2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
今日の話題

人知れず輝く珠玉のような人がいる。


 日頃暗いニュースに接するたびに、私の口をついて出てくるのは、もっぱら「人間というのはどうしようもないドウツブだ」という呟きです。最近は、その度数がますます増えています。もちろん、私自身が「どうしようもないドウツブ」の一匹であることは十分に自覚しています。

 しかし、たまに明るい希望の灯をともしてくれる素敵な人を知って、「人間って捨てたもんじゃないなあ」と、思いを改める事があります。

 昨日の東京新聞(11・21夕刊)のコラム「放射線」の、星野智幸(作家)さんの文章に心を打たれました。

 先週、私の尊敬していた叔父が、病により61歳で亡くなった。

 叔父は重度の障害者で、ずっと車椅子生活を送っていた。22歳のとき、学生運動中に脊髄を損傷したのだ。下半身不随となり、32歳からは週三回の人工透析を余儀なくされた。

 だが叔父は、真剣に生きるという点において、誰よりも′健康であった。人なつこく楽天家で、決して怒らない。一方で筋金入りの正義漢で、常に弱い立場の人とともにあろうとした。障害を負うや、東京を駆け回り、車椅子生活者にとっての便・不便を解説したガイドマップを刊行。まだバリアフリーという概念も一般的でなかった1970年代から、車椅子でも普通に生活できる街作りを目指し、現在のバリアフリーや障害者自立トライアル'60支援の基礎を築きあげた。

 私は、叔父の活動については無知だったが、叔父の存在には深い影響を受けてきた。私にとって叔父は、言っていることとやっていることが違っておらず、諦念とともに現実となれ合ったりしない、数少ない大人だったからだ。

 去年から、叔父は急速に具合を悪化させていた。首から下が完全に麻痺して手も動かせず、自力では何もできなくなったのだ。それでも叔父は、「トライアル'60」というブログを開設して、自分の病状や考えを書きつづつた( まだ見られます)。内容は壮絶だが、叔父らしい前向きさに、どれほど私は励まされたか。肉体は去っても、叔父の精神は言葉に生きている。



 氏(お名前が分からないのでこう表記します。)がたずさわった学生運動は、70年安保あるいは学園闘争だったでしょうか。学生運動では、樺美智子さん以来、多くの犠牲者が出ていますが、 殺された方ばかりではなく、自殺された方、障害を負った方々も相当数になるはずです。障害を負った方のお一人、氏の珠玉のような人生に打ちのめされる思いです。

 まだ見られるとのことなので氏のブログ 「トライアル'60」 をお訪ねした。

 最初の記事で氏は障害の原因を「二階から落ちて」と書かれいています。さまざまな人や事情への気配りの結果でしょう。私は氏の暖かさ・優しさの表れと読みました。

 最後の記事は最期を看取った奥様の訃報報告とヘルパーさんの弔辞記事でした。

 奥様は文章の最後を次のようにつづっています。

 生前、彼の手記の中にこのようなことが書いてありました。

 よかったこと、「ありがとう」が素直に言えるようになったこと。多くの人に支えられていることを実感できるようになったこと。人は善良な人が多いと思えること。そして、バリアフリーは人を善良にする力がある。

 とありました。よかったこととは、障害をもってよかったことの意味だと思います。どんなに障害が重くてもどんな障害があっても良かったと思える生き方、人生をおくれるようにこれから微力ながら故人の遺志を継いで頑張って生きていきたいと思います。



 ヘルパーさんは、氏を「仕事上だけでなく、親密なおつきあいをさせていただいてきた、ぼくにとって最大の先生であった方」と敬意を表しています。ヘルパーさんはその文章を次のように締めくくっています。

 看護師が透析室へ向かう準備を始める中、氏はギャッジベッドの上げ下げや体位交換を頻繁に要求された。不安や苦しみで、どうしようもなかったのだろう。またベッドのまま透析室へ行くため、透析室の準備で透析の時間がすこし遅くなったことや、苦しむ氏を目の前で何もできないでいる看護師やぼくに対する不満がつのり、「もっといきるということに真剣になれ」と怒鳴った。命ある限り真剣に、必死に生きたいんだという叫びであった。

「真剣に生きろ」

 最後まで「生きる」ということに必死であった氏の姿が、最大の教えであった。



合掌。

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