2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(95)

日大闘争(3)


9月4日
 東京地裁がバリケードを非合法とする「占有排除仮処分」を強制執行。

 経・法・本部のバリケ―トが500名の機動隊によって解除され、132名全員が逮捕された。

 その抗議集会に3000人が結集した。抗議集会は、「古田理事会は学園を国家権力に売りわたした」、「われわれ学生の力で国家権力の手から学園を解放しよう」と、怒りのシュプレヒコールに包まれデモ行進に移った。校舎内にいた職員と右翼学生は追い出され、学生たちは法学部・経済学部を再占拠した。

 なおこの日、封鎖解除警備にあたっていた第5機動隊西条秀雄巡査部長が、学生が屋上から放った大きなコンクリートを頭に受け重傷。9月29日に死亡した。

9月5日
 再度機動隊導入によってバリケ―トが破壊された。法経再占拠闘争に5000名が結集し、再占拠。生産工学部もこの日、ストに突入。

9月6日
 再び機動隊が導入される。古田理事会にたいし抗議する5000名の学生が大フランスデモを行い、機動隊と激しく衝突。

9月11日
 日大全共闘大衆団交。この集会に対し学生課右翼グループが襲撃をかけ学生側に200名以上の負傷者が出た。

9月12日
 日大全共闘総決起集会。法経占拠で機動隊と激突。

 4日から12日に至る法・経奪還闘争で、6日35名、7日129名、12日154名総計318名の逮捕者が出た。

 318名もの逮捕者をだしながらも、全共闘に2万余が結集した。学生たちは、白山通りを中心に三崎町一帯を埋めつくし、経済、法学部をまたまた奪還。歓喜の紙吹雪が舞う。

9月14日
 商学部へ鉄棒をもった右翼暴力団学生が乱入。

9月19日
 医学部もストを決定。

9月20日
 日大11学部すべてがストライキに突入。

9月21日
 日大の古田会頭、「大学の定款を改正した後に全理事が総退陣する」と発表。

9月24日
 日大全共闘は、法学部一号館前の2000人の集会のあと、午後7時、大学本部を再封鎖し、27日には郡山市の工学部校舎も再封鎖した。

9月30日
 学生側の断固とした闘いにおされ、日本大学側はついに学生との大衆団交要求に応じた。日大緊急理事会が開かれ、午後3時、両国講堂で学生側が要求した「大衆団交」が開かれることになった。

 両国講堂には、35000人の学生が集まり、古田重二良会頭以下全理事が壇上に並び、大衆団交が開かれた。団交は、翌日の午前3時まで約12時間続けられ、6月11日の弾圧、8月4日の大衆団交破棄、9月4日の仮処分強制執行、機動隊導入への自己批判書を読み上げて全理事が署名捺印した。

 さらに検閲制度の廃止、思想、集会、表現の自由の承認、指導委員会制・顧問制の廃止、本部体育会の解散、学生会館の設立、ヤミ給与問題の全容解明、経理の全面公開、全理事の即時退陣、大衆団交の継続を理事の総退陣を前提として、10月3日開催するなどの確認書に全理事が署名した。大学側は学生に全面屈服したことになる。

 両国講堂は、学生たちの拍手と大歓声にわき、紙吹雪が舞った。古田体制打倒をめざした全共闘側の大勝利であった。

 当時、全国で51大学が闘争中だった。9月7日の校舎占拠で始まった東洋大闘争では、この日、理事長が退任した。同じくこの日、京大医学部では87人全員に卒業を認定し、闘争を終結させていた。

10月1日
 佐藤首相が閣僚懇談会で、日大の大衆団交に激怒。「大学問題を政治問題としてとりあげる」と発言。

 佐藤首相は、全理事を居座らせた上で強権弾圧に乗り出すよう指示した。

10月3日
 大学当局は大衆団交での確認書を白紙撤回して、全理事がそのまま居座った。

 大学闘争に対して、政治・警察権力むきだしの大弾圧がはじまった。「大衆団交によって、大学側を全面屈服まで追い込み、大学闘争に金字塔をきずいた日大闘争」は国家権力との直接対峙の闘争となった。もはや大学闘争は、日大や東大だけの問題でなくなっていた。

10月5日
 秋田明大議長など日大全共闘幹部8名に逮捕状が出された。(秋田議長は69年3月に都内の潜伏先で逮捕される。)

 大学側は機動隊の力で次々とバリケードを解除しはじめた。

11月8日
 職業右翼に率いられた体育会系学生400名が黒のヘルメット、マスクをつけ、日本刀、樫の木刀、熊手、鉄棒、ライフル銃で武装し、日大芸術学部のバリケードを襲撃。

 この時、バリケードの中には46名の日大芸術学部闘争委員会(芸斗委)のメンバーしかいなかった。彼らは次々にバリケードを破って全共闘を追い詰め、午前2時には屋上に通じるバリケードだけになった。

 急報を受けた日大全共闘の行動隊200名が朝一番の電車にのって駆けつけた。日大全共闘は体育会系学生を捕捉し、自己批判させた。この事件で、芸斗委側も重傷者4名が入院した。日大全共闘はこの後、神田三崎町で全学抗議集会を開いた。

 この襲撃事件にたいして、警視庁は1500人の機動隊を動員し、芸術学部バリケードを攻撃し、芸斗委46名を全員逮捕した。だが、日大全共闘は、同じ日、午後4時にはバリケードを再建した。

11月16日
 文部省、東大・東京教育大・東京外語大・日大に、「授業を再開せよ」との通達を出す。

11月18日
全共闘、全都総決起集会

11月22日
 日大全共闘が総力をあげて結集。「日大・東大闘争勝利全国総決起集会」を予定し、この連帯の力を背景に、全学バリケード封鎖を実行することを宣言した。

 これにたいして日共系学生は「全学封鎖断固阻止」を掲げ、全面対決になった。

 全共闘が、東大構内で「日大・東大闘争勝利全国総決起集会」を開催した。午後2時頃から安田講堂前に集結し、銀杏並木と正門前が約20000名の学生でうずめられた。安田講堂前の広場は、赤、白、青、緑、黒、銀色のヘルメットで埋めつくされ、その周囲に報道、一般学生が隙間なく立ち並んでいた。講堂正門には、各派と各大学の旗が立ち並び、それを背景に各派のマイクアジテーションが続いた。

 午後4時前、日大全共闘は神田三崎町の日大経済学部バリケードを出発した。無届のデモの日大全共闘3000人は、2000人の機動隊の壁を破り、銀、黒、赤、青、白と色とりどりのヘルメットで東大正面に入場してきた。どよめきがおこった。日大全共闘のために正面の席があけられた。秋田明大日大全共闘議長は、この日の演壇に姿を現し、数万の学生たちの前で演説をした。

 午後8時全共闘の集会が終わって、学内デモが始まった。

 一方、全共闘に反発する民青同系は約7000名を動員し、教育学部前に集結した。東大構内の外では4000人の機動隊が待機していた。夜遅くまで7000人の学生が東大構内にとどまっていた。こうして、東大全共闘と日大全共闘とが合流をはたした。

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