2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(82) 学園闘争の発端

 『「独立左翼論」を読む』は連合赤軍派の悲劇を取り上げるところにやってきた。そこに入る前に、ここで少し構成修正をしようと思う。

 当初、このシリーズ「昭和の抵抗権行使運動」では、60年安保闘争を中心に取り上げ、その後の闘争については、個々には詳しく取り上げないつもりだった。

 一昨日(14日)、日本テレビで「東大陥落-40年目の真実」と題したドラマが放送された。どんな扱い方をするのか興味があったので、ビデオに記録しておいた。それを今日見てみた。必敗の闘いをよく闘った学生たちを同情的に描いていた。また、こちらはそのまま額面どおりに受け取ることはできないが、機動隊側にも、指揮官が学生の身の安全を配慮したり将来を案じたりするなど、好意的であった。一方それらに対して、ほんのわずかであったが、大学教授たちの無能ぶりと破廉恥ぶりが描かれていた。

 このビデオを見て、1968年~1970年の学園闘争を改めて振り返っておきたいと思った。それはまた、連合赤軍が生まれる背景を知ることにもなるので、ちょっと横道に入ることにした。

 さて、この時期の闘争の特徴をよく現している言葉はノンセクト・ラディカルであろう。活動家集団がいくつもの党派に分かれて主導権争いをいている中、党派とは一線を画したノンセクト・ラディカルが急速に台頭してきた。このノンセクト・ラディカルを主勢力として反代々木系セクトが提携し、全共闘運動および反戦青年委員会運動が展開されていった。

 ノンセクト・ラディカルの台頭の背景は、いわゆる「団塊の世代」である。「団塊の世代」はちょうどこの時期大挙して大学生になり、世界的にもベビーブーマー世代の叛乱として共時的なブームを生み出しつつあった。新左翼の学生運動の創成期に言われた「層としての学生」にマスが加わって、新しい形の全共闘運動を創出していくことになった。

 折しも1968年は、泥沼化していたベトナム戦争が解放戦線側有利のまま最終局面を向かえてますます激化していた。そのベトナム戦争の動向が学生運動にも反映していた。ベトナム戦争の犯罪性とそれへの日本政府の荷担に対して、青年期特有の正義感が彷彿としてわき上がっていた。ベトナム戦争反対の民衆の闘いは全世界に広がっていた。このことも、この時期の学生運動を特徴づけている背景の一つである。

 この年初めの時期の世界の民衆の闘いを拾い出してみる。

3月3日
 ロンドン、口ーマ、西ベルリンなど世界各地で反米デモ。

3月4日
 ブリュッセルで2万人の反米デモ。

3月17日
 ロンドンで1万数千人、ニュルンベルグで3千人の反戦デモ。
 ロンドンの集会では、8千人がアメリカ大使館へデモを行って警官隊と衝突。負傷者百余名を出す流血の事態となった。逮捕者は300人に達した。

3月23日
 ニューヨークで3千人、パリでは5千人以上、西ベルリンで8百人、ローマで1千人のデモ。

4月4日
 アメリカ黒人解放運動の指導者・マーチン・ルーサー・キング牧師がテネシー州メンフィスのモーテルのバルコニーで射殺される(享年39歳)。全米各地で黒人暴動続発。米コロンビア大学封鎖される。

5月
 フランス「5月革命」はじまる。
 3月に始まったソルボンヌ大学のナンテール分校の学生改革要求の大学占拠闘争は、ナチス以来のソルボンヌ大学封鎖となった。学生は、カルチェ・ラタンにバリケードをつくって警官隊と対峙した。この要塞化したバリケードをめぐる学生と警官との衝突は激しいものとなった。これに抗議する学生と労働者の運動は、反ドゴールのゼネストにまで発展した。これは6月まで続き、結局、ドゴールに鎮圧された。

 アメリカでは、ベトナム反戦を主張するSDS(民主主義社会のための学生連合)の学生が、コロンビア大学で大学占拠闘争をはじめた。これは《いちご白書》として報告され有名になったが、これを契機に、全米に学園闘争が広がっていった。

 大学封鎖闘争が世界的な現象になっていたのだ。アメリカでは黒人運動が学生運動、ベトナム反戦運動、女性解放運動などと連動して、アメリカ社会に大きなインパクトをあたえていた。

 さて日本では、1月に医学部から発生した東大闘争が次第に全学部へ広がりを見せていった。それに呼応するかのように、日大闘争も勃発し、この東大・日大闘争の経過が全国の学園闘争に波及していった。

1月13日
 中央大学昼間部自治会が学費値上げ阻止闘争の全学ストに突入する。

1月19日
 東大医局長缶詰め事件。

1月19日
 東京医科歯科大学で、「登録医制度反対」を掲げて、全学無期限ストライキに入る。

1月26日
 日大理工学部の小野竹之助教授の5千万円の裏口入学斡旋謝礼金の着服事件発覚。
 さらに、東京国税局の調査により、日本大学に20億円に上る使途不明金があることが発覚した。
 日大はこれまで、古田重二良会頭のもとで営利第一主義的経営に勤しんでいた。学生数10万人の日本一のマンモス大学となっており、いわゆるマスプロ教育を推し進めていた。これが日大闘争の発端となった。

1月27日
 東大医学部医学科が全学学生大会を開き、5世代(医学部1年生から4年生までと卒業生の青医連)全体が参加し、賛成229、反対28、保留28、棄権1で、無期限ストライキを決定。

1月29日
 東京大学医学部で研修医(インターン)の無権利状態に反対し民主化を求める改善闘争の過程で為された不当処分を契機に、医学部学生自治会が無期限ストライキに突入。

 こうして、東大闘争は医学部の闘争からはじまった。発端は、東大医学部自治会と42青医連(42年度卒業の青年医師連合)が、医学部教授会および病院側にたいし、インターン制にかわる登録医制度反対の意思表示を求めたことであった。

スポンサーサイト
 コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
 トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/1191-24225bc6
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック