2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
498 ロシア革命の真相(15)
第三革命:「マフノ運動」(5)
2006年5月11日(木)


 マフノ運動を支えた思想(以下、マフノ主義よ呼ぶことにする。)とその実践について、もう少し詳しい記述(アナーキズム「FAQ」の)を読んでこのシリーズを終わることにする。

マフノ主義の基本的姿勢
 労働者と農民の自由は彼等自身のものであり、どの政治団体からもどんな制限も受けるものでない。自分たちに適しており望ましいと思うように行動し、自分たちの組織を作り、生活の全面でお互いに合意しあうこと、これら全ては労働者や農民自身に任せればよい。マフノ主義者にできるのは支援することと、相談にのることだけだ。どんな状況下でも、彼等を支配することはできないし、そんなことを望んではいけない。
 従って、マフノ主義者は自分たちが解放した町と都市に政府を樹立することはなかった。自由ソヴィエトを創設し、労働者・農民がそれを運営した。

アレクサンドロフスクの例
 マフノ主義者はこの都市を解放すると、即座に労働者に会議に参加するように呼びかけた。労働者がこの都市の生活を組織し、自分たち自身の力と自身の組織で工場の機能を編成するように提案された。
 最初の会議の後、すぐに次の会議が行われた。労働者による自主管理の原則に従って生活を組織するときの問題点が吟味され、労働者大衆によって活発に議論された。労働者大衆は皆、自主管理の考えを最大の熱意を持って歓迎した。
 鉄道労働者が第一歩を踏み出した。彼等は、この地方の鉄道ネットワークを組織する責任を持った委員会を組織した。この段階から、アレクサンドロフスクの民衆たちは、自主管理の諸機関を創設するという問題に組織的に目を向け始めた。

 アレクサンドロフスクにおいて、ボルシェヴィキはマフノ主義者に互いの活動範囲について提案してきた。ボルシェヴィキのレヴコム(革命委員会)が政治的業務を担当し、マフノ主義者は軍事業務を担当すればよい、という提案である。マフノはこの提案に対して次のような辛辣な批判を投げ返している。

『労働者に奴等の意向を押し付けるなんてやめて、もっとまともな仕事をしに行ったらどうだ。』

 同時に、マフノ主義者は自由農業コミューンを組織した。農業コミューンは数は多くなく、少数の人々だけの参画だったが、最も素晴らしかったことは、貧しい農民だけでこうしたコミューンを作っていたことだった。マフノ主義者は農民にいかなる圧力も加えず、自由コミューンの思想を宣伝することだけに自分の役割を限定していた。

ボルシェヴィキの干渉
 このように、マフノ主義者は革命の発展・軍事活動・社会政策に関する議論に全住民が参加するようにした。彼等は、政治的・社会的問題だけでなく自由ソヴィエト・労組・コミューンといったことを論じるために、労働者・兵士・農民の代理人たちの会議を何度となく開催した。

 1919年4月にアレクサンドロフスクの農民・労働者・反政府活動家が第三回地方会議を開催しようとしたとき、あるいは1919年6月にいくつかの地方で臨時会議を開催しようとしたとき、ボルシェヴィキはこれらの会議を反革命だと決め付け、法律に違反しているとして集会を禁止しようとした。
 マフノ主義者は、これらの会議を開催することでボルシェヴィキに応じ、次のように問うていた。

『数人の自称革命家が作った法律など、自称革命家よりももっと革命的な民衆全体を追放できるようにする法律など、存在しうるのか?』

『革命が防衛しなければならないのは誰の利益なのか?党の利益か?それとも、自分の血で革命を動かしている民衆の利益なのか?』

 マフノ自身は次のように述べていた。

『自分たち自身の根拠で会議を招集し、自分たちの事柄を議論することは、労働者と農民が持つ不可侵の権利であり、革命によって勝ち取られた権利だと思う。』

 さらに、マフノ主義者は言論・思想・出版・政治結社の自由という自由社会の原理を十全に採用した。マフノ主義者が占拠した全ての都市や町で、彼等は、あらゆる禁止事項を撤廃し、ボルシェヴィキ政府によって報道機関と政治組織に課せられていたあらゆる制限を破棄し始めた。
 マフノ主義者が自由ソヴィエトに課した唯一の制限は『民衆に対する独裁を強制しようとする「革命委員会」の形成を禁止する』ことであった。
 つまりマフノ主義者はボルシェヴィキによるソビエト改悪を拒否し、代りに『権威や独断的法律のない、労働者の自由で完全に独立したソビエト制』を提案したのだ。彼等は次のように宣言した。

『労働者自身が、自分のソヴィエトを自由に選ばねばならない。ソヴィエトは労働者自身の意志と願望を実行するのである。つまり、支配するソヴィエトではなく、<行政上の>ソヴィエトなのである。』

 マフノ運動が目指した自由社会は、所詮は実現不可能な「ユートピア」に過ぎないだろうか。

 「アナーキズムFAQ」は労働者による自由のための闘いを次のように列挙している。私(たち)の知らない闘いがまだまだあるに違いない。

パリ=コミューン(1871)
ヘイマーケット事件(1886)
イギリスにおけるサンジカリスト叛乱(1910-1914)
メキシコ革命(1911-1917)
イギリスにおける職場代表制(ショップ=スチュワード)運動(1917-21)
ロシア革命(1917)
ドイツ革命(1919-21)
スペイン革命(1931)
ハンガリー動乱(1956)
キューバ革命(1959)
1960年代後半の「就労拒否」闘争(特に1969年イタリアの「熱い秋」)
ポルトガル革命(1974)
英国の炭鉱ストライキ(1984-85)
英国の人頭税反対闘争(1988-92)
フランスの1986年と1995年のストライキ
80年代と90年代のイタリアのCOBAS運動
21世紀初頭のアルゼンチン叛乱における民衆集会と自主管理型職場占拠

『革命と大衆闘争は「虐げられた者の祝祭」である。その時に、普通の人々が、自分のために行動し始め、自分自身と世界の両方を変え始めるのだ。』
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