2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(94)

日大闘争(2)


 学生たちの「ヘルメットと角材」に対して「武装」という言葉を用いる文章によく出会うが、もちろんそれは「武装」とはほど遠い。また、機動隊の暴力と比べて、それは暴力というほどのものではないという言説にもよく出会う。しかし、暴力の「程度」での比較は意味をなさない。「質」において徹底的に違うのだ。機動隊は、人民暴圧を目的に訓練された暴力専門集団であり、暴力そのものである。それに対して学生たちの「ヘルメットと角材」は、吉本さんの言葉を借りれば、「ほんとうは暴力の問題ではなく、客観的な条件から、どうしても権力と接触しきれない距離に封じこめられた学生たちが、権力に接触しようとするときの、焦慮を象徴している。」

 さて、日大闘争が本格的なバリストに突入した同じ日(6月11日)、それに呼応するように、社学同の約500名が神田駿河台の明大前通りを占拠、バリケードを築いて「神田を日本のカルチェラタンに」と叫びながら機動隊と衝突している。

6月12日

 日大全共闘は、前日右翼が占拠していた経済学部本館も占拠し、バリケードで封鎖した。

6月14日
 日大経済学部で、バリケードの中で初の自主講座が開かれた。講師は三上治さんで「大学の自治と学生の役割」という題で講義をしている。

 日大全共闘は当初の要求(理事長総退陣、経理の全面公開、不当処分撤回、集会の自由、検閲制度の廃止)をスローガンに闘いを進めていく中から、「古田体制の帝国主義政策の先兵、帝国主義者に反抗せず支配者の言いなりになる人間の養成の場とした体制を打倒し、ブルジョアジー教育に於ける砦を破壊し、学生の戦闘的拠点を建設する闘い」へと、闘争を質的に深化していった。バリケードの中で生まれた自主講座は、古田体制の教育を拒否する闘争の象徴であった。

6月15日
 日大文理学部総会で無期限ストを決議。

 学園を私兵体育会系学生、右翼「日大学生会議」から守るため、直ちに1、2号館をバリケード封鎖してストに入った。300人余りが籠城した。

 バリケートには共同で炊事をしてささやかな食事を作る「食糧隊」もあり、女子専用の部屋もあった。ビラ、印刷用謄写版、角材、石塊、ヘルメットなども持ち込まれた。学生たちは床に直に敷いた布団か毛布の上で眠った。

 日大のバリケードの中では、トランペットを吹き鳴らし、ギターを弾いて、フォークソングを歌う学生がいた。

 日大のバリケードは、数次に渡る右翼や体育会の襲撃によって、どんどん強化された。「われわれはバリケードを打ち固め、決意を固めねばならない」。

6月17日
 日大文理学部バリケードで自主カリキュラムを創り、自主講座を開くことを確認。

6月18日
 日大商学部でもストライキに突入。本館を占拠しバリケードを構築した。

 6月19日
 日大本部封鎖が行われ、芸術学部もバリケード・ストに突入。

6月22日
 農獣医学部もストライキに突入。また、文理三島校舎もストライキに入った。

6月24日
 日大大学側は、依然として大衆団交には応じようとせず、この日の記者会見で、19項目の機構改革案なるものを発表。

 理事会で、顧問制など特別の身分・職制の廃止、体育会の改革、経理公開などの刷新案を提示した。全共闘の学生にとっては、自らの責任と理事会の教育方針の破綻を機構の問題に転嫁するもので、古田支配体制の利潤追求第一主義教育方針と、反動と暗黒の恐怖体制の確立を隠蔽するものと受けとめられた。「全理事の総退陣」と「大衆団交」を要求する学生側の姿勢とのあいだのへただりは大きかった。

 その間、理事者側は、約束した団交にかんする予備折衝を一方的にとり消した。学生が執拗に要求する大衆団交は、学園において学生と理事者は同等の立場であり、学園の教育方針など、根本的変革についてとりきめるときは全学生と全理事者が直接的に話しあうことが原則であるとの認識にたったものであった。

 この日、医学部を除くすべての学部がストライキに入った。

6月25日
 日大全共闘は法学部1号館で、6000人の大衆団交拒否抗議集会を開催。

 大衆団交に応じないばかりか、全理事退陣が学生の要求であるにもかかわらず居すわり、なおかつ、闘争を終息させようとする古田理事会にたいして、抗議のデモンストレーションを貫徹し、1号館をバリケード封鎖した。

 一方、全共闘に対抗して既成の学生会組織がでっちあげた6学部自治会は、全学総決起集会をひらき、国会、文部省に請願デモを行っていた。

7月4日
 全学総決起集会。

 11学部すべてから総数1万人の学生が集まり、デモ行進を行う。ジグザグデモ、フランスデモとデモを貫徹し、神田周辺を埋めつくした。

7月20日
 ついに古田が登場して予備接渉が成立。

 その場で8月4日に大衆団交を行うことで誓約書をかわした。

 その後、経済学部のデモ隊が校舎にひきかえそうとしたとき、第一方面機動隊が突然介入し、それに抗議する学生21名が検挙された。この不当検挙にたいする抗議行動をおこし、300余人のデモ隊が神田署に向かいシュプレヒコールを行ったところ、またも機動隊が襲いかかり65名の検挙者がでるにいたった。この不当弾圧による検束者は86名、重軽傷者は50余人にのぼった。

8月1日
 古田理事会は8月4日の大衆団交の無期延期を通告。

8月2日
 大衆団交破棄にたいする抗議集会が行われ、団交獲得に向けて闘うことを確認。

8月4日
 午後1時、大衆団交集会に300余名の学生が集まったが、古田会頭は、ついに現われなかった。

 のち集会はデモへ向かうが、古田は体育会系の暴力団学生を暴圧のためにに送り込むだ。

 このころから、学生の意識にもさらなる深化が現れ始めた。文理学部情宣紙「変革のパトス」は次のように述べている。

「大学における危機、矛盾の根底的解決は学園民主主義の次元での改良闘争ではその糸口が見出せず資本主義社会そのものに対する正面からの闘いにいどまなければならない。」

 古田体制を打倒し、日大の根底的変革をかちとることは、日本における反動的文教政策の重要な一角を切りくずすことであるとの認識に至り始めた。日大当局の危機は同時に、国家教育行政体制の基軸大学の危機であり動揺であった。

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