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昭和の抵抗権行使運動(75)

『独立左翼論』を読む(11)


 連載「独立左翼論」の最終回(第7回)から読み始めて、第1回に戻り、第2回と読み進めてきた。第3回の内容は「行動とは何か」をテーマに、三島由紀夫と新左翼との関わりと相違を論じている。いわば一つの「三島由紀夫論」となっている。私は三島由紀夫については、何編かの小説を読んでいるだけなので、今このテーマに深入りすることは憚られる。いずれ稿を改めて取り上げることにして、今は先に進みたい。

 さて、独立左翼的な思想と運動は、70年安保においてどのような命運にあったのだろうか。まず、60年代末の年表を再録しておこう。

1967年
1・20 明大学費値上げ大衆団交
1・22 高崎経大、不正入学反対バリスト突入
3・2 善隣会館事件
7・9 ベトナム反戦・砂川基地拡張阻止大集会
10・8 佐藤訪べ卜阻止羽田現地闘争。羽田で三派と機動隊激突、山崎博昭虐殺。街頭実力闘争の高揚へ
10・17 虐殺抗議山崎君追悼中央葬
10・21 ベトナム反戦統一行動
11・12 第二次羽田闘争

1968年
1・15 佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争。一週間現地で激闘
2・16 中大学費値上げ闘争、白紙撤回で勝利
3・10 三里塚闘争。機動隊と衝突
3・28 王子野戦病院反対闘争。基地突入
4・3 マル戦派、ブントから分裂
4・26 国際反戦統一行動
5・31 日大闘争、三万人大衆団交要求デモ
6・15 6・15記念首都総決起集会。中核派と革マル派衝突。
6・17 機動隊、安田講堂占拠の学生排除、全学ストへ。東大―日大闘争激化
6・26 米タン阻止新宿闘争
7・14 中核派全学連結成。三派全学連分裂
7・19 反帝全学連大会で社学同と解放・ML派衝突
9・30 日大全共闘、両国講堂で大衆団交
10・8 羽田闘争一周年集会。米タン阻止闘争
10・21 国際反戦デー。新宿、防衛庁、国会等でデモ、機動隊と激突。騒乱罪適用

1969年
1・9 東大全共闘、教育学部奪還闘争。民青と衝突
1・18 安田攻防戦。二日間にわたって激闘、神田でも解放区闘争。全国学園闘争の爆発
4・28 沖縄闘争。銀座、お茶の水、新橋で機動隊と衝突。中核、ブントに破防法
6・8 アスパック粉砕闘争
7・10 大学立法粉砕闘争
8・17 広島大死守闘争
9・3 早大死守闘争
9・5 全国全共闘結成大会。日比谷野音に三万人結集。赤軍派登場
9・20 京大時計台死守、街頭バリケード戦
10・10 安保粉砕・佐藤訪米阻止十万人集会
10・21 国際反戦デー。新宿、高田馬場で機動隊と激突。1500名逮捕
11・5 赤軍派、大菩薩峠事件
11・16 佐藤訪米阻止、11月決戦。品川、蒲田で機動隊と激突。2000名逮捕

1970年
3・31 赤軍派、よど号ハイジャック
4・28 沖縄デー。各地でデモ
6・14 全国全共闘、反安保集会
7・7 蘆溝橋事件33周年記念.華青闘、新左翼批判、入管闘争に問題提起
8・4 海老原事件。革マル派、中核派に報復宣言
9・30 三里塚、立入調査で公団側と激闘
10・8 羽田闘争三周年。入管闘争
10・21 国際反戦デー。各地で集会、デモ
12・18 京浜安保共闘、板橋で交番襲撃
12・20 沖繩・コザ市で暴動。騒乱罪適用

 三上さんは60年代末の新左翼運動の情勢を次のように分析している。

 1969年から1970年にかけての、いわゆる全共闘運動は新左翼運動の大きな転換点であった。1969年1月の東大安田講堂の攻防戦を頂点として全共闘運動は後退局面に入っていた。

 新左翼の政治闘争も同じ状況にあった。1968年の10月の反戦闘争で1960年代の新左翼の運動は頂点を迎え、それ以降は後退局面にあった。沖縄闘争を経て、「1970年安保決戦へ」という政治的な掛け声は声高くあがっていたが、闘争は実質的にはピークを過ぎていた。

 東大安田講堂での攻防戦の後、全共闘運動は京大など関西に引き継がれて行った。そして大学臨時措置法に対する闘争を契機に全国化もしていた。また、沖縄闘争は現地を中心にして盛り上がっていた。フォークゲリラのようないろんな領域へ闘争は広がりつつあった。しかし、闘争はその外観や掛け声とは別に内部的な空洞化を進行させていた。

 しかし、当時「こういう状況を正確に認識し、闘争を展開することは難しいことだった。」という。その困難さの理由を、三上さんは次のように分析している。

 それは一言で言ってしまえば、僕らの政治言語の構造にあった。政治行動はどういう構造として成立するかと言えば、それは共同意識(幻想)の表現としてある。その場合に先に僕が外側の言葉と呼んだ共同幻想(意識・言葉)を必要とする。この外側の言葉は国家の言葉であれ、政治党派の言葉であれ、個々人の政治理念や思想として表現されたものであれ、大きく制度的言葉として個々人の外にあるものだ。

 文学作品が表現として現れれば、作者にとってすら第三者的存在のように一人歩きするものであることを想像してくれるとよい。この言葉によって、政治行動は対他性を獲得する。同時に対他的であることによって対自的なものにもなる。他者との関係の中で、自己(自己意識)という存在を確保するのである。共同幻想的な存在となる。

 これに対して、もう一つ政治的な表現には僕か先のところで内側の言葉と言ったものがある。これは共同意識(言葉)であるが、表出意識、あるいは実践的意識と呼んだもので、個々人の内在的な意識としてある。

 この実践的意識は個々人の内在的な意識としてあるから、個別的にある。個々人の内側にある言葉(意識)としてあるが、その集合や総和が共同意識をなす。この言葉は対自的である。対自的である表出性を獲得する。そして対自的であることで対他性を獲得する。幻想が身体化することで、誰でもそうであるような他者性を得る。これは自己意識の深まりが他者性を得ていくことである。

 この共同意識は自己の表出意識(実践意識)を内観することによって掌握することができる。それは推察したり、想像したりすることで理解することができる。

 マルクス主義の政治言語は、この言語の二重性を構造として認識する方法を持たないために、表出(実践的意識)をよく了解できない。

 政治表現は制度的言葉(外側の言葉)で認識することができる。なぜなら、政治表現は制度的言葉の連続性として現象すると考えられるからだ。これに対して、政治表現は個々人の表出意識(実践的意識)の発語という側面があるが、これは個々人の意識の総和としてあり、想像力でとらえるしかない。



 制度的言葉(外側の言葉)と個々人の表出意識(実践的意識)の発語(内側の言葉)という言語の二重性を良く認識し得ているかどうかが、組織や運動のあり方を大きく左右する要とある。そこが組織や運動が独立左翼的なものになるか否かの分岐点となる。

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