2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(102)

日大闘争(10)


 闘争の過程で、秋田さんは日大全共闘の議長という役割を担わざるを得なくなった。秋田さんが自己に忠実に真摯に生きる道を選んだが故の結果であったが、秋田さん自身は自分自身を「指導者」とは規定していない。「自分達の問題は自分達で」やるという原則の下で、指導者は必要としない。ここにもあり得べき組織の的確な洞察が光っている。

 また、学園闘争の象徴として「秋田明大」という名がカリスマ的に全国に知られていったが、秋田さんはその「虚像」と本来の自分との亀裂を悩んでいる。本来の自分をいかにして取り返すか、模索している。

 6月3日(火)

自分をとり戻したい

 私は、この1年間、何を得たか。この1年間、組織に拘束され自己というものをなんら真剣に見つめる事が出来なかった。逆に、私が組織になっていたのだが。そして、権力と組織、闘いetc・により私の思考力はすでに能動性を喪失し、過去において蓄積されていた知的本能でしか行動出来得なかった。

 私がこのような私自身の立場、自己を感じたのは、昨年の6月か7月頃であったと思う。その時感じたのは、苦しかった過去の闘い ― 4・20以降の経済学部の生々しい闘いの ― あの感覚が無性になつかしかった。そして、その時点での苦しみは過去に此べると無に等しかった。そして、私は、その時私の置かれた立場、身動きできない所に立たされているという事も感じていたからである。私はそれが無性にいやであったし、しかし、どうする事もできなかった。

 結論から言うと、私は、私の置かれた重さに耐える事が出来なかったのかも知れぬ。(認めたくない。これは!)

 名前ではなくして、自己としての私が、その契機を作ったのは、3月21日の逮捕である。そして獄中である。過去を遮断する事によって、再び私が再生しようとしているのである。私は、もし、ここを出て、議長というイスが、自己というものでなく、虚像化された名前であったなら、そんなもの、ほうり出してやるつもりだ。それが運動にとっても、私にとってもいい事であるという事は絶対的に言えるのではないだろうか。

 私は何も語らなかった。他人様を指導しようと思った事は、ほとんどなかったと言ってもよい。人間が人間を指導するなんて、私には、それ自体、罪悪のような気がした。その為か私には、ずいぶん無理おし、利用しようとする人達が出てきた。他方、自分達の問題は自分達でやろうとする連中も出てきた。私は、この連中を、前の連中の行う屈辱に耐えながら待っていたのだ。それのみを、心の奥底からの気持として、長く長く屈辱に耐えながら。

 松島という男、今日、接見に来る。何者かよく判らないが、右翼的部類に入る事間違いない。そして、日大関係のバックがある事も。帰る時、物騒な事を言って帰った。「全共をおさえる」と。あんまり日大闘争と(純粋)関係ない人にこられては困る(三度目である、東京拘置所に来てから)。

追記・・・最近、気のせいかも知れないが接見の時、看守が記録する手がよく動く。手紙・接見の会話すべて権力につつぬけというのは、おもしろくない。



6月7日(土)

私という虚像

 自分をとりかえす為にくり返し、過去から現在までの思想的総括を行う。それが私にとって、今一番重要な事だ。

 これまで闘いの積極性・能動性を強調してきた。無意識の内に、あまりにも。それ故に浮足たった私があった。そしてイラダッタが。現在私は捕われの身だ。過去から現象的にせよたち切る事ができた。私が再び自己を取りもどすチャンスがきた。戦いの中に埋没し、組織化された自己の思想から自己を切離す事ができる可能性がある。

 戸川さんの手紙に、私が拘置所の生活が退屈だといったら、「何をねぼけた事をいっているか」と言われてしまった。強烈な言葉だ。私は、こう答えざるをえない。「ねぼけていたのは拘置所だけでなく、この一年間ねぼけていました。少なくとも、私の思想的基盤から考えても認めざるを得ない」と。

 私が日大闘争を、個人として闘うようになったのは、今から3年前だが、私は、一度日大での闘いを放棄しようとした事があった(数回あったといってもよいであろうが、はっきり決意したという意味である)。日大の強大な支配機構の中で闘う事が無意味で、運動の前進がなんらないと、主観的に思った時であった。

 しかし、運動から逃避する事ができなかった。逃避する事は、私の思想的原点を自らが否定する事になり、どうしても私にはできなかった。それを、私の心の中から取りされば、私には何も残らない。その時決意せざるを得なかった。一般的社会がもっている価値観を否定して生きていくしかないと。自分がもっている思想的原点を行使するためには、それがいかにみじめであろうとも、苦しかろうとも(その時そう思っていたのだが)、私には、これしか生きる道がないのだと。生きる為に闘いを選択したのであった。それが日大闘争の勃発により、自らの思想に満足してしまい、闘いの中に埋没してしまったのである。



 同じ日の日記で、心優しい闘士はバリケート闘争の折の西条警部の死を悼むことも忘れてはいない。さらに続いて、5日に行われた拘留開示の裁判の様子を記録している。

 死はいかなる理由によっても正当化できない。特に、それが、社会的死であればなおさら。闘争の間、西条警部の死によって私が得た結論である。西条警部の死はわれわれが今後解決していかなければいけない問題である。現在の社会のこのような課題は永遠の課題なのかも知れない(それを永遠というふうに認める事はできないが)。

 暴力についても同じ事である。死・暴力について、無責任な評論家どものように是非論を問うているのではない。人間の思想的問題としてである。

 5日に拘留開示の裁判があった。2ヵ月ぶりに東京の街を見る事が出来た。外界になれてないせいか護送車で地裁へ行くだけで疲れる。30~40人来ていたであろう。裁判官に拘留の不当性について述べたが、自分でも何を言ったか判らないくらいだった。相当興奮していたのだろう。その時、あの浮足たった気持がおきた。虚像と自己、学生の声(ヤジ)の中にいた私は、なおさら、あがった。しかしよく考えてみると、それは、自己の問題である。裁判所で2人の経済の学友、富樫、塙が逮捕されたそうだ。思いもかけぬ所で逮捕されたものだと考えているだろう。常習犯だから消耗するヤツではないが。意外な場所でつかまったものだからどうだろう。

清宮さんへ

 元気でやってます。戸川さんから手紙もらいました。「徐々に、目をさます」とお伝え下さい。「それは私にとって、永続的に行わなければならない問題であるし、特に今が一事重要な時期かも知れません」



スポンサーサイト
 コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
 トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/1215-4287ebee
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック