2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(99)

日大闘争(7)



5月13日(火)

判事はデタラメだ

 昨日、二度目の保釈却下の理由書を見る。却下理由は、
一、住居不定
二、証拠隠滅のおそれあり
三、果した役割、立場
等々であった。

 私はこの理由書を見て、法というものが、いかにいいかげんなものかを、まのあたりに見たような気がするし、実際頭にくる。私は、阿佐谷に、チャント下宿があり、今でも家から部屋代を送金してもらっている。

 理由書いわく。昨年の八月頃迄は、下宿に帰っていたが、本件がおこってからは、ほとんど帰宅していない、その後、知人宅、日大分校、友人宅を転々としていたとの事だから、住居不定は免れないとの事である。明らかにこれは、こじつけであるし、事実と違っている。どうもこの部分は、私が警察でいいかげんに答えた所を引合いに出しているらしい。このようなことを調べもせず、イイカゲンに友人宅、知人宅とのせるのがコッケイであるし、まったくのデッチあげである。あんまり馬鹿らしいので反論しない事にする。

 とにかく、この裁判所の出した保釈却下理由書は、何がなんでも私を出したくない、出さないと決定して、あとから却下理由をさがして、つけ加えたようなものだ。このような状況をみると、どうも私は、裁判所のこじつけ理由がなくなるまで、出られそうにない。権力の方は最大限拘束すのであろう。



 公安関係や行政訴訟の裁判での大方の判決は、初めに結論ありきで理由は後付だから、その判決文は詭弁の見本市のようなものになる。『「君が代解雇裁判」オソマツ判決の詭弁』で、私は次のように書いた。

 君が代解雇裁判の判決言い渡し法廷。裁判官は「原告の請求を棄却する」と述べるやいなや、逃げるように退廷した。その間おおよそ10秒。原告はじめ多くの人が時間をやりくりして法廷に参加しているのに、何たる無礼。ただただ驚き呆れる情景だ。その判決内容もこれ以上は悪くなりようがないほどのオソマツなものだった。裁判長の名は佐村浩之。

が、場数を踏んできた弁護士さんはこれが大方の裁判官の実態だという。

 裁判所も所詮はブルジョア民主主義を支える一機関に過ぎない。と言ってしまえば身も蓋もないが、この国の裁判の実態をみればそういわざるを得ない。公害関係の裁判などでは被害者よりの判決がないではないが、行政訴訟では行政権力に媚びた行政追認の判決のオンパレードだ。

 裁判とは、慎重に事実関係を調べ、客観的証拠をもとに、憲法の理念と条文に照らして判決を決めるものと、私(たち)は思っている。もし裁判官がそのように正しい裁判理解のもとで正しい手続きを踏んで判決すれば、 9.21難波判決のような判決が当たり前になるはずだ。当たり前のはずの難波判決が稀有のものとなっているのが現状だ。

5月20日(火)

 毎日が単調な生活であきあきしている。最近、運動の事があれやこれやと頭に浮んできて退屈をまぎらわしてくれるかと思ったが、その実、気分を安めるものではない。闘争に関して、今私に出来るものは一つもないのだから。

 ふと、頭の中で、ここから脱走できないものだろうかと、その方法を考えてみたりする事がある。それは空転にすぎない。実際、権力は、いい事を考えた。一人の人間を、一時的に無能にするには、ここへ連れて来てしまえばよい。ただし闘いは弾圧によっては終らないだろう。

 現在、東京拘置所には、教育大の学生が拘置されている。昨年の米タン阻止、東大、4・28沖縄デー、少なくとも500人前後はいるのではないだろうか(その中の何割かは、縦三㍍、横1.5㍍の独房)。それらのほとんどが、次期の闘いにそなえているわけである。

 ここは、精神修業と肉体を休めるには理想的(?)なほど環境が整っている。朝7時起床、7時半野獣のような看守の声と共に点検、8時朝食、11時半昼食、4時半夕食、5時点検、5時半仮就寝、9時就寝。牛後5時~9時まで毎日、文部省推薦のラジオ番組(主に野球、音 楽、漫才)、毎日30分体操、独房から、その3~5倍位の広さにすぎないが、ともかく解放されるわけだ。

 早寝早起きで、老人向きには良いだろうが、われわれには、どうみでもむかない。 ― ときたま、学生の遠ぼえがする ― ここでは休養をとる所と考えておけばよい。多分、ほとんどの学生は、休養を取り過ぎてエネルギーの発散に困っていると思う。だから、権力はわれわれを、出さないのだと思うが――。

 丸の内署で、4月3日ごろ、隣の房の人からこんな事を聞いた。万世橋の刑事が「秋田をねらっていた右翼を逮捕した」といっていたという。くわしく聞こうとしたら看守がとめた。私は、一週間前の、私のしらべの時、刑事が「一月頃から君をねらっていた右翼がいた」といっていた。私は、その時半信半疑であったが……。

清宮さんへ
 元気でやっています。ただ一つだけ残念なのは、ここから出られないという現実だけです。日大闘争は終りなき闘いであるという事を大衆的に確認して、すでに数ヵ月たちますが、この中にいても1年や2年では 終りっこないという事をハダで感じます。 ― 出たら終っていたという心配はないわけですね ― マアのんびりやるよりしかた ないのでしよう。気候もよくなったので夏までには出たいのですが ― 私は、夏が一番好きです。では、闘いはは長いのですから体に気をつけて頑張って下さい。むりをしないように。前いっしょに来た人に、会うことがありましたらよろしくつたえてくだ さい。



(注: 文中の「清宮さん」は日大闘争救援会の清宮誠氏のこと)

 拘置所(=代用監獄)の様子がよく分かる。こんなところに3ヶ月上もぶち込まれたら、私などは発狂してしまうかもしれない。秋田さんの精神力は相当なものだ。

 5月22日(木)

父を思う

 咋日計量する。68㌔もあった。3月12日丸の内署夜61㌔。

 家の事が気にかかる。家のことはすでに私の心の中で決着をつけたはずだった。と言うより、戦いの中で乗越えたものとして忘れていたのに、父母がどんなに心配しているか気になる。父は深く考える方だから。 ― 私は家庭の事を考えて心配するという事は、自分が将来に対して生きる自信がないからだと、ずっと自分をいいきかせてきた。そして私の運動の事は一度も話 したことがなかった。父は1年半~2年前頃から、うすうす気づいていたらしかった。

 というのは、昨年の冬休みだったと思ったが、郷里に私が帰った時、車の中で、私にそれとなく「就職する際に思想的な事を会社が聞くのか」と聞いた事があった。父は、この時、私がどういうか、その反応や気特を知りたかったのだろう。

 私は、この言葉を忘れる事が出来なかった。それはすべてを察して私には直接なにも言うことなく、それとなくわが子の事を心配している、その親の気持が、そしてその時私が思ったのはその言葉にまずドキリとしたが、自然なふるまいで「それはそうだよ」と、答えながら、親はだませないものだと思った。

 私が直接、父母と思想的な事を話したのは、これが初めで終りだった。それ以降は、日大闘争が社会的に知られるようになり、私の名前がマスコミにのり、私が運動をやっている事を知ってからの事である。この時になって、もはや親としては私のすべてというよりは体の事を心配することぐらいしか出来なかったらしい。

 私は、親をだますつもりはあまりなかった。心配をかけまいとする気持がおおいにあって、しらさなかったのかもしれない。もう一つの要因は自分の事は自分でやるという主体性を重んずる気拝が強かったのだろう。一年近くも家庭のことを考えなかった私の心が、むしろ異常だったのかも知れぬ。その問題一つとってみても一生つきまとう問題なのかも知れない。



 ご両親はあくまでも息子を信じ、温かく見守っていたことがうかがい知れる。ご両親も立派だと思う。

スポンサーサイト
 コメント
この記事へのコメント
相互リンクのご依頼
サイト運営し始めた者なんですが、相互リンクしていただきたくて、コメントさせていただきました。
http://hikaku-lin.com/link/register.html
こちらより、相互リンクしていただけると嬉しいです。
まだまだ、未熟なサイトですが、少しずつコンテンツを充実させていきたいと思ってます。
突然、失礼しました。
vmMvBSlu
2009/05/26(火) 07:14 | URL | hikaku #cJuqLt0I[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
 トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/1212-9dac4ec3
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック