2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(85)

東大闘争(2)


6月29日
 「安田講堂封鎖実行委員会」が結成され、各学部で学生大会が開かれた。工、法、教育学部が1日ストを決め、農学部と理学部では学生の一部が授業放棄をした。経済学部と教養学部代議員大会では、無期限ストライキが提案されたが、否決された。

7月2日
 時計台を再び占拠、封鎖。

7月5日
 全学共闘会議が結成され、3000名で決起集会を開く。

7月16日
 全共闘、代表者会議で処分撤回、大衆団交、機動隊導入を自己批判せよ、等の七項目要求を確認。

7月23日
 全学助手共闘会議結成。

8月10日
 大学当局は東京大学告示を全学生に郵送。

9月27日
 医学部赤レンガ館を研究者自身の手で自主封鎖。

10月12日
 全学無期限ストに突入。

11月1日
 大河内総長辞任

11月4日
 加藤一郎総長代行に就任。

11月21日
 総合図書館前で全共闘と民青衝突。

11月22日
 「東大・日大闘争勝利全国学生総決起大会」開催。

12月29日
 当局入試中止を決定。

 入試中止決定は、加藤代行と坂田文相との合意であったが、1月15日までに事態収拾の場合は再協議という条件が付されていた。スト解除による正常化をして入試を実施したい大学側は、事態収拾を急いでいた。

1969年1月4日
 加藤総長代行、「非常事態」を宣言。

1月9日
 全共闘と民青が激突。

 「7学部集会」を翌日に控えたこの日、都内9大学の全共闘と各派3000人が「東大闘争・日大闘争勝利全都総決起集会」を開催した。日共系学生も3000人を動員して教育学部と理学部の建物にたてこもった。全共闘は、民青同の根拠地化していた教育学部奪還闘争の挙に出て民青同と激突。激烈な乱闘になった。

 加藤総長代行は、「第一に経済学部で危険な状態にある学生の救出、第二に教育学部で包囲されている学生の救出、およびそれに伴う必要な措置をとるため、警察力の出動を要請する」旨を、警察当局に伝えた。これによって全共闘系の学生のみが51名逮捕された。この時の機動隊導入は、それまでの対大学当局と学生間の抗争に関連しての導入ではなく、学生運動内部の抗争に対してなされたものであるという点が注目される。

 この経過に関して、「日本共産党の65年」で、日共が次の様に対応したことを明確に述べられている。

「東大では、学生、教職員自ら暴力集団の襲撃を阻止し、校舎封鎖を解消する闘いを進め、1月19日日には、7学部代表団と大学当局との交渉を妨害する為に各地から2千人をかき集めて経済学部、教育学部を襲った暴力集団の襲撃を正当防衛権を行使して机やいすのバリケードなどで跳ね返した」
「党は、これらの闘争が正しく進むよう積極的に援助した」

1月10日
 国立秩父宮ラグビー場で「東大7学部学生集会」開催。

 医・文・薬の3学部を除いた7学部、2学科、5院生の学生・院生約8000名という予想以上に多くの学生が参加した。学生側の代表団と東大当局の間で「確認書」が取り交わされた。これは民青同が主導したもので、泥沼化する東大紛争の自主解決の気運を急速に盛り上げていくことになった。

 この集会では、「大学当局は、大学の自治が教授会の自治であるという従来の考え方が誤りであることを認め、学生・院生・職員も、それぞれ固有の権利を持って大学の自治を形成していることを確認する」などが確認された。

 この確認書の内容は、当初全共闘側が目指していたものであるが、全共闘運動はいつの間にかこうした制度改革闘争を放棄し始め、この頃においては「オール・オア・ナッシング」的な政治闘争方針に移行させていた。この時、全共闘約3000名は、「闘争収拾の為の代議員大会粉砕」を掲げて参加を拒否、全都総決起集会を開催した。

 この集会をめぐって、「れんだいこ」さんは次のように論評しているが、同感である。

 この頃全共闘は、民青同ペースの「7学部集会」に反発するばかりで、制度改革闘争を含めた今後の東大闘争に対する戦略-戦術的な位置づけでの大衆的討議を放棄していた観がある。

 なぜかは分からないが、運動の困難に際したときに、決して大衆的討議の経験を持とうとしないというのが新旧左翼の共通項、と私は思っている。この頃より一般学生の遊離が始まったと私はみる。

 それと、全共闘運動がなぜ制度改革闘争を軽視する論理に至ったのかが私には分からない。果たして、我々は戦後人民的闘争で獲得した制度上の獲得物の一つでもあるのだろうか。反対とか粉砕とかは常に聞かされているが、逆攻勢で獲得する闘争になぜ向かわないのだろう。



1月11日
 駒場寮の屋上で行われた教養学部の代議員大会では、ストライキ解除提案が可決された。

1月12日
 6学部のスト解除、封鎖解除等を目指す「全学投票」を寮食堂及び北寮で行う。

 この投票は、民青同と右翼系学生が組織した「防衛隊」の護衛下で行われたが、投票者は極めて少なかった。

1月13日
 投票者は依然と少なかった。防衛隊は投票所防衛の名目で正門から北寮への通りを制圧、第8本館への投石始める。駒場共闘の300名がこれに抗議してデモを行い、防衛隊の阻止線を突破して第8本館前集会を行う。民青同は、一研、5号館を占拠し泊り込む。

1月14日
 夕方から民青同の総攻撃が開始される。駒場共闘200名が第8本館前に結集し、バリケード構築し徹夜集会を行う。

 1月15日
 第8本館前に結集した400名に民青同の武装部隊が襲い掛かり、委員長・今村他数名がリンチされる。防衛隊は1階に入り、電気水道を止める。

 同じ日、全都労学(全共闘系)決起集会開催。
 東大では、安田講堂前に3500人の学生、青年労働者が集まり、「東大闘争勝利・全国学園闘争勝利労学総決起集会」が開かれた。

 東大全共闘は、機動隊が導入されるという情報を得て、法学部研究室、工学部列品館、法文2号館、医学部図書館、安田講堂のバリケードを強化し、資材と食糧を運び込んだ。

 各派から500名が籠城。中核派は法研、ML派は列品館、革マル派は法文2号館というように、各派が主要な建物を一つずつ受け持っていた。

 この頃、山本義隆東大全共闘議長に逮捕状が出た。

1月16日
 東大当局は、依然、占拠を続ける全共闘学生との意見の合致は不可能と判断し警察力の導入を決める。午後1時、加藤代行らは警察へ出向き、警視庁に正式に機動隊の出動要請をした。

1月17日
 全共闘系の学生は、決戦を控えて守備隊を配置した。

 安田講堂には志願者を残し、医学部図書館と法文二号館には医学部と文学部の部隊が入り、教養学部では、第8本館を全共闘駒場部隊が防衛していた。東大全共闘の主力は、その後の闘争の継続に備えて学外にでた。

 安田講堂に、学外からの支援学生が続々と到着する。最後の日に安田講堂に入ってきた東大の学部学生は約40人だった。

1月18日
 午前6時、民青同が教育学部より石などを運び出し、赤門前路上を掃き清めて全員退去。

 この時の民青同の動きが次のように伝えられている。
 機動隊の安田講堂突入の事前情報をつかんだ日共は直接指令を出し、民青同側の鉄パイプ、ゲバ棒1万本を一夜の内に隠匿、処分させた。平井啓之ら教官立会いの元に角材を焼いて、鉄パイプを捨てるというセレモニーを行った。

1月18日~19日
 機動隊8500名出動、安田講堂攻防戦。学生側は各セクトから選ばれた約500名。

 1月18日午前7時頃、機動隊は医学部総合中央館と医学部図書館からバリケードの撤去を開始。投石・火炎瓶などによる学生の抵抗を受けつつ、医学部・工学部・法学部・経済学部等の各学部施設の封鎖を解除し安田講堂を包囲、午後1時頃には安田講堂への本格的な封鎖解除が開始された。

 しかし強固なバリケードと学生の予想以上の抵抗に機動隊は苦戦を強いられ、午後5時40分、警備本部は作業中止を命令。やむなく一旦撤収、放水の続行を残し、その日の攻撃は中止となった。

1月19日
 午前6時30分、封鎖解除再開。この日も学生の激しい抵抗があったが電気ドリル、切断機を使ってバリケードを破り、12時30分には2階まで侵入。2時50分には4階まで制圧した。午後5時46分、屋上で最後まで抵抗していた学生90人を検挙し、激闘は終わった。

 東大安田講堂攻防戦等の学生側の負傷は、火傷109人、打撲87人、裂傷65人、骨折8人、眼球損傷19人。警察官の負傷者は710名。

 逮捕者は全共闘各派の767名(内、東大生38名)。そのうち616名が起訴された。一審では133名が最高懲役4年の実刑判決を受けた。

 なお、この安田攻防戦と呼応するかたちで、神田バリケード解放区闘争が機動隊との間で激しく闘われていた。

 安田講堂に立てこもった学生たちによって続けられていた「時計台放送」の最後のメッセージ。
「我々の闘いは勝利だった。全国の学生、市民、労働者の皆さん、我々の闘いは決して終わったのではなく、我々に代わって闘う同志の諸君が、再び解放講堂から時計台放送を行う日まで、 この放送を中止します」

 学生たちが突きつけた真っ当な要求に、真っ正面から対応できない大学当局の無能さ、あるいは対応しようとしない不誠実さが、東大闘争の解決を機動隊による暴力制圧でするほかなくなった根本的な原因であった。学生たちとまともに対峙した教授たちは数えるほどしかいなかった。機動隊が守ったのは既得権にしがみつき、保身に汲々とする醜悪な顔をさらした教授たちであった。

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こんにちは
寒いのはつらいけど、頑張って下さいね。
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2009/01/23(金) 13:15 | URL | 元塾講師中里によるアフィリで楽しく毎日が給料日 #-[ 編集]
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