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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
権力と反権力の現在(12)

「連帯」運動が孕んでいた矛盾


 このシリーズでは「真の社会主義」あるいは「理想の社会主義」という言葉を使ってきたが、この言葉で指し示す概念は、これまで私が様々な記事で言及してきた「リバータリアン社会主義」にほかならない。「Anarchist FAQ」は「リバータリアン社会主義」を『自由な意志による思考と行動の自由を尊重し、生産者が政治権力と生産手段・流通手段の両方を所有する社会システムを目指す思想』と定義している。

(「リバータリアン社会主義」については 「アナーキズムについて」 を参照してださい。)

 さて、ポーランドの労働者・市民・大衆は「理想の社会主義」への道ではなく、「西欧資本主義の政治形態に逆もどり」し、議会制民主主義と市場経済への道を選ぶことになったわけだが、そのことを、1981年の段階で、吉本さんは洞察していた。

 〈連帯〉は、はじめの基本的なモチーフであった統一労働者党、国家権力、企業管理者、労働組合員といった生産社会機構をつらぬく専制体制とは独立に、自主的な労働組合を結成し、労働者組織の次元で、国家官僚による専制にストップをかけたあと、企業、地域、全国のレベルでつぎつぎに連合体をひろげていった。この〈連帯〉の全国的な連合体は、生産の直接の場である企業内で、たしかに国家や統一労働者党による専制を切断して、その地平で地域、全国へとひろがる折り目をつけることに成功した。しかしこれは、労働者や市民や大衆の情念の噴出という意義をのぞけば、実質上は生産機構の現場である企業レベルで、労働者の自主組織のベルトを全国的に敷きつめたという意味しかもってない。当然そのあとで〈連帯〉の運動を、組合運動の外部でどの方向にすすめるかが問われることになる。

 ワレサのような考え方と構想をとれば、生産の直接現場である企業内で、党と国家権力の意志に左右されない労働組合をつくり、それをもとにした連合組織の次元で、労働者の利益と権利をまもるための守備線をつくりあげ、そのほかの社会的、政治的な課題については、組織的な圧力団体という役割以上のことは、かんがえないということになる。

 アツエク・クーロンのような〈連帯〉の理論家の構想にしたがえば、企業内において労働組合がじかに掌握するか、企業の外部で経済社会権力となるかはべつとして、自主管理組織をつくって、これを企業、地域、全国へと拡大して、生産社会機構としての管理組織を〈連帯〉労働者の連合体によって確立してゆく方向を目指すことになる。

 グダニスク科学アカデミー付属技術研究所イェジ・ミレフスキは、いままであった「労働者評議会」を連合体に組織して「ネットワーク」をつくり、自主管理体制の推進母体として、企業、地域、全国の労働組合連合体としての〈連帯〉の、外部に組織づけるという構想を語っている。そしてこの評議会は、グダニスクのレーニン造船所とゼシューブ市の輸送器機製造工場からはじまって、17の大企業労組から集まった全国組織にまで拡大したと日本の新聞記者に語っている。ミレフスキによって語られているかぎりでは、この「ネットワーク」は党国家と、それと独立な労働組合〈連帯〉の労働者とが、生産社会機構としての国家を、協議によって管理するものとして構想されている。これは生産社会機構としての国家を〈連帯〉が掌握するという意味とはまったくちがうものであった。

 またヘンリク、シュライフェルのような理論家の構想では、全国的に〈連帯〉労働者によって自主管理組織が確立したあと、それをもとに、なおすすんで生産社会機構としての国家を〈連帯〉が掌握する方向へむかうことになり、これは当然、政治的な国家や社会的な国家をも、〈連帯〉が掌握するという方向にひろがる可能性を孕むものであった。

 わたしたちの視力に映るかぎりでいえば〈連帯〉の運動は、はじめから勢いと機会に即応する力量としては、ワレサの語ったように政治的な国家の掌握にまでいたる可能性をはらんでいた。だが一方、実質的な基盤と運動の意志水準でいえば、国家官僚から自立した企業労働組合の連合体の地平を、それほどでるものではなかった。生産社会機構の梯子を登りつめて、社会経済的な国家の地平にでるためには、労働組合連合の水準から、中間にいくつもの段階を踏まなくてはならないはずである。これをべつの言葉でいえば、社会革命の階程を国家にまではせ登るには、あまりに媒介になる段階の構想を欠いていたとみることができる。極端にいえば企業労働組合のレベルと、生産社会機構としての国家とがいきなりむき出しに対峙しているといった平板な画像が描かれている。そうかといって〈連帯〉が一挙に政治的国家を掌握してから、生産社会機構の改革をおもむろにはかってゆくという構想は、〈連帯〉のどんな指導者もが夢にももたなかったのである。そこで勢いと機会に即応する〈連帯〉の力量は、政治的モチーフの拡大をもとめたが、実質的な運動の意志水準は自主的な企業労働組合の連合体のレベルに留まるという矛盾に、いつもさらされながら流動することになった。

 1981年12月11日から開かれていた〈連帯〉の全国委員会では、国家機関、党、軍を掌握したヤルゼルスキイ政権の信任投票を要求する決議が採択された。ヤルゼルスキイ政権は、統一労働者党(ポーランド共産党)官僚のいわば最終的な切り札であり、これが国民投票で不信任であるばあい、かりにソ連軍が介入しなければ〈連帯〉が、不用意なまま国家を担当することを、この決議は意味している。

 現存する国家権力の崩壊の瀬戸際にたったヤルゼルスキイ政権は、13日に「国家非常事態」を宣言して「救国軍事評議会」を設置し、軍事独裁体制をととのえると〈連帯〉の弾圧に乗りだしたのである。レーニン以後はじめての労働者、市民、大衆による本格的な社会主義の構想は、官僚専制権力の武装力のまえに挫礁を余儀なくされた。だが史上いちばん遠くまでいったかれらの構想はわたしたちの心臓にしっかりと刻みこまれる。



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