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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
492 ロシア革命の真相(9)
第三革命:「クロンシュタットの蜂起」(2)
2006年5月5日(金)


1921年2月
 内戦が終結に向かっていた。長い間苦しんできた民衆は、ポルシェヴィキが戦時を理由に行ってきた圧迫と威嚇をやめて、国内の経済的再建に尽くすことを期待していた。労働者たちもまたその荒廃した土地を再建するために熱心に相協力して、精力的な努力を尽さうとしていた。
 しかし、ポルシェヴィキは相変わらずその圧迫と威嚇と軍国化との政策を続けた。ポルシェヴィキは革命を救ふことよりもその政権を維持する事に腐心していた。ポルシェヴィキの農民や労働者に対する中央集権的政策と官僚的態度が、国民を困窮と疾苦との極に至らしめた最大の要因であった。
 ペトログラドの労働者等が、先づ第一に声を上げた。
 ペトログラドの多くの工場と製造場とは閉塞され、労働者は文字通りに餓え死せんばかりの状況だった。ペトログラドの労働者は、此の状況について相談しようとして集会を催した。だがその集合はポルシェヴィキ政府によって禁止された。その政府の方策は労働者の強い反発を呼び起こした。さらに多くの集会が催されたが、皆な同じ結果に終った。
 ポルシェヴィキは世界の資本主義とはあらゆる妥協をしたが、自国のプロレタリアには何の譲歩をもしなかったのだ。

2月24日
 労働者たちは起ち上がった。ストライキが宣言され、多くの地区でストライキが行われた。
 これに対して政府は、労働者等と話し合いをする代わりに『ペトログラドで一番憎まれてゐる男のズイノビエフ』を委員長とする「防禦委員会」を組織し、労働者たちの鎮圧を謀った。
 同じ日の朝、ポルシェヴィキは士官学校の学生等を派遣して、ベトログラドの労働者街・ヴァシレフスキイ・オストロフの労働着たちを逐ひ散らした。

2月25日
 ヴァシレフスキイ・オストロフの労働者たちは、海軍工廠やガレルナアのドックを訪問して、政府の残虐な圧迫に対してともに抗議するよう、そこの労働者に訴えた。そして行はれた労働者たちのデモは、武装した兵隊によって解散された。

2月26日
 ペトログラド・ソヴィエトの会合で、防禦委員会のー員であり又共和国革命軍隊ソヴィエトの一員であるラシエヰッチは、ストライキ参加者等を犯罪者呼ばわりして、トルボチユニイ工場の閉鎖を提議した。ペトログラド・ソヴィエトの執行委員(ズイノピエフ等)は此の提案を容れ、労働者たちは工場から締出され、その糧道を断たれた。文字通りに餓え死にすべく街頭に投り出されたのだ。

 このような政府の専制的対応が労働者を激せしめて政府に反抗させた。その間に政府は、諸方の多数の軍隊やその最も信頼する戦線の共産党軍をベトログラドに集中した。労働者たちの正当な要求を武力で圧しつぶしてしまったのだった。

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 今これを書きながら私は、4月30日に渋谷で起こった小さなデモに対する大きな弾圧のことを思い重ねています。これをマスコミは全く報道していません。私は一昨日[anti-hkm]MLで初めて知りました。それを転載します。


 4月30日午後、東京・原宿の神宮前穏田区民会館にて百余名が参集し、昨年に引き続いて「自由と生存のためのメーデー06」を開催しました。集会は、フリーターなどプレカリアート(不安定な雇用を強いられしものたち)、社会的に差別、選別、排除されしものたちの訴えを集めました。

「自由と生存のためのメーデー06」http://www.geocities.jp/precari5/

 しかし、私たちの訴えを踏みにじるように、集会後のデモで3名不当逮捕の異様な弾圧がなされました。
 今回の弾圧は、ただ単にサウンドデモを暴力的につぶす狙いにかぎらず、立川反戦ビラまき・あいつぐポスティングにたいする弾圧に続き、街頭における示威行動、表現の自由や権利全般をさらに激しく規制していく意図を示すものです。
 生きるとは、自らの考えや意見を表明し、意思表示していくことです。その意味で今回の弾圧は、生きることを貶め、人々の生存権を蹂躙し、実に息苦しい世の中へと歪めていくものです。
 メーデー弾圧を許さない、広範な声を集めましょう。

★デモ申請時と矛盾する不当な逮捕、トラックの強奪
 午後5時、会場からデモに出発する前に、警察は先頭のサウンドカーの「アンプを操作したら逮捕する」などと恫喝を加え、デモの出発そのものを阻みました。もともと事前のデモ申請時においては、原宿警察は主催者側に対して、デモ時に音楽を流すことや、先導のトラックにDJや機材固定の補助者などが乗ることを認めていました。しかし、公安・私服警察と機動隊は、デモ申請時の事実を反故にして、最初から逮捕を露骨に狙ってきたのです。
 5時半ごろ、デモ出発時からたった数百メートルの時点で、警察・機動隊はデモ参加者に殴る・蹴るの暴行をはたらき、トラックの荷台に乱入し、DJを引きずり下ろして、道路交通法違反の容疑で逮捕したのです。この時、警察・機動隊の乱暴狼藉を止めさせ、DJを守ろうとした参加者1名に頭部負傷の暴行を加え、原宿署が公務執行妨害の容疑で逮捕しました。
 また、機動隊がサウンドカーを取り囲み、むりやりトラックを強奪しました。

★バルーンの強奪と不当逮捕
 さらに午後6時過ぎに、デモ隊が渋谷ハチ公前交差点を過ぎようとしたときのことです。MAYDAYの垂れ幕をたらした赤いバルーンが風に流されて水平近くになった時点で、公安警察が後方にヒモを引きちぎり、バルーンを強奪しました。
 このとき、バルーンを取り戻そうとしたデモ参加者が、最後尾で推進規制をかけ続ける機動隊の盾の向こう側へと奪われ、一瞬で盾がとじられ、暴行され、渋谷署によって逮捕されました。

★原宿署も渋谷署も差し入れすら拒否
 デモ終了後、デモ参加者は、3名の不当逮捕にたいする救援活動を開始し、仲間が勾留されている原宿署ついで渋谷署に抗議・激励のため向かいました。ところが、これまでにないこととして、警察署は何の法的根拠もないまま生活必需品の差し入れすら拒否する人権無視を押し通したのです。

★救援運動への広範なご支援を
 救援運動によって、5月1日午後、警察に強奪されていたサウンドカーやDJ機材を取り戻すことができ、また2日には1名を奪い返すことができました。しかし、2名は不当にも勾留が決定され、依然として身柄を拘束されています。暴虐な弾圧にたいし、ぜひ抗議声明をあげて下さい。メーデー救援会の活動へのご支援よろしくお願いします。

2006年5月2日(火) メーデー救援会(http://mayday2006.jugem.jp/)



 掲示板「メールの輪」に抗議声明文を転載しておきます。
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