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499 ロシア革命の真相:番外編(1)
<革命>への情熱
2006年5月12日(金)


(『「良心の自由」とは何か』に戻る予定でしたが、またまた気まぐれ、もう一つ横道に入ります。)

 店頭でパラパラ眺めただけで、未知の人の本を買うことはほとんどない。本との出会いを語る本に出合って、そのほとんどない事をした。

米田綱路著「はじまりはいつも本」(パロル舎)

 さまざまな本の著者との対話(インタビュー)を集めた本で、この本との出会いを幹に、さらに未知の著者、未知の本、未知の問題との出会いの枝が期待できそうだ。これがこの本を衝動買いをした理由だった。この絶望的な状況の中で少しでも多くの曙光と出会いたい。たぶん、私は明るく絶望するための慰藉を求めている。

 最終章近く「<革命>への情熱」という項目があった。目下の関心事の一つなので、それから読み始めた。なんと、ほんの少しだけど、パリのマフノ氏の消息に触れることができた。全体とても刺激的な対話で、いろいろと考えさせられること、示唆を受けることだあった。紹介しようと思う。

 アベル・パスという人の著書『スペイン革命のなかのドゥルーティ』(渡辺雅哉訳、れんが書房新社、2001年)をはさんでの、米田さんとアベル・パスさんとの対話だ。どちらも未知の人だったので、まずその略歴から。

米田綱路
1969年奈良県生まれ。
大阪大学文学部美学科、同大学院言語文化研究科修士課程修了。
「日本経済新聞」記者、書籍編集者を経で2000から03年まで週刊書評紙「図書新聞」編集長。現在、同紙スタッフ・ライター。
20世紀ロシア・ドイツを中心とする精神史を書きつぐ。編著に
 『語りの記憶・書物の精神史』(社会評論杜2000年)
 『抵抗者たち証言・戦後史の現場から』(講談社、2004年)
がある。

アベル・パス
本名デイエゴ・カマーチョ。
 1921年、スペイン・アンダルシア東部、アルメリアの貧しい日雇い農の家に生まれ、バルセローナに育つ。
 紡績工場の見習いとなった35年、14歳でアナルコサンディカリスト労組CNT (全国労働連合)とリバタリアン青年団に加入。
 36年7月に始まった内戦は、後の人生を大きく左右する決定的な経験だった。フランコ軍がカタルーニヤを制圧する直前の39年1月、多くの同胞に混じって辛くもフランスに脱出。
 42年、スペイン国内のリバタリアン運動への合流を決意し密かにピレネーを越えたが、同年末にバルセローナで逮捕され、以後のおよそ10年間をフランコ体制下の獄中に失った。
 53年の出獄後、改めてフランスへ亡命。フランコ死後の77年、スペインへの帰還を果たす。


 アベル・パスさんが自ら語る言葉で、その人となりや生き方や執筆姿勢を知っておこう。

「1936年を語る証言者」としての自負。


 当事者や証言者の語る内容は、自ずと記憶の改竄の危うさを免れない。
 その点、私は幸運だったと思う。一般のスペイン人を呪縛したフランコ体制への恐怖を肌身に感じることがまったくなかったのだから。フランコ軍がバルセローナへ突入する直前の1939年初頭にいったんフランスに逃れた後、私は 42年にスペインに潜入したところを逮捕・収監された。獄中では自分を偽る必要も、アナキストであることを隠す必要もなかった。ところが、巷では誰もが「自由」を失うことへの恐れから独裁に迎合し、フランシスコ・フランコが並べ立てた「うそ」を「真実」として受け入れる以外に生き延びる術はなかったのだ。自分はそんな不安とはおよそ無線だった。独裁者が国民に植えつけた恐怖心から自由に、1936年を語りうる証言者というのは決して多くはない。この私は、そんな数少ない人間のなかの一人だと自負している。



 この国の民衆が『「うそ」を「真実」として受け入れる以外に生き延びる術はなかった』悲劇的な時代から開放されてからまだ60年ほどで、またもやそのような状況を作りつつある。2度目は喜劇だ。

アベル・パルさんの『「歴史家」ではない歴史家』という自己規定。


 自分は言われるような「歴史家」だとは思っていない。アカデミズムの「歴史家」は、象牙の塔のなかで史料や書物をひもといてはあれこれと解釈をほどこし、思案しているらしいが、あんな環境のもとで生み出されているものは歴史ではない。過去を再構成し、歴史を本当の意味で把握する仕事は、アカデミズムの連中には不可能だ。

 本当の「歴史家」の名に値する人間であれば、すべてに通じていなければならないだろう。最初の『ドゥルーティ』を書き上げるまでに10年の歳月を費やしたが、私は正規の教育はほとんど受けていない。11歳から2年ばかり、初等学校に通った覚えがあるだけだ。だから、いわゆる「歴史家」たちのように基礎的な学問的訓練を受けているわけではない。
 たとえば、『ドゥルーティ』を書き進めるうちに、経済の問題を扱う必要に出くわしたことがある。しかし、経済の細かなことなど自分は何も知らない。まったくの素人だった。そこで、いっとき執筆を中断したうえで、経済書を相手にしばし格闘しなければならなかった。そんな作業の繰り返しが、私の本の中身に厚みを与えている。心血を注いで完成させた『ドゥルーティ』は、ただの評伝ではないつもりだ。
 ついでに言い添えておけば、スペインのアナキストはほとんどみなそろって独学だった。なにせ家計を助けるために、われわれは物心のつくころにはもう働きに出なければならなかったのだから。

 歴史叙述に挑もうという者には、対象への充分な愛着がなければならない。アカデミズムは「客観性」を旨とするが、干からびた文書の束が常に何ごとかを語り、真実を学んでいるというものでもないだろう。ありていに言えば、自分はその手の「客観性」には関心がない。まったく逆だ。絶えず情熱を傾けて私はタイプライターを打ち続け、『ドゥルーティ』を書いたのだ。



 象牙の塔に立てこもっているだけの学者の愚劣さはいやというほど見せ付けられてきた。どういうわけか、私が今までの出会ってきた信頼にたる知識人には独学者が多い。
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 コメント
この記事へのコメント
なるほどです
いつも拝見しています。いつも更新凄いですね。私も努力しないと・・・。最近寒くなってきたので風邪などに気をつけて下さい。応援しています。
2008/11/10(月) 11:12 | URL | 彰夫 #-[ 編集]
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