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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(115)

抵抗権行使運動の未来(5)


 自由は人間の尊厳を担保するための必要不可欠な権利である。いま私たちは、瑕疵のある不十分なものではあるが、自由を享受している。その自由は一身を犠牲にして闘ってきた先人たちの闘いのたまものだ。獲得された自由の根底には、るいるいと重なる先人たちの屍がつらなっている。先人たちの屍は、自由は自らの手で勝ち取るものであることを私たちに訴えている。新たな抑圧と差別を生むシステムは今なお堅固である。不断の闘いなくしては自由はたやすく奪い取られるだろう。不当な抑圧に対して、さまざまな場でさまざまな闘いが闘われている。それらが連帯して線となり、やがて面となって強く広がることを願ってやまない。

 昭和の抵抗権行使運動の最初の犠牲者、樺美智子さんの追悼40周年の集会が2000年6月15日に開かれている。そのときの島成郎さんの挨拶から主要な部分を引用して、ひとまずこのシリーズをしめたいと思う。

 すでにあの日から40年経ちます。すなわち、1960年6月15日の夜、安保闘争が最終局面に達したあの6月15日に、私たちはすべての組織をかけて闘うという決意をしておりました。

 これに対して、国家権力をはじめ、それまでの既成のいろいろな諸勢力はあらゆる妨害を加えましたけれども、それをはねのけて国会の中でわれわれの意思をはっきり表示することが必要であるということで、国会構内に突入するということを決めまして、そこで全国に呼びかけ、安保阻止の最後の闘いを行うのだという意味で国会突入の闘いを演じたわけであります。

 多くの方々がこの闘いに参加しましたが、この激闘のなかで国家権力の手によって樺さんは亡くなりました。この一人の女子学生の死、樺美智子さんの死というのはその当時の日本全国を震撼させました。この死者のほかに、負傷した者720名、逮捕された者146名、その中で起訴されたのは24名と、大きな犠牲を払ったあの6・15の闘いは、すでにその1年半前から行われていた安保反対の国民的な規模の闘いに、さらに大きなエネルギーを与えて、岸内閣への大きな怒りを呼び起こし、爆発しました。

 翌日から国会は文字通り連日、ほとんど自然発生的に民衆のデモ隊によって埋められました。そして、安保改定批准国会で自然承認される6月18日には、実に50万の大衆でもって国会の周囲を埋め尽くしました。おそらく日本の大衆政治運動史上空前絶後の闘いといっていいと思います。

 しかし、われわれは首相官邸や国会周辺に坐り込み、抗議の意思を発しながらも、ただ時が経つのを見守るばかり。その中で1960年6月19日の午前零時、安保改定は議員が一人もいない国会の中で自然承認されてしまった。その後、岸内閣は倒れ、池田内閣に代わりましたが、改定安保というのは批准され、そして安保闘争は敗北のうちに終息したわけであります。

 私たちはこの1年半前から、当時属していた日本共産党から脱し、本拠のソ連スターリン主義も弾劾し、新しい革命党をめざして共産主義者同盟(ブント)を作りました。共産党だけではなくて、あらゆる既成勢力、既成左翼、あるいはマスメディア、あるいは左翼文化人から、文字通り集中砲火を浴びながら孤立無援の闘いを行わなければならなかったわけですけれども、ちょうどそのときに戦後の日本の政治の一つの結節点とでもいうべき安保闘争に直面し、この闘いというのがおそらく日本のその後の帰趨を決める非常な結節点になるであろうという判断のもとに、まだ若い組織でありましたけれども、全組織を挙げてこの闘争に取り組むということを決定し、闘ってきました。

 安保改定阻止国民会議というかたちでできた全国民的な運動は徐々に起こりつつありましたけれども、既成の指導部の下では、これを本気になって闘うということにはならないだろうということを指摘したわれわれは、この闘いの一つ一つの場面において突破口の役割を果たすべく努力しました。

 11月27日の国会突入、1月16日の羽田闘争、4月26日の国会デモ、そして5月6月の闘いへという、その一つ一つの場面において全国の労働者とともに闘いながら、新しい局面を切り開く役割を果たしながら闘ってきたというぐあいに思います。

 樺美智子さんは、安保闘争の6月15日の最終的なデモにただ参加したということだけではなくて、この戦後の新しい運動の中で、新しい組織を作るために、その数年前から身を賭して、あるいは身をかけて闘ってきた同志。すでに東大教養学部のときから共産党の一員として活動し、そしてブント結成とともにブントの中心となっただけではなくて、まだほとんど数人しかいなかったブント本部の事務所にきて、全国の組織の中心に黙々として働いた同志。非常に口数は少なく、物静かな人でしたが、いうべきことははっきりいい、おとなしい中にも激しい情熱と意思を秘めた、非常に頼りになる同志。その基礎があって、あのブントが全国的なかたちに発展していったということを、改めてここでもう一度皆さんにご報告したいというふうに私は思います。

 そして、もちろんそのブントの組織の中枢にいただけではなくて、その後東大の文学部の自治会の副委員長として東大の全体の学生運動の指導にも、文字通りこの安保闘争の全期間大きな役割を果たしたことはご存じの通りです。先ほどいった1月16日の羽田闘争では、初めて検挙されるということにもなり、それにもめげず、ずーっと闘いをつづけてこられた、そういう同志でした。

 そのようなブントの役割を大きく担った人員でありましたけれども、このブントも60年の安保闘争の敗北とともに、あっという間に四分五裂し、崩壊しました。その日から今日まで、私たちは皆それぞれの道を遠く、遠く歩いてきたのだろうと思います。

 そして、いま2000年の6月を迎えております。現在の世界と日本というのを見るときに、60年当時、私たちが予想したものよりははるかに大規模に、はるかに大きな速度で変貌を遂げております。私たちが唱えたスターリン主義ソ連邦・東欧は瓦解しましたが、世界資本主義は厳然として存在しております。新しい段階にさえ発展している。

 日本は池田内閣以後、経済成長を遂げ、世界の先進国といわれるほどになる、サミットの一員になるまで発展しました。それだけではなくて、その社会の構造というのは、私たちの日常の生活を大きく変えるというところまで変貌しております。こうした大きな大変動のなかでは、この40年を省みまして、私たちの闘った60年の安保闘争、あるいは全学連、あるいはブントというものは、多くの人にとって、ほとんど忘却の彼方に霞んでしまったものとなっているのが実際の姿ではないか、というぐあいに私自身思います。

 しかし、同時に、いまになってこういうことをいうのは、おかしいかも知れませんけれども、その後40年の歩みの中で、私はほとんど政治的な場での活動をしない一精神科の医者としての仕事をずーっとつづけてきておりましたが、その間を考えても、そして現在のいる場を考えても、やはりあの60年の時代、ブントの時代、安保闘争の時代に青春の生命を燃やしつづけて、非常に幼かったけれども、自前でもって新しいものを創ろうとした、それにかけたその体験というのは、やはり心の中から消そうとしてもやっぱり消せないものがあるということも、これまた否定できない事実であるということを思わざるをえないわけです。

 私個人の性癖からいっても、ただ過去の闘争を懐かしむ、過去のいろいろな事象に目をやるというよりも、現在生きてる状況に立ち向かい、そしてこれから開かれるであろう未来に対してどう立ち向かうかということに、むしろ心をいつも引かれるという性向を持っているために、こういう場をつくる、あるいはこういう場に参加するということをあまりいたしませんでした。

 しかし、私自身が、昨年来生命の危険を感ずるというような状況になったこともあったのかも知れません、あるいはこの間に多くの知ってる親しい方が生命をなくして、先に逝つてしまうということにぶつかったことはあったかも知れません。

 そういうことを考えたときに、現在われわれが、あるいは皆さんがここに生きてるということは、やはり一つの偶然にしかすぎない。しかし、偶然によっても樺さんよりも40年もずーっと長く生きていて、現在の21世紀を見ようとしている、そういう立場にいるんだということをもう一度考えてみる必要はあっていいのではないかということで、敢えてこの集会を呼びかけ、そして皆さんとともに語りたいというぐあいに思って、この会を呼びかけた次第でございます。

 いろいろな思いや、いろいろな考えがあるだろうと思います。あるいはいろんな歩む道は違っているかも知れません。しかし、こうやって顔を見ていると、ほとんどやはりなにか近いところでずーっと過ごしてきた人たちが、いま現在ここに集まっているという感をさっきからずーっとしております。

 これからの生をどう生きるのか、現在の日本、世界というのをどう見つめ、どう闘って、これからの生を過ごすのかということは、それぞれ考えるべきことなのかも知れませんけれども、そういうときにあたって、あの時代の生の燃焼の根源というのをもう一度見つめながら、22歳のまま、ずーっと私たちの中で生きている樺美智子さんについて、もう一度追悼しながら考えたいというのが私の心境でございます。



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