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《「真説・古代史」拾遺編》(39)

壬申の乱(11):「驛鈴」問題


 今回からいよいよ「壬申紀」(「天武紀・上」)の解読です。

 「壬申紀」の記述には、従来の全ての研究者たちが気づかなかった(あるいは見て見ぬふりをしてきた)様々な矛盾がある。「壬申の乱(8)」で取り上げたように、三森氏の論文『馬から見た壬申の乱』によって指摘された「不可能な騎馬行軍」記事もその一つである。馬に関わることではもう一つ「驛鈴(うまやのすず)」問題がある。

 「驛鈴」とはなにか。「日本歴史大辞典」(吉川弘文館)によると、次のようである。

 古代、驛使が乗用を許された驛馬の匹数を刻んだ鈴。驛使の資格には厳しい規定があったが、驛使乗用の匹数もまた厳重な規制が行われた。
 親王・一位 10匹、三位以上 8匹等。この驛馬の匹数の証拠となるものが驛鈴。剋(きざみ)があり、10匹の場合は10剋の驛鈴が与えられる。
 驛鈴の出納は中務者の大主鈴・少主鈴が行う。『延喜式』主鈴によれば、天皇行幸の場合は、内印とともに主鈴と少納言とが預って供奉する。天皇巡幸の場合は皇太子が、皇太子不在の場合は京都の留守の官が、鈴契を給するとされている。
 驛鈴はこのように厳重に扱われ、天皇から賜わる形式をとっている。在京の役所が驛使を派遣する場合は、その役所から太政官に上申し、太政官奏によって勅の処分を仰いで驛鈴が与えられる。
 このように驛鈴がきわめて厳重に扱われたのは、驛馬の乱乗を厳しく取り締まるためであった。
 大宰府、20口。三関・陸奥国・4口。大上国、3口。中下国、2口。
 驛鈴はわが国の独創で、驛馬の鈴として首に下げられ、鈴の音を鳴らしながら驛使は旅を続けた。

これを受けて、古田さんは次のように、その解説を補強している。

 右によって見れば、次の点が明瞭だ。

 驛馬は、馬の「公的利用」の制度である。その馬は、軍事行動の中枢だ。だから「権力」をささえるための基盤、それがこの驛馬の制であると言うことができよう。従って「延喜式」が次の点を強調しているのは、当然だ。

(その一)
 驛鈴は常に第一権力者(天皇)のもとにあるべきこと。 (その二)
 もし「行幸」及至「巡幸」など、第一権力者の〝移動″があるときには、必ず側近(主鈴と少納言)や第二権力者(皇太子)及至、その留守役(「京師の留守の官」)が代行して保管すべきこと。

 要するに、いかなる場合にも、「京師」にそれは置かれているはずなのである。



 さて、「壬申紀」に次のような有名な事件が記されている。

 672(天武元)年6月24日、「乱」開始を宣言した2日後のこと。

(1)大分君恵尺(おほきだゑさか)、黄書造大伴(きふみのみやつこおほとも)・逢臣志摩(あふのおみしま)を留守司(とどまりまもるつかさ)の高坂王(たかさかのおほきみ)のもとに遣(つかは)して驛鈴(うまやのすず)を乞はしめたまふ。・・・既にして恵尺等、留守司に至りて東宮(まうけのきみ)の命(おおせこと)を挙げて驛鈴を高坂王に乞ふ。然るに聴(ゆる)さず。  大海人皇子は3人の腹心の部下を、「留守司」にいた高坂王のところに遺して、驛鈴を乞わせが、これを拒絶された、という事件だ。

 ここでは驛鈴は、「留守司」に置かれている。この「留守司」を「岩波」の頭注は
「飛鳥の古京守衛のために置かれた官司」
と説明している。実は「留守司」は上の記事のほかにもう一回出てくる。6月29日の記事である。「岩波」の注はそれを根拠にしている。

 是の日、大伴連の吹負(うけひ)密かに留守司の坂上直(あたひ)熊毛と議(はか)りて、・・・爰(ここ)に留守司高坂王、再び兵を興す使者穂積臣百足等、飛鳥寺の西の槻(つき)の下に據(よ)りて營(いほり)を為(つく)る。

 かくして「定説」は、「近江京」とは遠くはなれた「飛鳥の古京」に、この「驛鈴」はおかれていた、と断定したわけだ。この「定説」を、古田さんは「不可解」と言う。

 先の「延喜式」にしめされていたように、軍事体制の「要(かなめ)」としての驛鈴は必ず「京師」になければならぬ。そして第一権力者(もしくはその代行者)の「手」ににぎられていなければならぬ。 ― これがルールだ。

 この点、ことが権力者にとって肝心、要の軍事体制の全体と中心にかかわる問題であるから、「延喜式」以前の「七世紀後半」(天智・天武期)においても、ことの道理に変りはありえない。それがなぜ、近江京ではなく、飛鳥の留守司に。 ― 不可解だ。



 すでに吉野が「肥前の吉野」であることを知っている私(たち)にとっては、『日本書紀』の編者の設定した地理関係をそのまま鵜呑みすることはできない。だとすれば、「壬申紀」が描く「驛鈴」と「留守司」のチグハグな関係を読み解くためには、「留守司」という役所自体の「存在意義」を問うことになる。

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