2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(63)

「死者の視野にあるもの」(4)


日本の最良の子どもたち
 樺美智子から中村克己にまでいたる、反戦運動やその派生的運動における犠牲者たちの、10年におよぶ死の経緯は、このように、限りもなく堕落しつづける日本の精神の暗黒を啓示している。

しかも、はじめは人々に悼まれた死は、10年の経過のうちに、いつしか、そっぽむかれ、無視され、忘却され、ついには、その死すらはじめからなかったものとされるようになってしまっている。

 魯迅は民国15年、段棋瑞政府の軟弱外交に抗議するデモ隊が銃撃され、彼の教え児を含む学生たちが殺された時、「わたしはただ、いま住んでいる場所が人間の世でないことを感じるだけだ」と書いた。手痛い錯誤を25年前に悔悟したはずの私たちもまた、現在同じ歎きを歎かねばならないのだろうか。

 共同執筆によってなるこの書物(『明日への葬列』)にしるされている反戦運動の途上の死者たちを、魯迅が哀誄(あいるい・・下の注参照)した劉和珍や柔石を直接知っていたようには、私は直接知りあっていたわけではない。またすべての場合に、同じ思想上の戦列に属していたわけでもない。

 ある人がおそらく叫び声すらあげえずその最後の視覚に機動隊の泥靴をとらえている時、私は古都の会議室で真摯なものではあったろうが、恵まれた文学の共同研究に耽っており、またある人の絶命の瞬間、顔をあわせればあるいは友人にはなれたかもしれぬ志向の近接性はありながらも私は病み呆けて病床に横たわっていた。

 直接知りあっていたわけでもなく、また中国の哭人のように、死とその儀式を彩るつもりもない。しかしながら、たとえいささかは汚濁しようとも、価値も反価値も、存在と、存在を前提とするなんらかの労作からしか生み出されないことを知っている者として、これら道半ばに斃れた人々の無念さを思わずにはいられない。

 これらの人々は、ある評者が既に言ったように、「日本の最良の息子」たちであり、最良の娘たちであり、最良の隣人であると私も思う。それは、特別にこの人たちが、ぬきんでて意思強固であり、秀才であり、烈士であるという意味ではない。

 簡単ながらも要を得ている伝記によって知れるように、この人たちは、それぞれの場で実に真摯に自己を追究した人たちであり、正当な意見とともに、自分の弱点やためらいをも決して隠さなかった素直な人たちだった。



(管理人注:この言葉には初めてであった。『広辞苑』はじめ最近出版のどの辞書でも見つけられなかった。最近あまり使っていない古い漢和辞典『新修漢和大字典(博友社 1955年第5版)』も調べたら、あった。「死者を悲しみ嘆いて、生前の功績をほめる文章」の意)


所美都子さん、
奥浩平さん、
和井田史朗さんの死
 東大の新聞研究所の研究生であり、学業と新たな反戦運動に60年安保の挫折感を克服しようとしながら過労でたおれた所美都子は、もともと自然科学を学んでいたのに何故方向を転じたのかと問われると、
「あと何年生きられるかわからないとしたら、あなたでも、やっぱり人間性そのものを追究する学問をやりたいと思うでしよう」
と言っていたという。

 あるいはまた、65年2月17日、椎名外相の訪韓阻止闘争で、機動隊の警棒に鼻硬骨をくだかれ、退院後服毒自殺した横浜市大生奥浩平は、その日記の一節に次のように書いている。
「ぼくは一人のばかばかしい人間だ。病床の中でねむれない夜に向かって叫ぶ言葉もなく、涙でなぐさめ、いつしかとろとろまどろんでゆく何者でもない人間だ。体制か反体制か、そんなことはおれにはどういっていいかもわからないし、ぼくに幸福と不安を与えていった女の人をどう評価していいのかもわからないありさまだ」と。

 彼が自殺した時、一本のカーネーションを握りしめていたというが、彼の父はその花が好きで、常に息子に向かって
「オレより先に死なないことが親孝行だ。死んだら棺にカーネーションで一杯にしてくれ」
と言いきかせていたのだったという。

 また66年6月22日、日韓条約反対闘争で逮捕されて負傷し、その後、その負傷が契機になって骨肉腫が発生、右足を切断、翌年に死亡した日大生和井田史朗は、その死の年、友人にあてた年賀状に、「天に星。地に花。人に愛」と武者小路実篤の文章を引用し、つづけて「タヨルノデハナク、タヨラレルべキハ母」と書いていたという。

 これ以上の拙い引用は蛇足にすぎず、読者には本文を読んでいただくとして、しかし、この僅かな会話や文章を通じてすら、死者たちがいかに謙虚であり自分自身に誠実であったかが推測できる。

 天才や偉人、闘士や烈女であったからではなく、まっとうな一個の人間であり、かつあろうとしていたからこそ、この人々は惜しまれる。また、まっとうな人々を圧殺するものであるゆえにこそ、直接、間接の圧殺者たちは糾弾しつづけられねばならない。



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2012/08/10(金) 09:01:03 | 恋愛コラムリーダー ~Love Column Reader~