もなく創作するわけにはゆかない」一例として、新庄さんは「はじめに」で『砧(きぬた)』という謡を取り上げている。「第四章 幻の筑紫舞」の概略を紹介することから始められている。

 (「筑紫舞」とは)神戸の人であった西山村光寿斎という女性が、戦時中、九州のくぐつの一団により極秘の中、筑紫舞という九州王朝宮廷舞を習い、戦後晴れて世間に発表したものといいます。それは北九州、宮地嶽古墳の洞窟の中において、限られた少数のくぐつ達が毎年寄り集まり、古墳の主への慰霊を兼ねて、筑紫舞の発表会を千年もの長さに亘り行なってきたという不思議なお話でした。

 その本の中に、「松虫」という筑紫舞の歌詞の一節がありましたが、その時代色を帯びた歌詞が、謡曲のそれと全く同じ物であり、題名までも同じであることを知った時の驚き―。これは筑紫舞も、謡曲も、作者は同一人物、典拠も一つであり、くぐつの手により二つに分けたものと知りました。

 くぐつという特殊な職業人の手に在ったればこそ、室町の時代まで官憲の手を逃れて生き延びた歌曲であり、もしもこれが権門に在れば、とうの昔に消されていた運命ではなかったでしょうか。

 謡曲は今では単なる猿楽、遊芸物として軽く見られがちの古典ではありますが、官制の国書や司直の手を経た現存の書物以外、古代を知る手立てを持たぬ私達には、謡曲は数少ない文献として見直して価値あるものと私は思うのです。いっこうに物言わぬ考古学的出土品を待つよりも、文字あるということは遥かに納得のゆくものではないでしょうか。

 例えば、『砧』と題する謡などは九州の話で、その北岸遠賀川の河口、芦屋の人物が都へ自訴のために出かける話です。その「都」には日本中から裁判を受けるために人々が集まり、二年も三年も順番を待つことになったらしく、家族と別れて暮らすうち悲劇も起こることになって、『砧』はそれを題材とした物語なのです。

 「都」とは一体何処を指すのでしょうか。この謡を習っている時、二、三の方に尋ねてみたところ、「京都?」「奈良?」という答えが返ってきました。これが普通の日本人の常識です。しかし、先入観を捨てて聞いて下さい。『砧』の文章をよく見ると、都は芦屋から西にあると言っています。大和や京都が西であるはずはありません。大和や京都の西で都だったところ、それは古田史学にいう「九州王朝」以外にはありません。時代は西暦500年から600代に当たりましょうか。古田史学によればこの当時、都とは九州久留米、高良玉垂宮(たからたまだれのみや)ということになりましょう。

 現存する九州、岩戸山古墳は筑紫の君岩井の墓であるのみならず、この当時すでに、律令国家であることを顕し、石人を墓の上へ並べて裁判の模型としたものが今も残る由です。これは六世紀代の話ですが、片や大和王朝の律令は国書によれば八世紀代にできたといいます。果たしてこの大和王朝の律令が時の裁判所として機能していたかははなはだ疑問です。

 『砧』という謡は古代九州物のほんの一例に過ぎませんが、これ一つを取り上げて見ても、九州王朝が我国において抜きん出て文化水準の高かったことが解るように私には思えます。

 筑紫の君岩井は、この時三井に居られたといいます。援軍の名目で筑紫へ来ていた継体の軍によって俄の反乱の不意打ちで殺されるという大難に遇いましたが、この後約二百年間、九州王朝は健在であったということです。



 引用文中の「石人」については、少し説明を要するだろう。「石人」とは何か。

 以前、 『「倭の五王」と「磐井の反乱」』 を取り上げたとき、磐井の最も大きな業績、律令の制定については割愛していた。この機会にそれを補充しておこう。

 日本古代史学界では、初めての「律令制定」は8世紀の大和朝廷によるもの、というのがの「定説」である。しかし古田さんによれば、それは「新律令」であり、それに先んじて「古律令」があったという。それを証言しているのが「石人」である。古田さんは『筑後国風土記』を引用して、その真実に迫っている。(以下は「法隆寺の中の九州王朝」より)

筑後国の風土記に曰く、上妻の県、県の南二里、筑紫の君、磐井の墓墳有り。高さ七丈、周り六十丈。墓田は、南北各六十丈、東西各卌(40)丈。石人・石盾、各六十枚。交陣、行を成し、四面に周匝(しうさう)す。東北角に当り、一別区あり、号して衙頭(がとう)と曰ふ。①衙頭は政所なり。其の中に一石人あり。縦容(しようよう)として地に立てり。号して解部(ときべ)と曰ふ。前に一人有り。蒶形(らけい)にして地に伏す。号して偸人(とうじん)と曰ふ。③猪を偸(ぬす)むを為すを生ず。仍(よ)りて罪を決するに擬す。側に石猪四頭あり。臓物と号す。③臓物は盗み物なり。彼の処にも亦、石馬三疋・石殿三間・石蔵二間あり。

 右において、古墳のそばに石像展示場がもうけられている状況が描かれている。右の文のあと、

(筑紫君磐井)生平の時、預(あらかじ)め此の墓を造る。

とあるから、この展示場も、磐井がみずから作らしめたもの、そう考えていいであろう。

 しかもこれは、単にバラバラの石像展示ではない。一個の意味をもって配置せられているのだ。それは何か。 ― ズバリいおう。「裁判の場」だ。中央に「解部」と呼ばれる人物が、威厳をもって立っている。裁判官だ。磐井のもとに「-部」という名の各種の「部」が成立しており、それぞれの長官と「部の民」(部民)のいたことをしめす。その中に、この「解部」がいたのである。もちろんこれは、「ときべ」と読む。倭語であろう。その前に、猪と共に猪を盗んだ者が伏せ、解部によって裁かれているのである。

 では、なぜ磐井はこのような展示場を自分の墓のそばに作らせたのか。わたしは考える。「それは、彼にとって、自己の業績の中で、もっとも誇るべきものであったからであろう」と。すなわち、彼は裁判の基礎をなすべき法令の制定を施行、それをもって、自己最大の治績と見なしていたのである。

 それだけではない。彼は、自己の死後も、この功業を永遠に伝え、それ(法治の立場)を守らせたいと考えたのである。そうでなければ、わざわざ自分の墓にこの展示場を作らせる意味はないであろう。

 では、なぜそれを。その答は、先の「古律令」の本質をかえりみれば、判明しよう。それは「律」、すなわち、刑法を中心とするものだった。「令」とて、その補いであり、細則であり、別物ではなかった。このように考えてくれば、ここに展示された「裁判の場」こそ、「古律令の制定と施行」をシンボライズするものだったことが浮かび上ってこよう。



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2009/05/06(水) 17:08 | URL | sirube #mtsVTvCA[ 編集]
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