FC2ブログ
2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(112)

抵抗権行使運動の未来(2)


 宙づり状態の政治的表出意識を生かす活路をどこに求めたらよいのだろうか。

 マルクス主義では資本主義を基盤とするブルジョア民主主義国家では絶対的な階級対立が必然的であり、それが最大の思想的課題であるとされた。しかし、三上さんは次のように現状認識をしている。

 現在の先進国ではこの思想的課題は部分的なものになった。社会的階級対立は部分的なものとなり、社会内部での権力関係こそが重要課題になった。自由や抵抗と権力との関係が社会関係の中で重要になる。国家権力に異議申し立てをし、それを構成し直すことが課題となる。つまり「国家を開く」という課題である。

 国家権力の在り方に対する異議申し立て、それを変革しようとする共同意志(表出意識)は、構成された理念や概念(制度的言葉)と矛盾し、対立する。 この矛盾はさまざまの現れ方をする。国家権力や国家は国民的意志と関係のないところにそびえ立つが、これを国民の意志によって構成しようとしたのが近代の政治革命である。そしてその結果としてできた国民国家は、現実との矛盾の中で構成し直そうとする力が発生し、それとの対立を必然化する。

 それは異議申し立ての運動が発生することだが、歴史的に見れば左翼とは構成し直そうとする力の表現であり、保守や右翼とはこの構成を保守しようとする力である。構成し直そうとする力は抵抗や自由であり、構成されたものを保守する力は権力と呼んでもよい。共同意志として構成されたものの保守として働く力と構成し直そうと働く力の関係は、自由や抵抗と権力の関係なのである。

 かつて僕らが共同幻想の構成転換と呼んだものは、構成する力で構成されたもの(権力や国家)を変えて行くことをさしていた。国民の意志で国家を構成することが近代の革命(国民国家の成立)であるとしても、その国家は過渡的なものである。そして、この構成の転換をめざす運動が絶えず出てくる。国家や国家権力を開くということはこのことである。



 1970年代の半ばで独立左翼的なものは政治表現の場所から消えてしまったが、新左翼的な政治集団は現在も存在する。しかし、それらはかつてのような《政治的意味》も《社会的意味》ももっていない。それは独立左翼的な政治表出の基盤をもっていないからである。しかし、独立左翼的な政治表出の基盤そのものが無くなったわけではない。独立左翼的なものは新左翼的な制度的言葉とは分離し、いまだ独立左翼的な制度的言葉が不在なのだ。独立左翼的な制度的言葉が創造される根底には、なによりもまず日本の国家の錯綜した構成(日本国家の制度的言葉)の正確な把握が必要である。

 日本の国家の錯綜した構成はかつて、多頭国家と呼ばれていた。これは単純な国家イメージでは把握できないし、移入された国家理論はそれを思想的に析出するのに成功したことがなかった。僕らが国家や権力を開いて行こうとするときの困難な要因になる。国家や権力の構成を変えようとする運動にとっては、それは障害物になるのだ。

 多頭国家とは国家の構成が重層的であるということを意味する。領域的に独立した構造をもちつつ、重層的に構成されているというのが国家イメージなのである。このことを最も示しやすいのは「天皇制」と「議会民主制」の関係である。ここではいろいろのことが試みられた。この多頭的、重層的な国家や国家権力を思想的に析出する試みは多く存在したけれど、ほとんど失敗した。



 三上さんは「この問題について理論的に語るというより、経験的に語ってみたい」と言い、沖縄闘争で直面した問題を取り上げて、この問題にアプローチしている。


 1960年代の後半から1970年代のはじめに沖縄闘争(沖縄問題)が存在した。そのとき僕は叛旗派という政治集団に在ったが、吉本隆明に講演を依頼した。吉本は南島論としてそれを展開した。南島論の思想的なモチーフは沖縄のもつ文化を掘り下げることで、天皇に収斂させられていた日本的共同意識(ナショナリズム)を相対化しようとするものだった。天皇制に収斂する共同意識をその起源までさかのぼることで相対化しようというものであった。これは日本列島の文化を天皇の文化として収斂させることの批判を含んでいた。日本文化は日本列島に住む住民の文化であり、それから見れば天皇の代表する文化は時間的にも空間的にもその一部であり、日本文化の概念を天皇に帰一させることの否定であった。

 三島由紀夫が「文化防衛論」の中で展開した日本文化=天皇の文化という概念はこの対極にある考えである。

 僕らはこの当時、復帰をめぐる沖縄問題を政治課題としていた。この吉本隆明の南島論的な沖縄論は魅力があったが、復帰問題や基地問題などの政治問題としての沖縄問題とどう関係させて扱えばいいのかわからなかった。沖縄問題とか沖縄闘争とかの言葉でごまかして対応した。それが実際だった。

 吉本隆明が展開していた南島論は長い時間的射程の中で展開されたものであるが、「共同幻想論」の延長にあるものだった。それならば当時、アメリカの軍政からの解放問題として展開されていた沖縄問題とは何であったか。それは軍事問題も含めた日本の政治国家の現在的な課題であった。

 当時の経験を振り返って思うのは、南島論は幻想国家の領域の問題であり、軍政と日本復帰をめぐる問題は政治国家の領域の問題であると考えればよかったのだと思う。このそれぞれを領域として取り出し、そこでの課題を考えられれば、沖縄問題としてごまかしていた問題が明瞭になる糸口は発見できたのだろうと考える。ここに経済国家の領域を加えればより一層、はっきりするかもしれない。これは現在の問題でもある。

 幻想国家領域の問題としての沖縄問題と、政治国家領域の沖縄問題は独自の領域としてある。経済国家領域の問題として沖縄問題はまた独自にある。この重層的な領域を理解することは、それに対応する僕らの戦略も重層的にあることの必要を意味する。

 南島論の内包する思想的なモチーフは天皇制という共同幻想への対応である。これは日本のナショナリズムの問題としてアジア的地域の問題に広げられる。また政治国家的な領域の問題は、中国・韓国・北朝鮮を中心とするアジア諸国との政治的関係に広げられる。経済国家の問題も同じである。ここで僕が沖縄問題として語ったことはアジア全体に広げられるのである。重層的な領域として対象を理解しなければ、政治戦略が立たないということは、それを沖縄問題からアジア諸国との関係に広げても言えることなのだ。僕がかつての沖縄問題の経験として語ろうとしていることはアジア地域の関係として現在的に語り得るのである。

 日本での共同幻想としては天皇制の存在と影響は大きい。日本列島の住民の文化(生活的な共同意識)が制度として構成されたものが天皇ないし天皇制である。それが民族意識の根幹とされたのは近世から近代にかけてのナショナリズムの運動である。

 この制度的な言葉としての天皇、あるいは天皇制をどのように構成し直すか(無化するか)というとき、制度的には憲法からの天皇の排除ということになるが、日本文化=天皇という概念の解体が課題となる。そのときの重要な媒介が南島としての沖縄である。沖縄の文化的な存在としての独自性である。アイヌ文化も東北文化も同じような役割がある。



スポンサーサイト



 コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
 トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/1227-b78e6525
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック