2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(66)

『独立左翼論』を読む(2)


 60年安保闘争を「壮大なゼロ」と揶揄する言説がある。一方、「戦後左派運動の金の卵」と、ブントが体現した思想・行動の可能性を称揚する言説もある。もちろん私(たち)は後者の立場を採る。

 ブントが解体した後、ブントを後継する立ち位置にあった全学連主流派は、60年安保闘争の総括をめぐって求心力を失い、分裂していった。その原因は、運動を根底で支えていた理論の未成熟に求められるだろう。

「それは・・・行動を急進主義的に為しえたとしてもそれを支える理論が貧困であれば、真に情況を切り開くことにはならないことを物語っている。但し、理論化は断じて思弁化では無い。時の無産階級に自信と励みと自覚を与え、更なる高次的運動へ導くようなものとして生み出されねばならない。」(れんだいこ「第一次ブント論」)

 後継者たちは、ブントの更なるブント化を目指すべきであった。つまり、ブントの独立左翼的萌芽を析出し、発展させる理論的営為こそが必要とされていた。私は、そうした営為の一つの成果として、『独立左翼論』を読んでいる。

 それでは、ブントが体現した独立左翼的萌芽とはなんだったのだろうか。第4回『「独立左翼」とは何か』で検討したことと重複するが、改めて、『独立左翼論7』から引用しておこう。

 僕は独立左翼の起源的位置をもつと目しているブントや全学連が表現しようとしたことは二つあつた。あれから既に40年が過ぎているが、それはまだ色あせてはいないと思える。

 その一つは現在の世界を代表する普遍としての《「社会主義」と「自由主義」》の二つに異議を立てたことである。

 第二次世界大戦を対ファシズム戦争として勝利した「社会主義」と「自由主義」は、世界の普遍性をめぐって争っていた。そして、敗戦国日本ではどちらの側を選択するかにしか、世界の未来の思想はないと信じられていた。そのどちらにも異議を唱えたブントは、この世界的な思想の枠組みをはじめて否定した。それは今でこそ常識になっていることでも、当時は狂気の沙汰のように思われていた。

 今やその「社会主義」は消え失せ、対抗的力であったアメリカ主導の「自由主義」が勝利したように見える。しかし、「自由主義」(アメリカのリベラルデモクラシー)は一人勝ちの背後で、多くの異議申し立てに囲まれている。リベラルデモクラシーの陣営にあるフランスやドイツからのアメリカへの異議申し立てすら登場している。かつて米ソの冷戦構造後の世界がどうなるのかは未知の領域に属していたように、アメリカの一人勝ち後の世界も未知ではある。だが、アメリカの一人勝ちの状況が永続的に続くと信じる連中を除けば、世界はその思想的な枠組みの変化に直面する。

 かつてブントが提起した戦後に支配的だった世界観や世界像への異議申し立ては大きな課題として出てくると思える。リベラルデモクラシーが過渡的には普遍性を代表するだろうが、それへの異議申し立てを通して世界観や歴史観を書き換えていく動きが大きく出てくると思う。

 日米同盟と言いながらアメリカの思想的枠に呪縛されてきた日本が、アジアを対象にして新しい関係を考えなければならなくなれば、このことは大きな課題として浮上するだろう。冷戦下の思考から自由になり得ていない矛盾が出てくるとき、ブントの提起したものはよみがえる、と思う。



 この文章は数年前に書かれたものだが、まさに今、大規模な金融破綻をきっかけに、アメリカの一極支配は終わりを告げようとしている。そして日本は、アメリカの属国状態から脱却して、「アジアを対象にして新しい関係を考えなければならな」い課題に直面している。しかし、日本の政治家・官僚たちは、そうした歴史的兆候に全く鈍感のようだ。

 ブントが提起したもう一つの問題は運動を運動として展開するということであった。それは運動の自立性を提起したのである。やさしく言えば「何かに利用するための運動」を否定したということである。

 党勢を拡大すること、組織強化のために運動を利用することを否定した。党勢の拡大が前衛組織を含む政党の強化のためであれ、選挙のためであれ、そこに目的があるという考えを拒否したのだ。

 これは単純なことに見えるかもしれないが、その後の政治的なものの思考に重要な影響を与えたのである。

(中略)

 構成されたもの、即ち制度的言葉に根拠を置き、構成する力への視線や理解を欠く傾向を《官僚主義》とよぶ。それが支配的なものとして閉じられていく傾向を官僚的という。左翼運動もまたこの官僚主義と呼ばれる日本的な病に侵されてきた。

 ブントは運動の自立性ということで構成する力の復権を提起したのである。この運動についてブントの提起したものは現在でも、政治的思考として生きているし、いろいろの領域での官僚主義との闘いの経験的な基盤になっている。組織至上主義と官僚主義が日本的停滞の根拠となっているとき、この運動の自立という思考はそれを打ち破る可能性として生きている。



 60安保闘争を起源にした独立左翼的運動は、1970年代の半ばころまでは、全共闘運動などとして継承されてきた。しかし今、そのような運動や闘争はほとんどどこにも存在しないように思える。60安保闘争が「壮大なゼロ」と呼ばれるゆえんである。

 けれども、政治的思考様式や政治的なものについての意識としては、その影響は強くあると考えられる。政治的な表出の意識、共同的な意志の基盤としてそれは広く存在している。例えば、選挙における無党派層の存在や動きはその影響を考慮しなければ理解できないものだ。彼らの行動様式はその影響を有形無形のうちにこうむつている。

 それらは、今は政治的な表現の契機を欠いているから、現象的には雲散霧消のようになっているだけで、何らかの契機があれば大きく出てくると思える。


 1960年代から1970年代の抵抗権行使行動を振り返ることには大きな意義がある。

 抵抗権行使行動のさしあたっての目標は 「国家を開く」 ことにあるだろう。そして「国家や権力を開くというとき、その対象が重層的であれば、こちらの戦略も重層的でなければならないということ」が、過去の運動や闘争を総括することのよって明らかになるだろうし、その方法は「包括的な政治戦略を可能にするはずである。」

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