2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(108)

『独立左翼論』を読む(20)
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 12名もの同志を「総括」という私刑によって殺害するという凄惨な事件を誘発した原因は何なのだろうか。吉本さんはそれを「共同存在としての人間の心的な機制は、個体としての心的な機制と、おなじ次元で執ることも、みることもできない心的な領域を付加される」と指摘している。これはより具体的には、三上さんの概念を用いれば、「表出意識(実践的意識)」と「制度的言葉(外側の言葉)」との齟齬・軋轢が前者の後者への隷属にまで至ったときに生まれる「心的な機制」ということだろうか。三上さんの論考を読んでみよう。

 連合赤軍の「総括」では「共産主義化」という訳の分からない言葉がキーワードとなっていた。訳の分からない言葉が人をとらえ呪縛していくということは政治的集団やグルーブの中ではしはしば起こることで、叛旗派でも同じようなことがあったと三上さんは言っている。

 僕の所属していた叛旗派でも神津陽(叛旗派の理論的指導者・・・管理人注)がわけのわからない「関係の革命」や「集団論」などをとなえ、良く似た現象が起こった。「関係の革命」も「集団論」も「共産主義化」と同じように別に意味の不明な言葉ではない。言葉としてはわかる。それはどういうことなのかというとさっぱりわからない。本人も説明できないし、その内容を展開したことはない。それは一種のお題目で中身がない。しかし、中身が不明なまま題目だけだからそこには何かがあるのだろうと人々を思わせる。そして混乱を起こす。叛旗派はさっさと解散してしまったからさして実害はなかったけれど、このときの混乱はよく似た現象だった。



 こうした言葉をキーワードに据えることで、その提言者は何を意図しているのだろうか。三上さんは次のように分析している。

 森恒夫のとなえた「共産主義化」も神津陽の提起した「関係の革命」も制度的な政治的言葉とは別のものとしてある行動(行動を支える言葉)を共同化しようとしたのである。それに言葉を与えようとしたのだ。政治的言葉(外側の言葉)と行動の言葉(内側の言葉)をつなごうとしたのである。目のつけどころは悪くなかったのである。森も神津も活動家としては優秀だったということである。ただ、制度的な言葉と行動の言葉の構造の違いを良く認識できなかったために、それを同一的な共同性として取り出そうとしたところが誤りだった。それは構造的な差異の中にあり、簡単に取り出せないということだ。

 政治グループが制度的言葉ではなく、行動者の契機を共同化して自己の基盤を強化するという試みはいつの場合もある。それは毛沢東の言う「三大規律と八項注意」のような組織規律から、相互批判による関係の強化などだ。行動者として運動の中で存在する信頼関係を共同化し、組織化する試みだ。これは失敗するか、一種の粛清に終わる。行動者の間の信頼関係のような共同性は個別的関係としてしか不可能であるし、制度的言葉を介した共同性から自立していくことによって成立するからだ。個々人が内的言葉を自覚し、自立的に取り出せることで可能となる。共同的なものでしばるのではなく、共同的なものから自立することが共同性をつくりあげる。

 二つの世界を結ぶものは思想であるが、それは共同性といっても異なった構造にあることがわからなければどうにもならないのである。「共産主義化」でも「関係の革命」でも良いが、それは何だと言われると本人もろくな説明ができないのは、この構造がわからないからであり、結局のところ題目になってしまう。

 しかし、政治的集団では説明のつかない題目だから人に受け入れられるということは存在するのだ。



 連合赤軍は「前段階武装蜂起」とか「革命戦争」とかいう制度的言葉によってその政治的共同性を形成していた。しかし個々の行動者の内的契機(内的言葉)は千差万別である。「革命戦争」という死をも覚悟した共同目標を前にして、内的な意識(内的言葉)の在り方がバラバラであるということは大きな不安を生む要因であったろう。その不安を克服するものとして提起されたのが「共産主義化」であった。

 森恒夫の提起した「共産主義化という総括」は制度的な言葉の領域ではなく、内的な言葉の領域に踏み入ろうとしたのであり、この領域を《共同化》しようとしたのである。自分が山にくるという行動を支えているものがなんであり、それがどういう言葉なのか森は自己だけでなく、他のメンバーにとって納得できるものを追求しようとした。森は「共産主義化」という言葉によって、自己と他のメンバーの心的不安を解消しようとしたのである。だから、山岳ベースの中では、森の提起した「共産主義化という言葉」に他のメンバーは対抗不可能であったと想像できる。

(中略)

 政治的な集団が孤立し、追い詰められる場合に身を守るように相互の信頼を強めようとすることはむしろ悲劇を呼んでしまう。これは現実になれば誰も避けられないことかもしれない。行動が残滅戦として《死》を意識させられる局面で、それを担う個々人の内面の意識に言葉を与えようとした森や永田の行為に総括の対象とされた兵士の側からの対抗は不可能だった。そう思える。

(中略)

 森恒夫は制度の言葉と内側の言葉を《共産主義化》という言葉でつなごうとした。これは思想に該当するものであり、イデオロギー的な制度的言葉と個々の行動を支える内側の言葉をつなぐ思想だった。善意に解釈すればということになるが、そうだつたと僕は想像する。

 森恒夫の誤りはどこにあったのだろうか。それは制度の言葉と内側の言葉の構造的違い、とりわけ内側の言葉に対する彼の理解が浅薄だったのだ。彼の思想は、内側の言葉は《共同的》なものとして安易に同質化できるものではないという自覚に欠けていたのである。同質化ができると錯覚していたのだ。

 行動を支える意識は共同性を形づくるが、それは個別的に存在し、個別であることによって共同性をなすのであって、同質化のようなことを拒否する。行動者として面々の内にある意識は簡単に同質化も同質化という共同化もできるものではない。それは同質化を拒む形で共同性を成り立たせるのだ。

 政治組織は制度の言葉で成り立つとき、その成員を指導者や被指導者として関係づける。それならば行動者としてはどんな相互関係が成り立つのか。それは個々人の相互関係である。行動者の関係は個別的な相互関係としてしか現れない。自己批判や相互批判はこの行動者の個別関係とは無縁であり、制度的言葉を介した政治関係のなかでしか意味をもたない。森は政治的な行動者の内的な世界(内側の言葉)も行動者の間の関係も知らなかったのである。

 当時、《行為の共同性》という言葉があった。これは神津陽の言い出したものでなかなかすぐれた言葉であった。これは制度的な言葉を媒介した共同性(組織の成員であるという現象として現れる)とは別に行動者の共同性があるということだ。それは行動を支えている内側の言葉が形成している共同性のことである。行動者の間の連帯感として現れる共同性のことである。他の行動者の行動が自己の内側の言葉と共鳴したり、それを刺激されたりしてできていくものであり、これは制度的言葉を媒介しての共同性とは違うのである。この共同性は制度的言葉に解消されないで、個別にあり続けるのである。これは制度的言葉に対しては沈黙の言葉と言われるものであり、個別の中にあり続けるしかない。

 僕は政治的言葉は制度的言葉と内側の言葉の二重性のうちにあると語ってきた。これは制度の言葉と沈黙の言葉と言ってもいい。政治表現者と政治的行動者の言葉と言ってもよいのだが、この政治の二つの言葉を結ぶものは思想である。この結ぶということはここで形成される《政治的共同性》の構造が違うものであるという理解が前提になる。森には政治的行動者の構造を認識する思想がなかった。内側の言葉を理解する思想はなかった。それは彼の善意が混乱を招くほかなかった根拠である。

 森恒夫の「共産主義化」が内側の言葉を共同化し、同質化しようとしたとき、その構造を無視するものであり、何がなんだかわからないものとして現象するほかなかったのだと思う。山に参加するということから、残滅戦という行動へ、つまり死を意識した行動へ、行動を支える言葉を強固なものにしたいという欲求が森の中にはあつたと思う。それは自分の中で死と直面することであり、その怖さから逃れようとしたのかもしれない。そこで、彼が誤ったのは、それは結局のところ政治的行動者として個々が解決するしかないし、それに委ねるしかないという考えをもてなかったことだ。

 行動の高次化に対処できるのは組織規律や共同意識ではなく、行動者の内的な言葉である。それは他者がどうすることもできないのであり、制度的言葉を介した指導・被指導者の関係でどうにかできるものではないということだ。

 森や永田の悲劇は、この政治的行動者のうちに存在する内的言葉を理解し、信頼できなかったことである。森にとって7・6事件の総括は逆だったように思えてならない。この事件で逃亡した自己の弱さを克服しようとするより、その弱さを行動の構造の考察に向けていたら別のことが可能になったのではないか。自分のあるがままの姿を見つめていれば自己と他者の行動の世界が見えていたのではないか。弱さを克服するとは強くなることではない。自他の弱さを認めることなのだ。強さが生まれるとしたら何らかの契機でそれが反転することではないか。連合赤軍事件に触れるとそんな印象がつきまとう。



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