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《「真説・古代史」拾遺編》(32)

壬申の乱(4):「持統紀」にもあった盗作記事(1)


 『日本書紀』には、九州王朝の史料をはめ込んで天皇家の歴史を偽装するというなんともやりきれぬ盗作手法がある。「神功紀」と「景行紀」の中にその例があることを私(たち)はすでに知っている。( 「真説・古代史:九州王朝の形成」 を参照してください。)

 ところがなんと、『日本書紀』の最後の「持統紀」にも九州王朝の事績をはめ込んだ盗作記事がある。その記事が盗作であることを論証するための前準備として、前回「中皇命」が九州王朝の天子であり(第4番歌)、「紀温泉」行がその中皇命が妻(皇后)を伴って行った「博多→瀬戸内海の児島→淡路島→南紀白浜→志摩英虞湾」という大旅行であった(第10,11,12番歌)ことを明らかにした。

 さて今度は『万葉集』巻1の第44番歌である。

石上大臣(いそのかみのおほまえつぎみ)の従駕(おほみとも)にして作れる歌

吾妹子(わぎもこ)をいざ見(み)の山を高みかも大和(やまと)の見えぬ国遠みかも

右、日本紀に曰く、朱鳥(あかみどり)六年壬辰の春三月丙寅の朔の辰、浄廣肆広瀬王(ひろせのおおきみ)等(たち)を以(も)ちて、留守の官(つかさ)となす。ここに中納言三輪朝臣高市麻呂(みわのあそみたけちまろ)、その冠位(かがふり)を脱(ぬ)ぎて、朝(みかど)に上(ささ)げて、重ねて諫(いさ)めて曰(もう)さく、農作(なりはい)の前(さき)に、車駕(きみ)未だ以て動ふべからず。辛未に、天皇諫(こと)に従はず、遂に伊勢に幸す。五月乙丑の朔の庚午阿児(あご)の仮宮(かりみや)に御(いでま)すといえり。

 この注を訳すと次のようである。

 3月3日、天皇は広瀬王を留守の官にして出かけようとした。すると大三輪朝臣高市麻呂が反対した。しかも冠位をなげうつという思い切った行動で「止やめて下さい。」といさめた。しかし天皇はそれに従わず、振り切って3月6日に遂に伊勢へと向かった。そして5月6日に三重県の阿胡(あご)の仮宮に着いた。

 これは中皇命の大旅行のときのエピソードにほかならない。それを盗用している。

 これによると中皇命の旅行は、2ヶ月にわたる大旅行(3月~5月)であったことが分かる。ところが「岩波」は「朱鳥六年」を持統4年として、持統天皇の旅行としている。すると当然出発地は奈良(藤原京)。到着は三重の英虞湾。2ヶ月もかかるはずがない。この謎に困った通説論者はどのように解決したか。「岩波」の頭注に曰く、「この(五月の)行幸は三月のとは別」。おいおい、これ、誰が読んだって一つの旅行についての記述だよ。「この(五月の)行幸は三月のとは別」と断定する根拠などどこにもない。私はヤマト王権一元主義者たちの知的退廃を嘆かざるを得ない。

 ところで、『日本書紀』の「持統紀(持統6年)」の段に次の記事がある。

三月(やよい)の丙寅(ひのえとら)の朔戊辰(つちおえたつのひ)に、浄広肆広瀬王(じょうこわうしひろせのおおきみ)・直広参当摩真人智徳(じきくわうさむたぎまのまひとちとこ)・直広肆紀朝臣弓張(ちょくくわうしきのあそみ)等(ら)を以(も)て、留守官(とどまりまもるつかさ)とす。是に、中納言大三輪朝臣高市麻呂(すけのものまうすつかさおおみわのあそみたけちまろ)、其の冠位(かうぶり)を脱ぎて、朝(みかど)に上(ささ)げて、重ねて諫(あは)めて曰く、農作の節(とき)、車駕(きみ)、未だ以て動(ゆ)きたまふべからず」とまうす。辛未(かのとのひつじのひ)に、天皇(すめらみこと)諫(あわめ)に従ひたまはず、遂に伊勢(いせのくに)に幸(いでま)す。

 明らかに『万葉集』にある「日本紀」の記事の改ざん編である。日本書紀の方は留守の官として、持統天皇と関係の深い二人「直広参当摩真人智徳・直広肆紀朝臣弓張」をプラスして、まさに持統紀の記事であると繕っている。そして最後は「伊勢に幸す。」であり、「阿児の仮宮」をカットしている。このカットはつまり「2ヶ月の謎」のカットでもある。

 古田さんの講演録を引用してまとめとしよう。

 私のようにように出発点を筑紫太宰府と考え、二カ月かかって三重県の阿胡の仮宮に着いたとします。その間吉備の大宰に会ったように表面は観光旅行のように見えて政治的な目的を持った旅行です。そう寄り道しながら行くのなら、二カ月は決して掛かり過ぎではない。

 太宰府の九州王朝となりますと、時期はもちろん白村江の以前です。白村江663年以前の記事を切り取って『日本書紀』に、はめ込んでいる。ここで万葉集にあるものを『(朱鳥)日本紀』と言いますが、これは現在の私たちが見ている前段階。簡単に言いますと、我々の見ている『日本書紀』を完成本としますと、初稿本に当たるのが『(朱鳥)日本紀』です。その『(朱鳥)日本紀』では、白村江以前の九州王朝の中皇命大旅行を、そのまま切り取って持統6年のところにはめ込んでいる。朱鳥という九州年号は、これも一応別ですが、白村江以前の記事をはめ込んでいる。そういうことが分かる。



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