2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(103)

日大闘争(11)



6月9日(月)

転向・死刑……

 過去の事を、いろいろ書いた。そこから何かがつかめると思い。しかし、書いた事は同じような事ばかりで、私の脳裏には新しい問題、役に立つものはそこから出てこなかった。もう、ここらへんで中止する。ただ一つだけ記しておかなければいけないことがある。それは日大闘争が起り、私の思想が、現実を見たり、ないしは参加する事により、闘争に満足したという事である。そこには客観的闘いは存在したとしても、私自身の内的闘いは放棄されていた。自らの存在に疑いを持つ事なく。過去の事をとやかく言ったところでしかたがない。過去は、現実を変革し、未来を展望する事のみにおいて、重要なのではないだろうか。

 私の頭は混乱している。私に今必要なものは、何かといったら何もないと答えよう。君に今必要なものはすべてを捨て去る事であると。「私」から出発するのではなくして、無から、初めからやりなおす必要がある。いろんな障害が私の前に立ちふさがって来ることもあるであろう。それを突破する為にも初めからやりなおす必要がある。

 〝転向″。 ― 支配者はその言葉によって、事の是非を決めるかの如くの価値判断をする。私はまず、この言葉自体に疑問を持つ。はたして転向という事があり得るのであろうか。よく学生運動、労働運動を闘っていた人が、就職などすると、ヤツはヒヨッタなどといって批判する人がいるが、そうではなくて、過去持っていた彼の闘いの思想が、現在の就職であったわけで、他の何ものの思想でもない。また、闘っている人達の中で、いわゆる転向者に対して、罪を犯したかの如く批判する。しかし本当に批判出来るであろうか。そのような人達はこの地球上には万余と存在する。

 世の一人一人に憎しみを持って生きていけると思いますか。絶対できっこない。憎みや批判自体問題だと思うが、その論議は別として、もしその人に憎みを持つなら一度も闘いの過程を経ていない人達を憎むのがまだ妥当と言えないであろうか。多分憎しみを持つのは自らが内部に持っている闘いへの道の可能性を危険視して、他者がそれを行使する事により、自らの可能性を隠蔽し、一つの自主規制の為の手段としての他者に対する憎悪である。このような自己中心人物は ― 話が飛躍するが組織的問題として ― 内ゲバの論理の中にも一視点として明確に表われている。

 他者に対して自己は、いかなる強制力も保持しない。他者が体制内化されようとも客観的、科学的批判は出来たとしても人間的批判はゆるされないものではなかろうか。ただし、その人が自己の立場、現実を事実として語る限りにおいて。

 死刑 ― これは一人の人間を強制的に死に追いやる事により、生存するすべての人間に対する権力の恫喝である。なぜなら被死刑者にとって死が何の利益をもたらすというのだ。彼にとって「死」という言葉の意味の他、他の何ものをも持たない無・抹殺である。しかし、権力にとっては抹殺する事により、万民を支配できる秩序がためになるのである。これが、いつの世を問わず、権力が保持する本質である。

 風邪、ほとんどなおつた。多分五日の裁判所に行った日ひいたのであろう。何せ、人と接触する事がなかったから免疫がなくなっている。3ヵ月対話する相手が存在しない。この中にも思想的問題においては単に法という事において、規制されるだけではなくして、権力の思想対反体制の思想というように明確に対立している。独房・これも一つの対決である。集団房に入れたなら……。時間切れ。



 ここでも大変重要な問題が考察されている。

 転向は、狭義には国家権力に屈服して起こる思想的変節あるいは思想転換という意だが、秋田さんは何らかの事情で組織や運動から退くというようなことも含めて、もっと広義の〝転向″を思考対象としている。そうした意味での「転向者」を個々人がどう考えるかは大きな問題ではないと、私は思う。「他者に対して自己は、いかなる強制力も保持しない。」という秋田さんの判断につきる。

 秋田さんは「話が飛躍するが」と断りを入れているが、「組織的問題」としての「転向」こそ重要である。それは「内ゲバ」の問題につながる。そしてさらに、組織を「開いていく」という問題に関わる。この問題は『「独立左翼論」を読む』の続きで取り上げる予定である。

 死刑についても秋田さんは「生存するすべての人間に対する権力の恫喝である」という重要な観点を指摘している。先頃、「光市事件」の被告人に対して「殺せ!殺せ!」の大合唱が起こったが、死刑制度の本質をわきまえない醜悪な騒動だった。なおついでながら、「きっこの日記」はその大合唱のお先棒をかついでいた。「きっこの日記」の政治批判や社会時評を買っていたのだが、以来閲覧をやめた。

 さて、日記は次に「獄中での闘い」を考察しているが、獄外の動きにも触れているので、「日大闘争一周年全学総決起集会(5月21日)」以降の日大全共闘の動向を記載しておこう。

6月6日
 経済学部1号館7階大講堂で経済学部学生集会を企画。学校当局は立入り禁止処置を執る。機動隊の弾圧があったが、学部前での集会を貫徹。

6月7日
 横浜国立大において、労学総決起集会開催。

6月8日~6月10日
 アスパック川奈会議粉砕闘争。

6月11日
 明大学館前で日大バリスト闘争1周年全学総決起集会。
 経済学部前で経法奪還闘争。
 4000名が結集。不当逮捕者46名。

6月13日
 授業料納入拒否闘争を宣言。
 日大全共闘法闘委、授業料不払い同盟を結成。

6月15日
 反戦,反安保,沖縄闘争勝利集会。
 『「大学立法」粉砕、中教審答申粉砕!全国学園闘争勝利!』を掲げて「大統一行動」。
 日大全共闘5000名参加。

6月20日
 明治大学学生会館で新入生(藤沢校舎)討論集会

6月12日(木)

権力の手中で闘う

 第4回ASPAC - アジア太平洋閣僚会議、伊東川奈で8日から開催(たしか3日間だった)される。これは朴が共産主義の侵略にそなえ自由? アジア諸国に呼びかけたものである。第4回のASPACでは、その本質を見やぶられるのがこわいのか、愛知はしきりに非軍事的意図からもたれた会議であり平和的機関である事を強調する。これが東南アジアをめぐる軍事的・経済的・政治的意図から持たれたのは確かであろう。第4回だから第1回が1965年として、その時期はベトナム戦争の拡大と米軍及び米国に対する世界各国の批判と、ベト反戦闘争の高揚の中から生れているという事から、米国のおぜんだてがありアジア帝国主義国の危機感から持たれたのであろう。軍事的意図は、直接的なものより間接的なものであろう。

 11日、バリケード一周年学生総決起集会が明治大学で開かれたそうだ。昨日の7時のNHKラジオニュースでは学生二千人であるのに、今日『読売新聞』には一千人と書いてある。事実は一つなのに、どうしてこう食違つちゃうのかな。多分私の予測では三千はかたいな。経法奪回闘争三十数人か四十数人逮捕されたと聞く。

 〝闘い″ ― 闘いにおいては、自己の目的が万民の目的と合致する事が、第一番目に必要であろう。〝闘い″自己に対する対立物が自己の外側に存在してこそ、自己との闘いも可能になるのである。自己との闘いが存在するから外との闘いが存在するのでは決してない。そして、闘いは、自己の人間的欲望をみたす、具体的変化が必要である。内的変化でなくして、外的変化が。ただし内的変化を否定するものではない。外的な物を動かす事により内的な物も変化する。また、外的変化の形態により内的変化も規定される。

 よく集会などで数日間逮捕された学友が「私は国家権力の弾圧にも屈せず、完全黙秘で闘ってきました」などと出獄の挨拶なんていうらしいが、私はそれを開いている時、常に一種の違和感を持っていた。その違和感が何であるかが権力に捕われる身になってようやく判るような気がしてきた。

 まず、大上段に、ハッキリいうが、捕われの身は闘い ― 運動 ― ではないという事である。拘置そのものは権力と闘うものにとって耐えがたき屈辱である。「自己」対「権力」という関係においては圧倒的に権力の力が強いのだから、そのような関係は現実として認めざるをえないのだが、現実にはその力に屈したという事である。 ― 一時的に出ることが永遠に不可能であるなら一時的ではない。 ― 権力により拘束された人が強固な反権力思想を持っていたとしても、しょせん闘いとしてはなりたたないであろう。権力強圧機構の真っただ中に、権力により強制的に入れられた人の闘いは、存在しないのか。

 それはある。ここから脱走闘争を展開する事である。しかし、現実の社会情勢では無意味に近い。東大闘争の闘いの過程で行われている統一公判を実現する為の分離公判粉砕闘争は「権力の中」での闘いとして、闘いといえる唯一のものであるだろうが、これとて、闘いの二次的要素しか持ちえない。しょせん、勝利しても権力の中である。また、これが第一次的闘いになったら大変だ。

 ひたすら、屈辱に耐えながら、理論武装にはげむ。再び闘いぬく為に。するどい正義のキバをとぐことが今の私にとって、唯一、権力に対する反抗である。

 うまく、いいたい事が書けなかったけど私は出所した時「……で闘ってまいりました」なんて絶対にいわない事にする。欺瞞である。そして、拘束された中で闘う事も確かに闘いだが、われわれが外で言っている闘いと性格が異るような気がする。ここの中での闘いを軽視するものでは決してない。しかし、権力により闘いの性格をゆがめられ、無意味にされているという現実を言いたかったのだ。だからこそ、権力は長期大量拘留を行うのであろうが。



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