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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(54)

安保闘争の終焉


6・16
 16時40分、岸首相はアイゼンハワー大統領の訪日延期を要請したと発表。

6・18
 樺美智子さんの東大合同慰霊祭が行なわれた。
 安保条約自然成立。労働者・学生・市民徹夜で国会包囲。連日デモ

6・23
 岸首相退陣を表明  樺美智子全学連追悼集会

7・4 全学連第16回大会。反主流派、全日連結成

7・19
 池田勇人内閣成立。 7・29
 ブント第5回大会。ブント解体へ

8・9
 ブント、安保総括をめぐり、革通派、プロ通派、戦旗派に分裂

10・12
 浅沼稲次郎、右翼少年・山口二矢に暗殺される。
 池田内閣打倒、浅沼刺殺抗議全学連集会

 60年安保闘争で主役を演じた全学連は、7月4日、3000名を結集した全学連第16回大会を開催した。(以下、蔵田さんの解説をそのまま引用する。)

 大会は、過去一年半余の死闘を総括し、自己が果たした歴史的役割を鮮明にし、今後、学生運動に課せられるであろう歴史的任務を提起し、新しい闘いに向けて終わりなき進撃を続けていくことを確認した。同時に、「苦闘の底から…・・・強固な前衛政党の早急な出現」を期した。

 だが、ブント=安保全学連は共産同の劇的自壊という予期せぬ重態のなかで、一挙に崩壊していった。この安保全学連の崩壊こそは、以後数年間にわたる革命的左翼の混迷と苦闘を告示する歴史ドラマのはじまりだった。

 大会をボイコットした日共都自連は、「全国自治会連絡会議」(全日連)を結成し、第二全学連への第一歩を開始していくかにみえた。だが、日共党内闘争のなかで、構改派は自立化し、やがて全自連も解体することになり、日共をふくめて、左翼諸党派は試練にみちた党派再編期の激浪にさらわれていったのである。

 また、60年安保闘争の敗北は三池闘争の敗北を必然化させた。全山三万名の労働者がパイプ、竹槍、角材で武装し、塹壕を掘り、三池艦隊を編成して、一万名の武装警官、右翼暴力団と対峙し、内乱寸前にまでつき進んだ。しかし、労働運動指導部は、第一組合の大量解雇と一名の戦士の生命をいけにえにして、労資の手打式を強行した。そして、ついにヤマに吹き荒れた斜陽石炭産業の合理化の嵐は、炭労の敗北によって幕を閉じた。

 こうして、55年神武景気、59年岩戸景気に引き続く日本資本主義の60年代高度成長は、支配階級のチャンピオン池田内閣のもとに、強蓄積、高度成長を開始していくことになるのである。



 以上で、この稿の所期の目的を果たしたことになると考えていますが、60年安保闘争のその後の事について、なお若干の追記をしたいと思います。もう少し続けます。

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