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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(72)

『独立左翼論』を読む(8)


 60年安保闘争について、当時の既成左翼は、それをアメリカの帝国主義的支配から脱却するという反米愛国闘争と認識していた。アメリカの帝国主義侵略反対と民族的独立を掲げた。左翼ナショナリズムと言えよう。

 これに対して、保守派の安保推進論はソ連や中国の脅威(共産主義の侵略の脅威)を理由としていた。アメリカの戦略に沿って、共産主義の侵略からの民族的防衛を掲げていた。

 つまりは、安保改定の反対論も推進論も、米ソの世界的対立 ― 資本主義と社会主義の対立 ― という戦後の思想的枠組みを絶対視する中でのみ思考されていた。そしてどちらも、安保問題を民族(国民)的な課題としていた。

 しかし、どちらの掲げる民族(国民)的課題も、国民の意向とも意志とも異なっていた。それらは支配共同体の内部での保守と左翼の対立であり、彼らの提示する国民像は、現実の国民の存在とは関係がなかった。

 ブントの60年安保闘争における歴史的意義の一つは、保守も左翼もが取り込まれていた戦後世界の米ソ支配という思想的枠組みに亀裂を入れたことである。ブントは安保改定を復活した日本資本主義の国家的意志とみなし、それとの闘争を宣言していた。それを通して米ソの世界支配との闘争を宣言していた。どちらの体制を選択するかではなく、日本資本主義の政治意志との独自の闘いをやり、そして米ソの世界支配の枠組みを超えることを志向していた。ブントは保守と左翼という日本の支配的な思想と、その背後の米ソの世界的思想の双方に異議をとなえたのだった。そして、そのブントの思想と行動は、戦後の大衆のナショナルな感情(国民の意志)につながっており、大きな可能性を孕んでいた。

 以上のことは、戦後における支配共同体内の戦争観と大衆の戦争観の違いを通して、はっきりと見ることができる。

 保守も左翼も米ソの対立の枠組みの中で思考し、それぞれアメリカあるいはソ連による戦争は「良い戦争」「正義の戦争」とみなした。しかし、戦後大衆にとっては戦争は全て悪であった。このような戦争観の違いは今なお変わらない。このことについて、三上さんは次のように詳論している。

 日本国民にとって敗戦から戦後にかけて一番大きな思想問題は政治的には戦争の処理であり、社会的には生活の再建だった。

 日本の大衆は敗戦後、敗戦の責任を追及し、国家の組み替えに向かうことで天皇制を処理しなかった。天皇制を護持するにせよ、廃止するにせよ自らの力を行使しなかった。むしろ支配共同体に背を向ける形の対応をした。これは戦後史の謎とでも言うべきことだが、この過程で一番大きな問題は大衆の戦争観の問題であった。

 太平洋戦争にいたる過程で日本の大衆は戦争を「聖戦」として推進した。この力が戦争を根底で支えたことは論をまたない。この大衆の戦争観は戦後「非行・蛮行」に変わった。「聖戦」は「非行・蛮行」へと変わった。

 戦争観のこの変貌は、戦後と戦前を分かつ最大の政治的出来事であるが、日本のナショナリストはこれを日本が敗戦の結果、アメリカやソ連の世界思想に屈したためであるという。僕はこの戦争観の「聖戦」から「非行・蛮行」への転換には二つのレベルがあると考えてきた。

 その一つは戦後の支配層であり、支配共同体の周辺の人々の転換である。これは保守思想から左翼思想を含むのであるが、戦後の支配共同体の戦争観の転換である。これに対してもう一つは大衆の戦争観の変化である。そして、この二つのレベルは同じではない。

 支配共同体の内部や周辺にある人たちの戦争観はアメリカやソ連という世界支配の思想的枠組みの中にあるから、その戦争観は制約されたものであった。そしてソ連やアメリカの政治戦略の変化にそって変わった。かつて日本の演じた戦争はファシズムによる戦争として否定されるという共通性を持つが、保守思想に取ってはアメリカの戦争は「良き戦争」であり、左翼にとってはソ連や中国の戦争は「良き戦争」であった。 つまり、戦争には「義のある戦争」と「義なき戦争」とがあるというわけである。義の対象が「日本」から「アメリカ」や「ソ連」に変化したのである。

 これに対して日本の大衆の戦争観の転換は「戦争には義のある戦争と義のない戦争がある」という戦争観ではなく、あらゆる戦争は「非行・蛮行」であるというものだった。第二次世界大戦で日本の演じた戦争が非行なら、アメリカの戦争もソ連の戦争も非行であるというものだった。ソ連満州参戦も非行であれば、アメリカの原爆投下や焦土作戦も非行とするものであった。

 この二つのレベルの戦争観の転換は明らかに異なるものである。日本の支配層がアメリカの意向によって「良き戦争」のための再軍備を進めようとしたとき、戦後の大衆の戦争観はその拒否の力として働いた。ソ連や中国が自国の戦争は「良き戦争」として原爆実験を強行し、それを左翼が支持したとき、大衆は失望し冷笑を浴びせた。

 1960年の安保問題が、米ソの対立の中で露呈する軍事的緊張の問題であったとすれば、どちらにも異議をとなえたブントが支持された背後にはあらゆる戦争を「非行・蛮行」とする意識的な基盤が存在した。これは支配共同体(国家)が与える《国民》思想ではなく、支配共同体の外部に存在する大衆的(国民的)思想であった。支配共同体から降りてくるナショナリズムではなく、それとは別の次元に存在したナショナルな思想だった。

 ブントには大衆的な思想基盤への直観的な洞察はあったかもしれない。しかし、それを思想として自覚的に取り込む能力はなかった。無意識に戦後大衆の戦争観を代表しえたかもしれないが、それを繰り込むことで自己思想をつくり変えることはできなかった。世界思想として流通していた世界観や歴史観をこのナショナルな思想によって書き換えるまでの力はなかった。例えば、現在の、そして歴史的な戦争観を根底から書き換える基盤はあり、その契機は存在した。戦争と平和と革命についてこれまで存在してきた思想を根底から変える機会はあったが、ブントはそこに視座を延ばすことはできなかった。



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