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昭和の抵抗権行使運動(59)

60年安保闘争後の新左翼の動向


 「60年安保闘争の評価」というテーマの最後の話題として、三上治さんの『独立左翼論』を読もうと考えている。この論考は、60年安保闘争以後の新左翼の運動をも視野に置いたものなので、その学習に入る前に、60安保闘争以後の新左翼運動を概観しておこう。(以下。れんだいこさんの「戦後学生運動論」による。)

 60年安保闘争で展開された運動と、その運動を主導した思想は、全共闘運動などとして、70年代半ばまで継承さていった。

 まず、これまで見てきた、第一次ブントの誕生から60年安保闘争までの期間の独立左翼の動向は、次のようにまとめられよう。

1958年~60年前半
 既成左翼(日共)と袂を分かった第一次ブントであるが、当初は革共同との寄り合い世帯であった。それが60年安保闘争へ向けて純化し、その闘争を主導する役割を担い、岸政権打倒へと追い込むだ。この間、革共同は関西派(西派)と全国委派(黒寛派)に分裂したが、全国委派が次第に勢力を増していった。

 そして、それ以後については・・・

1960年後半~64年
 第一次ブントは60年安保闘争の総括をめぐって分裂する。やがて、その多くが革共同全国委派に吸収されていった。そして、第一次ブントを吸収した革共同全国委が全学連の執行部を掌握することになる。

 この間、社会党の社青同が誕生し、日共系から構造改革派が造反し、第一次ブント再建派と三派同盟を立ち上げた。

 また日共は、民青同系全学連を立ち上げる。

 この局面で、革共同全国委が革マル派(黒寛派)と中核派(本多派)に分裂し、全学連主流は革マル派に引き継がれた。

 一方、三派同盟から構造改革派が抜け、代わりに中核派が入り込み、新三派同盟が形成される。

1965年~67年
 社青同から社青同解放派が造反し、べ平連が生まれ、東大闘争、日大闘争が始まる。

 第一次ブント再建派が第二次ブントを創設するが、合流しなかったML派など、その他諸党派が誕生する。これらの動きを尻目に、革マル派、中核派、民青同の、いわゆる「御三家」が勢力を伸ばしていった。

1968年~69年
 ベトナム反戦闘争、東大闘争、日大闘争が盛り上がり、8派連合による全共闘が創出される。

 中核派全学連が生まれ、反帝全学連が生まれる。70年安保闘争を意識して空前の盛り上がりを見せる。革マル派、民青同も独自に活動域を広げ、赤軍派が創出される。

 この頃、全共闘対民青同、中核派対革マル派対社青同解放派の三つ巴、第二次ブントの内部抗争、第二次ブントと赤軍派のゲバルトが始まり、盛り上がりの中で瓦解の危機をも迎えた。

1970年~
 70年安保闘争はカンパニア闘争に終始し、佐藤政権に打撃さえ与えることができなかった。代わりにやってきたのが内ゲバと党派間ゲバと連合赤軍派の同志テロであった。

 以上が新左翼運動史の概観だが、この間、多くの若者が痛ましい不条理な死を強いられたり、身体的あるいは精神的に大きく傷つき倒れていったことに、思いを寄せなければなるまい。

 ここで、高橋和巳著『わが解体』を思い出した。また予定外の横道に入ることになるが、その中の「死者の視野にあるもの」を読もうと思う。

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